ニンフォマニアック Vol.2のレビュー・感想・評価
全39件中、21~39件目を表示
後半どんどん神話的になる。 いま愛する、娘的であり、又は性的でもあ...
後半どんどん神話的になる。
いま愛する、娘的であり、又は性的でもある女が、以前愛し、裏切った男と、セックスする。しかも、自分がその男と初めてセックスしたときと全く同じように!
3+5!!
しかもそのセックスする様を見せられる!!
ここまでが劇中内物語のラスト。
もの凄く神話的。
母と寝て親父を殺す。みたいな話がギリシャ神話とかであったような気がする。
あとで調べよう。
その後、これが男の話だったら珍しい話ではない、となって、足元から掻っ攫われた。
終着点はフェミニズムか!!と驚いた。
最近フェミニズムの映画多いから尚更。
マッドマックスとかね。
ジジイのラストは、これまたひっくり返った。途中でこのジジイ怪しいと思ったけど、性的欲求がないと説明するシーンにしっかり時間かけてたので、信じたら、裏切られた!笑
一見良い人そうなおじさんに、裏切らせるとは…しかもチンチンが力無さげで惨めで…
ラースは本当に人間不信だな…
ダークナイトのジョーカーみたいだよ
人間って愚かで、クソみたいだろ?
っていう…
そういえばフランシスベーコンが言ってたな。15の時、道で犬の糞をみて、あー人生ってまさにこれだ、と悟ったっていう…
人を殺さずに、原罪を免れたジョー。
しかしそのあとあのジジイを撃ち走り去る。
結局やはりセオリー通りだ。
出てきた銃は必ず発砲されなきゃダメなんだ。
にしても、このジジイはラース本人だろうなと思った。今までの作品の中で突出してラースの知識をひけらかせてて、ジジイに語らせてる。
て事は、俺もこんな風に説教じみた映画作ってるけど、結局股間でもの考えてるんだ、みたいな。そんでそんな自分はジョーに殺されるって、
お前ストイックすぎ!センシティブすぎ!って思った。
とても参考になったのはアメブロでultramarineってアカウントの人の評論
今作はラース監督自身を描いてるって話。
早く性に目覚め、性に夢中になる様は、ラース監督が、若い頃からカメラを持ち、映画に夢中に。
処女作は苦い思い。ジェロームはユダヤ人。カンヌ=ジェローム。
ラース監督の過去作のオマージュが沢山でてくるなど。鬱の時代は、ジョーの不感の時代。
話を聞いてくれるのは批評家?
ラストはジェロームに痛めつけられる=カンヌでの失言、追放。
"突っ立った"ままの口論が滑稽(苦笑)
前半延々退屈で"K"の下りじゃ眠くなったけど、雪の降るベランダにマルセル一人で向かっていく『アンチクライスト』似のシーン(全然映画はまだ見れずですが)で一気に眼が覚めてった。しかもその後のジョーの行動、"サイレント・ダック"なる裏技(って言うのかな?)、男女の"挿入"が書かれた絵(ジョーが自分の部屋の荷を整理しているシーンですね)いきなり出てきた"燃える車"、そこに対するセリグマンのツッコミ、それと"過激な嘘発見器"と全てに苦笑しちゃってたよ。これってブラックコメディだっけ(苦笑)だけど一番凄かったのが黒人兄弟が"穴"を巡って、伸びた男性器構いなしで口論しているシーンだね(苦笑)"お前らそれより下半身(苦笑)"ってバカバカしくて可笑しかった。
だけどまあ最終的にセリグマンはあの行動か…。ジョーは最後にセリグマンの男性器ごと撃ったのかな?色々モヤモヤ残るけど、悪くなかった2部作かな。
あ、それともう一つ。若いジョー役のステイシー・マーティンとP役のミア・ゴスは可憐なのに体当たりで演じてたから強烈だった。特にPを演じた人、次の映画で今ノリノリのジェイク・ギレンホールと共演だし、今後がすごく楽しみ!
B- (Vol.1は良かったのに…Vol.2のラストが…)
B-
・SEX依存性の話
・もっちろんHなシーン満載
・だけどとても芸術的☆
・SEXを学術的な分野(数学、文学etc.)に例えるのが面白い^ ^
・豪華すぎるキャスト!!
・最後がくそw後味悪すぎ´д` ; 意味がわからんww
ツイッター: @Joey_movies
フォロー待ってます(*^^*)
最高の結末
性感を失ったなまいきシャルロットがSMに行くのは一体どうしたことかと思ったのだが、Sの男が生真面目なお兄ちゃんみたいで面白かった。「尻の高さが気に入らないから今日はなしだ」と言って帰宅させる。彼は性交も射精もせず、インポなのだろうか。
時代設定が古いコードレスフォンなどで90年前後くらいに見えたのだが、それはネットの存在しない時代で描きたかったからだろうか。
シャルロットが子供と夫を捨ててSMに出かけてしまうところは依存症の真にゾッとするところだった。
彼女はその後居場所を非合法の社会に移す。彼女は言い訳も正当化もせず、自分のやりたい道を選ぶ。彼女の居場所は陽の当たる場所ではなく、暗く冷たい世界だ。その覚悟に凄まじさを感じた。
彼女の身の上話の聞き手が童貞の読書家のおじいさんというのも面白かった。彼が無様な最期を迎えるところは最高だった。
蓋を開ければ…
変態監督の色欲灰色コメディの下巻。
作中の時代も下り、もう脱がなくていいゲンズブールの今が中心のせいか、前編よりも裸はおとなし目。
その分、話も見せ場もおとなし目で、凡庸な印象が拭えず残念。
いや、監督の魅力の「毒気」が骨抜きなのが大問題ですよ!
