「1959年版のリメイクかというと全く違います 原作は同じ大岡昇平の小説なのですが実は違うのです」野火 あき240さんの映画レビュー(感想・評価)
1959年版のリメイクかというと全く違います 原作は同じ大岡昇平の小説なのですが実は違うのです
野火
ご承知の通り、この題名の映画は二つあります
1959年公開の市川崑監督版
そして本作2015年公開の塚本晋也監督版です
しかし、本作は1959年版のリメイクかというと全く違います
原作は同じ大岡昇平の小説なのですが実は違うのです
1959年版は、戦争の悲惨さ、残酷さを、地上の地獄として再現して、極限状態における人間の本性とは?人間性とは?人間の尊厳とは?といった小説のテーマを原作に忠実にそのまま映像化するものでした
人肉食はその中で極限状態の中では絶対タブーすら、もそうでは無くなってしまうという事を象徴する為の強烈なモチーフでした
なので1959年でははっきりとは人肉食をしたようには描かれませんでした
直接的に映像で視覚化することは観客にとって衝撃が大きすぎると市川崑監督はお考えになられたようです
反戦のメッセージは結果として観客にしっかりと伝わるものとなっています
さて、では2015年版はどうか?
あらすじは原作とも、1959年版とも概ね同じです
しかし出発点と目的が違うのです
本作においての出発点は、あくまでも塚本晋也監督が原作から感じたものを中心に究極の反戦映画を撮るのだというものです
そして目的とするものは、観客に戦争を人肉食と同じくらいのタブーとして観客にトラウマとして刷り込む
つまり洗脳するのだというものです
よって1959年版においては、市川崑監督が避けた人肉食のシーンこそを2015年版ではメインとして構成されていくのです
戦争は確かに悪です
絶対に忌避しなければなりません
そのために、このような映画が撮られるべきかもしれません
しかし、2025年の私達は、ウクライナ戦争を目撃して、自らが不戦の誓いを持っていても、問答無用とばかりに戦争を吹っかけてくる事があることを知りました
外交も交渉も理屈も話も通じない相手がいることを知ったのです
劇中の主人公のように身を守る手段を失ってしまえば、本作のレイテ島の有様のような弱肉強食の世界に、突き落とされて抵抗することもできない世界に、実は私達はいるのだといる事に気付かされたのです
そうして、本作は、そうなってしまった時の日本の有様を想像してしまうのです、本作のトラウマとともに
では人間の尊厳を保ったまま日本は自滅する方が正しいのでしょうか?
手榴弾を抱いて自爆死するように
あるいは、人肉を食べてでも生き延びて元の平和な日本に帰還するように醜く足掻く方が正しいでしょうのか?
本作は、自滅すべきだと洗脳している映画だと自分は感じました
劇中、降伏しようとした兵士は問答無用と銃撃されます
ウクライナ戦争では、ロシア軍は100万人以上もの死傷者を出しても侵略を止めません
プーチンの肉挽き機と呼ばれる程に膨大な人命を軽視して本作のレイテ島のような戦地に毎日送り込んでいます
手足を失った兵士にまで這ってでも出撃させているニュース映像まで見ました
恐らく本作と同様の生き地獄が本当にあるのでしょう
では、ロシアとウクライナ
どちらの国民が本作を観るべきなのでしょうか?
自分はロシアの国民だと思います
そして日本がウクライナのようにされてはならないと強く思うのです
戦後80年目の夏
多くの人に本作を観て欲しいと思います
そしてご自分の頭で、どうなのかをお考えになって欲しいと思いました
