「誰の死にも価値がある」おみおくりの作法 浮遊きびなごさんの映画レビュー(感想・評価)
誰の死にも価値がある
2008年の『おくりびと』や先日公開されていた
『悼む人』と非常に近いものを感じるが、こちらは
よりリアリティ重視というか、ささやかでシニカル。
ロンドンの民生係として、孤独死した人の身辺調査や
葬儀を行っている主人公ジョン・メイ。
死後の世界があるかどうかは知らないが、
自分が彼に葬られる立場だったら本当にありがたい。
見ず知らずの他人の死を、見返りの言葉も求めずに
ここまで誠心誠意に扱ってくれるなんて。
彼は、故人の持ち物をよく観察し、その人が大事に
していただろう物事を丁寧に汲み取って葬儀に活かす。
それまで扱った故人の写真も、スクラップブックに
取ってある。せめて自分だけは彼らを覚えておいて
あげたいと言わんばかりに。
主人公メイを演じたエディ・マーサンの、慎ましげな
佇まいがなんとも言えず良い。こじんまりとしていて、
日々の光景に埋もれてしまいそうな雰囲気の男。
孤独な暮らしを送る彼だからこそ、故人の感じただろう
寂しさを晴らしてあげたいと強く思うものなのかも。
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どんなケースでも手を抜かない心優しいメイだが、
上司から見れば彼は価値のない仕事に手間を費やす金食い虫。
ついには上司からリストラを宣告されてしまう。
いやまあ予算削減という事情は分かるし、
その予算だって税金から捻出されてるんだろうけど……
なんでもかんでも効率効率の世の中ってのは薄情でヤだね。
あの笑顔のムカつく上司といい、ケバケバしい女性職員といい、
死者への敬意というものを寸分も持ち合わせてないのかね。
自分や親戚の遺灰を、掃除機に溜まった埃でも
棄てるかのようにぞんざいに土に撒かれたら、僕は
多分そいつをブン殴ってしまうんじゃないかと思う。
車に○○○○○なんて可愛いもんですよ(そうか?)。
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メイの最後の仕事は、自宅の向かいに住んでいた老人の葬儀。
名前も顔も知らなかった隣近所の人間が孤独死していた
と知ったら、嫌でも自分の死に様を想像してしまうだろう。
人間、一度でいいから自分の死を意識しないと、
生きている事のありがたみには気付きづらい。
老人の人生を追い、彼に関わった人々と接する内、
メイの表情は不思議と晴れやかになっていく。
最後には恋にすら落ちたりもする。
あんなに興奮しながら葬式の話をする人も珍しい(笑)。
旅の始め、列車の座席に後ろ向きに腰掛けていた彼が、
旅の終わりには列車の進行方向に合わせて腰掛けている。
文字通りの“前向き”な気持ち。
新聞の隅っこに押しやられるような孤独な死を迎えた人にも、
様々な人との出逢いや想像だにできない過去が詰まっている。
だから、ひとつひとつの死を疎かに考えてはいけないし、
同時に自身の生における出逢いも大事にしていかなくては。
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不満点。
いかにも作劇的というか、物語を終わらせる為の
デウス・エクス・マキナ的な終盤の展開が、僕はあまり気に入らない。
感動的ではあるのだが、ささやかでリアリティのある
前半と比べると、若干ちぐはぐな感じを受ける。
これは死後の世界の存在について懐疑的な人間の言い分だが、
『死後』があるかどうかも分からないのに死者を敬うからこそ、
その行為は真に見返りを求めないものに成り得ると思う。
その行為がその人にとって切実なものになると感じる。
だが、あのラストは『見返り』を形として見せてしまった。
そして、それまでじっくり付き合って来た主人公を
脚本家という神が殺す。これも気に入らない。
いや、訴えたいテーマの為に登場人物が死ぬ事は、
物語においては往々にしてある事だ。
脚本家は、死はどんな人にも平等に訪れると
伝えたかったのかもしれない。
生には限りがあるから後悔する生き方をするなと
伝えたかったのかもしれない。
しかしながら、本作は実際の新聞記事からヒントを
得たというややノンフィクション寄りの物語だ。
現実から如実に着想を得た登場人物を殺すという行為が、僕には作り手の一種の傲慢であるように感じてしまった。
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とまあ終盤に関して不満点はある訳だが、
それでも大満足の4.0判定で。
死は哀しいものだが、そこに何も残らない訳じゃない。
誰の死にも僕らと同じく過去があり、出逢いがある。
誰の死にも価値はある。
そんなことを思わせてくれる映画でした。
<2015.04.04鑑賞>