「人間らしい“作法”を排除されつつある人類の進歩には…」おみおくりの作法 KENZO一級建築士事務所さんの映画レビュー(感想・評価)
人間らしい“作法”を排除されつつある人類の進歩には…
故郷山形県の従兄弟より、
酒田市と鶴岡市で撮影場所された
邦画「アイ・アム まきもと」は、
この映画の高アレンジ作品だった
との情報を得て、
録画していたオリジナル版を再鑑賞した。
それにしても結末の分かっている作品に、
どうしてこんな号泣させられるのだろうか。
自らが最後に弔った人に譲ったお墓に、
自らが手配したたくさん人々が参列している
埋葬地の近くで、
一人孤独に埋葬されている主人公を
弔うために、
アルバムの中の人々が彼のお墓を囲む。
そんなエンディングに改めて号泣したのも
つかの間、
こうしてこのレビューを
記入している際にも涙が止まらなかった。
ところで、主人公の正面を向いて
たたずむたくさんのストップシーンは
印象的だ。
主人公の生き様を表す原題そのものを
象徴させているのだろうか。
孤独な主人公だからこそ、
己の死に際しては
せめて誰かに見送られたいとの想いも
あっての仕事ぶりだったのかも知れないが、
それさえも報われないと思われた中での、
死して報われた結末は
幾分、宗教的解釈にも感じる。
死とは自身にとっては全てが無になること
と私は思っているが、
一方で、死しても心と心の結びつきは
こうありたいとの想いが
どこかにあるからこそ、
この作品のエンディングに感動を覚える
理由なのだろうと思う。
それにしても
「わたしは、ダニエル・ブレイク」や
「リトル・ダンサー」も含め、
下層社会の問題に触れると共に、
効率性の中で排除されつつある
人間らしい“作法”に想いを寄せる
英国映画には、
人類の進歩とは、と考えさせられる名作が
数多くあると気付かされる。
さて、「アイ・アム まきもと」で、
日本の現状をどう描いていてくれているかが
楽しみになった。
ある意味、日本でも人間的な“作法”が
排除されつつあるように思えるので。
共感コメントしていただきましてありがとうございました😊
『サラの鍵』のレビューを少し拝読してきました。また調べます。
機会があれば是非観たいです。
本作、泣いて当たり前の作品です
私、涙腺弱いのに作品観て滅多に泣きませんが、本作は観れば涙が出て来ます。何と心の気高く綺麗なことかと。あまりに美しい心に、この世とあの世の境無しに
弔われるのですね。☘️
こんばんは♪
何回観ても、結末わかっていても
本作、泣いてしまいますね💦
ラストのシーン、主人公を弔っているのは‥‥宗教的な要素がありますね。
でも、事故で死なさずにいてくれたらと思いました☘️