「今夜も「めしや」で逢いましょう」映画 深夜食堂 ユキト@アマミヤさんの映画レビュー(感想・評価)
今夜も「めしや」で逢いましょう
人々が家路につく夜の新宿、裏通り。なぜか人が集まる一軒の「めしや」がある、人はここを「深夜食堂」と呼ぶ。
「深夜食堂」という漫画が、「深夜枠」で”ひっそり”とテレビ放送を始めた時、なんとも嬉しかったのと同時に、「まあ、こんなマニアックな番組、ワンクールだけの放送だろう」と思い込んでいた。ところが、原作の人気とともに、テレビシリーズの人気も着実に増え、あれよ、あれよと言う間にテレビ版は第3シーズンに突入、ついに映画化まで行き着いた。
もともと「深夜食堂」は、漫画もテレビシリーズも一話完結の短編だ。映画となると2時間近くお話を紡がなくてはならない。一体どうするのか? 本作、映画版の「深夜食堂」は決して奇をてらわなかった。
いつものように「深夜食堂」の「のれん」をくぐる感じで、ふらりと映画の世界に入って行けるよう、三つのエピソードをつなげて一つの映画としたのである。
その演出手法は、主人公である、口数の少ないマスター(小林薫)が「いつもの料理」を「いつものように」客に出すように、何の気負いもない。
食堂のカウンター越しに集まる「メンツ」も、あのおなじみのメンバーだ。
惚れっぽい新宿のストリッパー、マリリン(安藤玉恵)と、その熱烈なファン、忠さん(不破万作) 地回りのヤクザ、竜さん(松重豊)とその男気に惚れ込んでいる、ゲイ歴48年のベテランおネェ、小寿々さん(綾田俊樹) いつも連れ立って、お茶漬けを食べに来る「お茶漬けシスターズ」の3人。それに刑事とその生意気な女性部下など、個性豊かな顔ぶれがそろう。
今回の映画化では、ここに高岡早紀、多部未華子、田中裕子、そして余貴美子が加わるという、実に豪華な顔ぶれとなった。
本作は「ナポリタン」「とろろご飯」「カレーライス」という三つのエピソードで成り立っている。それぞれ違う内容なのだが、それを繋ぐのが「深夜食堂」に客が置いていった、ある忘れ物だ。
マスターがその包みを解いてみると、それはなんと「骨壷」だった。
本作のハイライトは、パート2の「とろろご飯」だろう。
多部未華子演じる「みちる」という娘が「深夜食堂」で無銭飲食をした。大きなリュックを背負い、何日も風呂に入ってない様子。
マスターは黙って彼女に500円玉を差し出す。
「近くに銭湯があるから……、入って来なよ」
もちろん、マスターには、彼女が色々と訳ありなのは承知している。マスターは「野暮なことは言わない」男なのだ。
無愛想に見えるが、黙って、それとなく態度で気配りしてくれる。
そういうマスターの人柄が、この「めしや」に客が惹かれる理由の一つになっている。やがて「みちる」は深夜食堂に住み込みで働くようになる。そこへマスターの古い知人、塙千恵子(余貴美子)がふらりと現れる……
まさか、多部未華子と日本アカデミー賞女優の余貴美子が「深夜食堂」のカウンター越しに共演するというのは、なんとも贅沢だ。
僕の個人的な趣味だが、この二人の演技をもっと見たかった。できればこの二人が絡むエピソードを膨らませて、一つの映画作品にして欲しかったという気がしている。
それにしても、この界隈の小さな交番の警官役、オダギリ・ジョーのすっとぼけたB級映画感覚はなんとも楽しい。
本作に登場する俳優たちは、それぞれ、大河ドラマ出演や、数々のキャリアと映画賞の受賞歴を持つ、そうそうたるメンバーと監督である。にもかかわらず、このレトロ感漂う、ちょっと怪しげな路地裏の「めしや」「深夜食堂」という物語に、面白がって集まってくるのは何故であろうか?
ここに入れば、なんのしがらみもない。
遠慮もいらない。重苦しい肩書きも外せる。
こういう店あったら、つい、ふらっと入っちゃうよなぁ~。
「いらっしゃい、出来るもんなら、なんでも作るよ」
マスターの声を聞いただけで、もう何か物語が始まりそうな気がする。今日も深夜食堂には、いつもの無愛想なマスターが、いつもの料理を出してくれるのだ。どこにでもありそうな「めしや」だけど、どこにもない店。まさにオンリーワンの味と安らぎ。「深夜食堂」が人を惹きつけてやまない秘密と魅力がそこにある。