セッションのレビュー・感想・評価
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感情移入し過ぎると血圧上がる
107分前のあなた、107分後の人生
あなたは本作を観る。観る前のあなた、観た後のあなた。もう、あなたは別人になっているかもしれない。
だって、107分前の自分は「セッション」という映画の持つインパクトを知らずに生きてきたからだ。
107分の上映時間ののち、あなたは戦慄と、感動と、狂気と、熱情のシャワーを全身に浴びて、映画館を後にすることになる。
この映画は、大げさに言えば「人の人生狂わせる」ほどのインパクトを持っている。
本作は19歳の、若い、才能あふれるジャズドラマー「アンドリュー」が、アメリカ最高のジャズ音楽学校の教師、「フレッチャー教授」に徹底的にしごかれ抜く、師弟関係のお話である。
アンドリューは、ジャズの最高峰を目指す者たちが集まる音楽院に進学できた。どんなすごい連中が集まっているんだろう、どんな授業を受けられるんだろう、若い彼は胸いっぱいの想いを抱いて、入学してくる。
ある実技授業を受けていると、そこに突然、頭はツルツル、引き締まった肉体、黒シャツに黒ズボン。まるで独裁者のような威厳に満ちた人物が現れる。彼こそが、この音楽院での名物教授、フレッチャー教授だ。
彼は次々に演奏者に音を出させてみる。それもワンフレーズだけだ。わずか数秒。
「よし、もういい!」「次!」「もういい!」「次!」
こんな調子で、あっという間にアンドリューの番になる。彼は無心でドラムを叩く。
「よろしい。オマエ、明日、朝6時に練習室に来い。以上だ」
あっという間に来て、あっという間にオーディションは終わり、フレッチャー教授は、部屋から出て行く。
彼はこの音楽院、最高のメンバーを集めて、ジャズコンテストに出場するのだ。アンドリューは、このフレッチャー教授に選ばれ、コンテストに向け、ジャズとドラム演奏にのめり込んでゆく。
ジャズの本場はもちろんアメリカ、それもニューヨークであることは、なんとなく知っていたけれど、まさか、こんなに本格的なジャズ専門の音楽学校があって、しかもそこで「ジャズ・エリート」を育てている、というのは知らなかった。
例えばスポーツ。テニスの世界では、今、話題の錦織圭選手を育てたのはアメリカのスポーツエリート養成機関であったことは有名だ。特別な才能を持った若者を、世界で通用するように、さらに鍛える。
もちろんアメリカのことだから、そのエリート養成機関が、トップのプレイヤーを数多く輩出すればするほど、知名度も上がり、入学者、スポンサーが増え、それによって「マネー」が転がり込んでくる。そういう図式なのだろう。
それにしても、フレッチャー教授の教え方は凄まじい。
その昔、日本では「巨人の星」という熱血根性野球漫画があった。主人公の星飛雄馬をスパルタ、熱血で野球エリートに育て上げる父親。その名も「星一徹」
本作のフレッチャー教授は、まさに「星一徹」のジャズバージョンだ。
教授がもし「巨人の星」というアニメを見ていたら、「ジャズドラマー養成ギブス」を作りかねない。そんな男だ。
本作で描かれるのは、どうやって、プロフェッショナルのジャズマンを養成してゆくのかである。フレッチャー教授はまさに「体育会系」の「シゴキ」を行う。
ここでひとつ、注目して欲しいのは、彼がほとんど、一つの音、一つのフレーズ、一つのリズム、で良し悪しを即座に判断していることである。
実際クラシック音楽では、そういう鍛錬をする。
大ヒットした「のだめカンタービレ」という映画がある。
若き才能あふれる指揮者「千秋真一」がヨーロッパの指揮者コンクールで、受ける審査。そのなかに、オーケストラの音の間違い探しがある。
オーケストラには、あらかじめ、いろんな楽器に、一つだけ間違った音をあえて仕込んだ楽譜が渡されている。コンテストを受ける指揮者は、その間違いの箇所を指摘する。いろんな楽器の音の洪水のなか、そんなことできるのか? と思う方もいるかもしれないが、実際若き頃の小澤征爾氏は、国際コンクールで間違い探しをやって、正解し、ちゃんと優勝している。
そういった難関を突破した、とんでもない才能を持った若者たちが、さらに芸術の高みを目指す。本作においても、アンドリューは、ジャズの「頂点」「最高峰」を目指そうとする。そのためには、付き合い始めたばかりの彼女も遠ざけ、周囲との協調性もなくし、あえて孤立を深めてゆく。そうすることで音楽漬け、ジャズ漬け、ドラム漬け、の日々を送る。
ジャズ、音楽、そして芸術は、過酷で残酷だ。
その高みを目指そうとする者に、ここまでの試練を強いるのか? と思わせる。 生きることのすべてを捧げ、時にはそれが人間を廃人同然にしてしまう場合さえある。いわゆる「燃え尽きて」しまうのである。
そうまでして、人間はなぜ、芸術を求めるのだろう?