そして其処に群がる、ラース・フォン・トリアーを押さえておけば映画通!
なんて勘違いした文系頭デッカチどもの跋扈が、どうにも鼻についてしまい…
エンドロールの、BECKプロデュースでゲンズブールが歌う「Hey Joe」のカバーはとにかく秀逸だけれども。
話題ほどの事は無い、勘違いオサレのための作品。
ラストの底意地の悪さは監督らしくて素晴らしいけどね!笑
性愛に関しての示唆をいただきましたが、ラストだけは
様々なフェティズムが出ることでの性欲の多様性と、『愛が性欲のスパイス』ということに関してをテーマに描いたのが2だと思う。
男性の僕としては主人公ジョーの視点でもセリグマンの視点を観ていても人間はどう取り繕っても結局破壊的な性欲(これは形を変えるが)に支配されているというテーマを感じた。
しかし最後はあの男が主人公を殺して屍姦するというもっとエグいので終わって欲しかったw
生きてる人には性欲わかないけど、死体だと性欲がわく人種がいるというそんなニンフォマニアックも人間だというところを書いても良かったんじゃないか?
長いのが良い
前後編合わせて4時間、他人のセックスをただ見ているというくだらなさ、最高ですね。まとめれば30分ですむ内容を、この徒労感が出したくて、2巻組にしたんでしょ。この狙いが判るか判らないかで、映画に対する評価も変わると思います。
オチが平凡って書いている人が多いですが。
ラースフォントリアーの映画は、たいていオチがついてます。マンダレイなんて、それこそ落語かってツッコミ入れたくなるラストでしたし。ベタなオチっていうのは、この人の特徴なのに、今さらガタガタ言うのは野暮ですよ。
笑い所は、後半の方が実は多いです。わかりやすかった前半と違って、少し捻ってありますが。わからない人は当然ながら置いてかれます。
お客の方は、自分が映画を選んでいると思いがちだけど。
映画が客を選別することもあるんです、残念ながら。
Vol.2 単独の面白さは無く、物語を完結させるためだけの作品。
全く面白くなかった訳では無いですが。
Vol.2における目新しい要素は殆ど無く、Vol.1同様に期待外れでした。
自らを「色情狂」として自身の経験を赤裸々に語るジョー。
彼女の話を自身の知識と関連付け寛容に許容するセリグマン。
彼等の掛け合いが微妙に咬み合っていない大きな理由が冒頭で明らかに。
…明らかになると同時にセリグマンの口数が随分と少なく。
地味に傷付き、取り繕う努力を放棄したセリグマンに思わず苦笑しました。
しかしジョーが語る話の衝撃度は本作でも残念な感じ。
Vol.1で判断を持ち越した、ジョーの体験談の衝撃度はVol.2でも跳ねず。
若い時のジョーのフレッシュな体験談に比べると更に間延びした印象。
突き抜けた、常人には理解出来ない域にはいかず期待外れでした。
ブラックコメディ要素も中途半端。
小ネタが随所に差し込まれるものの、Vol.1 第3章「ミセスH」には遠く及ばず。
不良黒人2名とジョーの「オレオ」の際のイザコザは少し笑いましたが。
それ以外の部分はイマイチでした。
題名、テーマ、監督の割にやはり衝撃度が期待値を越えなかった本作。
Vol.2 単独の面白さは無く、物語を完結させるためだけの作品という位置づけ。
Vol.1と2を併せてキュッと絞った方がまだ良い作品になったのではないかと改めて思いました。
鬱展開を狙ったラストもイマイチ。
最後の最後まで衝撃度に欠ける作品でした。
個人的に、あの場面は攻守交代でジョーの生まれ持った「色情狂」を発揮して観客共々翻弄した方が良かったと思います。
普段刺激が少なくセリグマンのような生活を送っている方。
オススメです。
十字架。
vol.1&2を観終えて。
性というものに随伴する暴力性。サド的な、或いは、マゾ的なものに、心惹かれなかった者がいるのだろうか?
この作品で描かれる痛みや血を、根っこの部分で欲している自分に目を背けていないか?
