アクト・オブ・キリング オリジナル全長版のレビュー・感想・評価
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人の振り見て我が振りなおせ!Terima kasih♥悪質なコメディ
『Terima kasih』 ”テリマカシー“
悪者が悪者として悪者を”演じる“。
”演じる“のだ。
少し臭くとも”演じる“のだ。
つまり、PLA◯75と全く同じ理論。
この映画の中で主人公達が話している。
『よくそんな事言えるなぁ』と思うかもしれないが、話が進行するにつれ、自虐的に人間性を振る舞う場面が登場する。見ている観客はそれに騙される。所詮、『パンチャシラ青年団』=『裏腹の無い正義感』つまり、我々が対処出来る態度ではないのだ。彼らは微塵も反省していない。
しかし、それは想定内である。
問題はインドネシアの現在は?
インドネシアは良くても悪くても、無神論者は憲法違反になる。つまり、共産主義の中国はそれだけで差別の対象になる。
過去2回インドネシアへは行っているが、知り合いから注意された。何教でも良いから『神は信じている』と言えと。
だがしかし、こう言った『ナチズム』が横行する事に野蛮な国ゆえ仕方ないとこの映画では、俯瞰して描いているが、この映画でも言うように、アメリカでは共産党は違法政党として扱われて来た歴史がある。また、
日本も『福田村事件』は理解して糾弾できても、その他の大日本帝國が犯した残虐な行為を『自虐的史観』と言い張って、大日本帝國でもないのに認めようとしない。
自虐的史観とそのカラクリをのうのうと描いた所を評価するが、過去の事と昇華させている。そして、インビジブルな存在として、日本にもインドネシアにもアメリカにも生きながらえているのかもしれない。やがて、ヒトラーの言った100年目がやって来る。
最後の『BORN FREE』は『野生のエルサ』を汚すな!!
まぁ『美しいインドネシア共和国』つう事だね♥
兎に角、ナチズムに哲学は存在しない。差別のみ。
吐きそう
この映画は今まで2回見ようとして途中で気持ち悪くて断念してた。今日やっと全て通して見れた。
内容は1965年のインドネシアの共産党主義者虐殺について、虐殺を行った加害者側が、当時の体験を映画にしようと持ちかけられて映画製作が始まるドキュメンタリー映画。
序盤30分から実際の殺害方法を嬉々として当時の英雄たちが語ってくれる。英雄というのは、「プレマン」と呼ばれるアウトロー集団。プレマンたちは多くの人々を殺したにもかかわらず、称賛され英雄として人々から尊敬され畏れられている。
プレマンというのは、語源をフリーマン、自由人というらしい。
プレマン属するパンチャシラ青年団という巨大な民兵集団は、露天で商売する華僑からみかじめ料を強請る姿も撮影される。
映画とは関係ないが、こうした迫害があると知らせてくれるのは土地の空気を感じさせてくれる貴重な部分。大半の華僑が共産主義者であり、今現在も公然と差別、迫害されているというわけだ。
プレマン以外にも、当時の関係者である新聞記者や事務所の従業員らが登場する。彼らは撮影する映画に登場することはない。しかし当時の虐殺に関しては一様に直接関係していない、知らない、殺人はやっていない、全てプレマンがやったという。プレマンは「知らないはずがない、誰を殺せとお前の上司に命じられたんだ」とはっきりと言う。真実から距離を取りたがっているという言葉が印象的だ。彼らも間違いなく、虐殺に手を貸した人殺しである。
登場する人殺し達は、撮影の過程で当時のことを振り返る。
国から大義を貰った、国が代わりに被害者に謝ってくれればいい、と自分たちの罪を帳消しにしようとする。現実逃避する姿が怖い。
なんと言おうと過去の行いが無くなるわけがない。いつまでも殺された人間とその家族は忘れないし恨み続ける。
中盤で、キャストが「共産主義者の継父が殺されて、当時子供だった自分は土地を追い出され、学校にも行けず独学で文字を習得し、同じ撮影現場に立っている」と発言した時は鳥肌が立った。「何もかも隠すこと無く話しましょう」と言うキャストの目に恨みがないとは到底思えない。