アンドリューはなぜ、そこまでして、ジャズを極めたいのだろう?
そして、ぼくはなぜ、この「セッション」という映画の”痛いほど”の「体験」を文章にしているのだろう?
ラストシンーンでの演奏。まさにこの瞬間にしか存在し得ない緊張感あふれるドラミング。
アンドリューは、重圧と、緊張と、諦めと、苦悩の先に、ようやく、音楽の持つ「楽しさ」を感じ取ったのかもしれない。
映画が終わり、劇場を後にしても、僕の体にはアンドリューのドラムの響きがまだ残っている。上映時間107分後の自分は、まさに107分前の自分とは変わっていた。
本作は、その力を持った作品である。
好きです。
私はこの映画とても好きです。
バードマンを観た後、この映画を観ました。バードマンの評価が結構よかったので、物凄く期待をして観に行ったら、ん?何だこれは…という感じで終わってしまった。なので、セッションもまたバードマンみたいな感じなのかなあ。と、思い観に行ったら、なんと、まぁ…凄い映画でした。何かもう緊張と興奮で汗が噴き出てくるんです。手汗なんてもう凄くて、観終わった後びっくりしました。観てる時はこの映画、面白い!とは、あまり思わないと思います。しかし、観終わった後に感動がじわじわと来ます。個人的にとっても好きな映画でした。ただ、題名は原題のWhiplashで良かったと思います。そこだけが不満でした。
天才を目指した二人のセッションのカタチ
観終わってすぐは疲労感でぐったりしてしまった。
ただ劇場を出て少し歩き出したところで、あの映画はなんだったんだ?!と胸が一気に高鳴った
ああすれば天才が産まれるとか、スパルタ教育がどうのとかそんなんじゃなくて
天才を産むために、天才という存在になるために
お互いがどこまでできるのかっていう
先生と生徒2人の視点の闘いの物語
戦争映画のような緊張感と圧迫感
アクション映画のような迫力と強い意志
天才を目指した二人のセッションは
憎悪や愛を全て超越したところにある二人の中の闘いだったんだろうなと感じた
ただ天才になる❪生む❫ことだけを目標にした本気の人間の、それ以外を取り払った姿を描いた
今までに絶対になかったカタチの映画
威圧感と緊迫感
一部マスコミで論争にまで発展している本作ですが。
それはそれで良い宣伝効果になっているようで、映画ファンだけでなく音楽ファンの足も運ばせているのではないかと思えるほどこの手の作品にしてはかなりの人が入っていた。
本作はまず、鬼教師フレッチャーを演じたJ・Kシモンズが作り出す威圧感に終始圧倒される。
その緊迫感はもはや「オカルト映画?」と思ってしまうほどである。
その緊迫感が全編を支配して、観賞後はまるで自分がシゴかれていたかのように肩がこり全身が力んでいた。
もし主人公が自分ならこれでは十分に力が発揮できないだろう。
しかし人は時にはキレた感情をプレーにぶつけることでいつも以上の力を発揮することがある。
一瞬の輝きとでも言うような…。
もしこれが力を引き出すためにフレッチャーが計算してやったのだとしたら凄いの一言だが、付いてこれる人間は
いないに等しいのではないか?
たった一人を見出だすためにしていたのだろうか?
それとも彼は屈折した本当のクソ野郎だったのか?
その答えは観た人それぞれが感じとるものだが、ニーマンがフレッチャーを超えたその時に彼は最高の輝きを放ったのだ。
最大の敵とも融合してしまった。
素直に従っているだけではダメなのかもしれない。
また優しさや甘さが弱さとなって持てる力を出し切れ無いこともあるだろう。
自分を信じて勝負に出ることが必要な時もある。
ジャズの世界のことは私には分からないので、こういったことが許されるのか?それともこういったことにも対応できてこそジャズ・ミュージシャンなのかは分からないのだが、見方を変えればチームプレーでのそれは、言わばスタンドプレーと取られかねない。
唯一無二に成りたければ型に嵌まっていてはダメと言うことなのかもしれないが、組織やチームの中でのそれはけして良いものではないだろう。
その点が本作の気になったところで、全体のテンポや作品としてのクオリティはやっぱり良かったように思う。
かっこいい!
