「面倒臭いこと言わせて頂きます!」自由が丘で さぽしゃさんの映画レビュー(感想・評価)
面倒臭いこと言わせて頂きます!
面倒臭いこと言わせて頂きます!
過去っていつから過去なんでしょうか?
例えば今、私は文章を打っています。
これが完成した瞬間に、この「文章を書く」という行為が過去になるのでしょうか。
それとも時計を眺めて、秒針がカチカチ動く瞬間に過去は生まれていくのでしょうか。
では現在はどこに?過去が生まれる瞬間が、現在ということでしょうか。
では秒針がカチカチ動くのを眺めながら、元彼のことを考えるとします。
すると一秒ごとに生まれる過去と、私の中に蘇った過去の記憶のリピートと、二つが現在の時間の流れの上に存在することになります。一方は流れず(一定の距離しか流れず)、もう一方は規則正しく流れ続ける。
また秒針ごとにカチカチと過去が生まれるなら、世界中の人は同じ時間の流れに生きているということになります。
でも行動ベース、また思考ベースなら、一定ではありません。
っていうか、人は自分の中に幾つもの時間の流れを持っている。
いったいどの時間の流れを基準に、生きれば良いのか?
選ぶ基準によって、人生が変わってくるような気がする。
っていうことを、映画を観ている間、ずっと考えてました。
モリがクォンを探す過程で出会った人達との物語です。
出会った人達と酒を飲み、酔って、女性と親しくなって、エッチして。ただそれだけ。
でも本作を観てる間、まるで宇宙空間に投げ出されたような不思議な浮遊感に陥りました。
こんな映画は初めてです。何故か?
実は、本作は時系列が激しくバラバラなんです。勿論バラバラな映画は沢山あります。でもここまで激しいのは初めてです。
クォンになかなか会えないモリは、自分が働いていた日本語学校へソウルでの日々を綴った手紙を託しています。
それを受け取ったクォンはうっかり落としてしまい、しかも一枚紛失するのです。手紙にはナンバリングがなく、クォンは順番関係なく読み進めます。
つまり本作は、クォンの読む順番の分からない手紙のように、過去、現在、未来を行ったり来たりして、話が進んで(後退?)いきます。 それだけではなく、モリが見る夢が差し込まれて行くので、どこからが現実なのか、夢なのか分からず、激しく混乱します。
しかしモリが言います。
「時間には実体がない。僕たち人類は必ずしもその流れに従って、人生を体験する必要なないと思うんだ」
映画を観ている間、冒頭に書いた色んな時間の流れが周りあるのを感じ、でも私はその時間のどれにも縛られず、一人ぽつんと宇宙空間を浮遊しているような、自由な自分を感じました。とても心地良かった!
モリは何処に行くにでも、吉田健一著「時間」の単行本を持ち歩いています。「人生の中で時間が流れていく」ということの意味を考える内容です。もし宜しければ、本作と合わせてお読みください。
あと、モリは左手にいつも時計をしています。現実のシーンでは、時間が見えないように意図的に隠してあるように思えました。でも夢のシーンでは、時間がはっきり見える。
やっぱり人は、いろんな時間の流れの中で生きているんですよね。
※ホン・サンス監督は面白い感覚を持った人だと思います。
それはカメラワークにも表れている。例えばキスシーン。ちゅーすると、カメラが急にぐいっとズームします。え!恥ずかしい!
なんかですね、ホン・サンス監督は不思議なズームイン、アウトをするんですよ(笑)
今とっても気になる方です。