被害者と加害者が同じ舞台に立って撮影続行なんて、日本なら考えられない。
彼らが報復されていないのは巨大な権力を持っているからに過ぎない。誰からも本当の意味で許されていない。
その後、そのキャストが共産主義者役で殺される様子が撮影される。尋問と拷問を受けて針金で首を絞めて殺される流れで、キャストの男性は泣いている。自分の継父はこうして殺されたと示されているも同じだろう。
後半の村を焼くシーンは子役が撮影後泣いている姿が映される。現実はこれよりもっと悲惨だったと思うと吐き気がする。撮影で野蛮な印象を与えてはならない?実物はもっと非道で野蛮そのものだっただろうと思うと怖い。
木の幹を台に首を落として死体の足が痙攣したり、首を切られて濁った声を出したり、赤子代わりの人形を母親の前で殺す部分は、実際に行われた非道だろう。
語られる内容と平穏無事に暮らしている人殺しとその家族達の風景のミスマッチさが気持ち悪い。見ていて苦しかった。
子ガモに優しくするよう我が子に促す老人は、過去に大量に人間を惨たらしく殺している。ショッピングする姿、歯の治療を受ける姿、家族と触れ合う姿、この人達の日常生活映像がグロテスクに感じてしまう。
主演のプレマンが被害者である共産主義者役で、尋問を受け絞め殺されるシーンを演じる。その時プレマンは意気消沈する。自分のやってきたことが自分がされる側になってようやくどれほど残虐なのか理解できたのかもしれない。
このシーンを見返したときの言葉がとても強烈だった。「あの撮影では俺の尊厳が踏みにじられたように感じた。そのあと恐怖が襲ってきた」「被害者の気持ちがわかるんだ」「俺が罪人だというのか」「共産主義者にやってきた行いが自分に返ってくるのか?自分は報いを受けたくない」、どれも赤裸々で本当に普通の人間が殺しをやっていたんだと実感する。
「実際に殺された人たちはもっと苦しかったですよ」というドキュメンタリー撮影側のスタッフの台詞が恐ろしいが、せめてものこの人に対する人道的な声かけだろうと思う。
ラストでプレマンの老人は虐殺を行った屋上でゲボを吐く。「殺した奴らの悪夢を見る」と言っていたが、人間の罪悪感が形を持って撮影されているようだ。
ドキュメンタリーは、あくまで映画用に撮影されたもので、一から十まで真実としていいのかは分からない。けれどこの一人のプレマンの呵責が本物であるように願う。
プレマン達が撮影した映画のラストシーンの「共産主義者の私を殺してくれてありがとう」なんて、殺された本人が思うわけないのだから。
これのペアである「ルック・オブ・サイレンス」も引き続き見る。
本人達が撮った映画PR番組のインタビューの裏側では、「あれだけ殺してよく眠れるな」とTVスタッフが零している。PRで言われた「人道的にスムーズに共産主義者を処理しています」は、到底多くの人に受け入れられていないだろう。
表では称賛されているが、実態を知る世代にとっては裏では彼らは殺人者なのだ。薄ら寒くて怖い。
刺されたら痛い。自分は殺されたくない。傷付けた相手とその仲間は必ずこちらに仕返しに来る。だから自分から相手を傷付けないし殺さない。こうした考えはシンプルで多くの人が生きている内に持つものと私は思っていたので、なんだか足元が揺らいだようだった。
アジアは白人の実験場!!
長いですが、自分には共感する力が欠けていたという一発ネタ的な内容でした。ドキュメンタリー作品の「イカロス」や「くすぐり」のように、良く作ったなとは思いますが、まるでインドネシア人が自発的に白人の概念である「共産主義者」を殺し始めた様に描かれていますし、このジジイだけの問題に矮小化しているようで特に面白くはありませんでした。小泉や安倍、竹中など日本の新自由主義者に当てはまるのかは分かりませんが、彼らも自分たちが正しいと思ってやっているのでしょう。どの国も白人にそそのかされた一部の人たちが、暴政と虐殺を繰り返す実験場にされていると思いました。日本もTPP加入後は、庶民の酷い暮らしも一気に加速する事でしょう。
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