ユニークな小品
『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』の後に観るというのは流れが悪いなと思った。通常、音楽をうまく使うのが映画的なのだけど、この作品はまったく逆で悪く使ってしまった。どこまで自覚があるかはわからないが監督本人が主人公と似た経験をして音楽を挫折したというから、何となくそうした過去への思いが滲んでしまっているのかもしれないし、単純に音楽的なセンスがないのかもしれない。それが『バードマン‥』を観た後ではより強く感じさせるのだ。
まあ新人の小品とイニャリトゥの意欲作を比べるのはフェアじゃないか。ただし、これだけジャズのスタンダードをフィーチャーしながらも良い演奏が聴けないことにストレスを感じるのは当然だろう。で、それがあたかも「凄いぞコイツ」みたいに描かれているから困ったなとなるわけ。
アカデミー賞の後で見させられる流れはどうにもならないだろうから、せめてフラットな気持ちで観たいと思ってるし、そうして観ると作品への評価もシモンズへの評価も「そんなに」となってしまうな。
ちなみに先日放送されていた「ナントカの流儀」のうどん回でも師匠の弟子に対する批評・批判が理不尽で「こういうものなんだな」とは思った。
スリリング!
セッション
サンダンス映画祭でのグランプリと観客賞受賞を筆頭に、さまざまな映画賞で旋風を巻き起こした音楽ドラマ。
ジャズドラムを学ぼうと名門音楽学校に入った青年と、彼にすさまじいスパルタ的指導を行う教師のドラマ。
名門音楽学校へと入学し、世界に通用するジャズドラマーになろうと決意するニーマン(マイルズ・テラー)。そんな彼を待ち受けていたのは、鬼教師として名をはせるフレッチャー(J・K・シモンズ)だった。ひたすら罵声を浴びせ、完璧な演奏を引き出すためには暴力をも辞さない彼におののきながらも、その指導に必死に食らい付いていくニーマン。
ドラムに汗しぶきが‥‥
ドラムに血しぶきが‥‥‥‥
ドラムに狂気が‥‥‥‥‥‥
なにゆってもネタバレになりそうなので、止めときます。
先が読める長ったらしいアクション映画なんかよりずっとスリリングで全く目が離せない。
緊迫感緊張感が最初から最後まで。
ラストは、衝撃的。
これは、見終わったあとみんな心の中で拍手喝采してると思います。
必見。
狂っているだけでは音楽にはならなかった
前評判の高さから期待をして観に行きました。Buddy Richの曲を好んで聴いていたので、耳でも楽しめる映画でした。
しかし、ストーリーの方がいまいち私には合いませんでした。J.K.シモンズ演じる教授の熱烈さや狂気というのはビシバシ伝わってくるのですが、マイルズ•テラー演じる学生が、シモンズに感化されて変化していく様子にあまり劇的なものが見られず、彼から狂気的な音楽への情熱のようなものが伝わって来なかったです。
ラストシーンでも、復讐の応酬から2人が徐々に理解しあって高まってゆくという流れは観ていて分かるのですが、何かが足りないのです。狂気や熱は伝わるのですが、音楽への愛(?)というのが描かれていない為か、ただ激しいだけの映画に思えてしまいました。
『セッション』と同じように、音楽に没入していく、狂っていく、というような映画でしたら『4分間のピアニスト』という素晴らしいドイツ映画があります。こちらも厳格な教師と生徒という関係の中でストーリーが展開していくのですが、ラストシーンの息もできないような圧倒される感覚は『4分間のピアニスト』の方が凄かったです。
圧倒的!
出だしから圧倒されたままエンディングを迎え、鑑賞後はかなりグッタリした。
役者の演技、緊張感あふれる演出(役者にクローズアップを多用したカメラワーク、演奏シーンのカット割り等)が素晴らしくて、終始引き込まれた。
常人にとっては「たかが」と思われることが、その道を極めようとする者には生死を賭けるほどのことであり、それは当事者にしかわからない。
天才たち(それに見合った努力が出来る者を含む)の言動を、自分のような凡人は憧れと嫉妬と諦めの心境でただ眺めるしかないのかも知れない。
密告のくだりが個人的には分かりにくいと感じて、一緒に観た人と擦り合わせたところ、自分の読み違えだったようで、悔しかった。。。(もっと修行が必要だ。)
観終わった後久々にゾクっと身震いきたぁ~~
鬼気迫るJKシモンズが今夜、夢に出てきそうな衝撃
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