表立って語られることの少ないこと、社会的に抑圧されている物事であるが故に、発露する時、より先鋭化するのかもしれない。
そして、女性であるがための十字架について、物思う作品。
急遽の放置プレイ
トリアー、やってくれたな!!!と思った。
食い逃げならぬ、監督逃げのような、終わり方。
観客全員、放心状態。
さすがトリアー先生、ラストのラストを見せるための
vol.1とvol.2だったんですね!!
vol.1で観客をしっかりつかんでおいて、
vol.2でそのまま思いっきり地面に叩きつけられたような感じ。
性、欲望、哲学、人類、道徳、偽善、宗教、救済・・・
そういったものが、まるでレストランの残飯のように、
一緒くたに青いバケツに突っ込まれる。
これがトリアー節だ!
あとは己で考えろ!!
そんな感じ。
人生の節目節目に見たい。
ラストは陳腐だったけど
衒学的、哲学的で、かつ笑えるシーンもありおもしろかったです。あれっこれって、アンチクライストのあのシーンにつながるのっていうシーンなんて音楽もそうだったので笑いました。
ラストでのジョーの決意やその後の出来事の凡庸さは必要だったのでしょうか?
期待を上回る仕上げ!
サマセット・モームの「雨」を思い出した。結局、この結末でいいんだと思う。遠大な回り道をしたけど、ゴールは一緒。男は豚なのである。例外はない。
ゲンズブールへの切り替えどころが、やっぱり早すぎると思った。
最後の暗転。劇場で観ないとあの効果は満喫できないだろう。
一本の木
トリアーの『アンチクライスト』は、パゾリーニ『奇跡の丘』(キリストの受難物語)を想起させたが、本作で中年女が性癖を語る所などはパゾリーニ『ソドムの市』を想起させる。(本作でセリグマンが、「デカメロン」「カンタベリー物語」「千一夜」とパゾリーニの作品名を挙げたのは偶然だろうか。)
『ソドムの市』(原典「ソドム百二十日」)の人々は、悪徳の限りを尽くし、善悪の彼岸を渡る。
それをなぞるように(いささか小粒であるが)、本作ジョーは性遍歴を重ねて行く。
—
vol.1では、ジョーが性の快感を得られなくなった状態で終わる。
観ていて、「そりゃそうだろうよ」と思った。
そもそも、トリアーが性交を「気持ち良いもの」として描いた事があったか?
彼の映画の中で「性交」は常に、罪であり、罰であり、贖いの象徴ではなかったか?
今さら、ただ単に「気持ちイイ」ものとして描かれても、困る。
vol.2で快感が復活するのは、罪の果てのものだからだ。
罪の果て。
それが、トリアー流(ソドム流)に言えば、善悪の彼岸を渡る道筋なのか。
罪の果ての快感こそが、愛や道徳や宗教という既成概念からの解放であり、「救済」なのか。
本作の性遍歴は、既存の道徳・宗教とは真逆のベクトルに向かってはいるけれど、「救済」のための「祈り」のようなそんな側面も見せており、それはそれで一つの「信仰」であり修行のようにも見える。(それは『奇跡の海』などと同様である。)
—
何もかにも犠牲にして、「祈り」のごとく修行のごとく,性交にいそしむジョー。
だが、しかし、ジョーがどんなにヤリまくっても、そこに「救済」は訪れない。
「祈り」は聞き入れなれない。
ヤリまくった先に発見できたのは、自分の孤独な魂である。
何人もの人と交わろうが、結局それは、「壮大な自慰」に過ぎなかった。
ジョーは、誰とも交わらない童貞男に、自分と同種の孤独を見て共感を寄せるが、それも、大きな勘違いに過ぎない。
童貞男は「オレにもやらせろ」=性交しろ=もっと「祈れ」と迫る訳だが、ジョーは拒絶する。「祈り」の拒絶、「信仰」からの解放。
本作で描かれるは、「祈り」を捨てた、天国でも地獄でも無い場所。そこに立っている一本の木の孤独である。
———
ジョーの「祈り」にも似た性遍歴が、結局の所、「自慰」に過ぎなかったように、世の「祈り・信仰」も、己を気持ちよくするための「自慰」に過ぎないのではないか。より「気持ちよく」祈るためには、「罪の意識」というエッセンスが不可欠である。そんな既存宗教へのアイロニーも提示されているのではないかと思う。
(ジョーの行為が、滑稽で笑える一方で痛々しく切実なのは、宗教に入信したり離れたりしている監督自身の葛藤の投影なのかもしれない。)
トリアー作品の多くは、既存の宗教・道徳への痛烈なパロディであるが、本作は、そのトリアー作品自体のパロディにもなっている。
『奇跡の海』『イディオッツ』で描かれた愚者の恍惚、『メランコリア』での滅亡への陶酔。本作もそっち方向へ進むかと思わせて、なんちゃってと舌を出すトリアー。(『アンチクライスト』OPパロディも可笑しい。)
毎度毎度、お騒がせな感じの作風に辟易する部分もあるのだが、それを越えて、面白いなあと思わせる映画だった。
秀作
VOL2はきれいにまとめてくれました。JOEの、路地裏で倒れていたたまでの物語がちょっと尻切れトンボというか、フォン・トリアーだったらもう少しサディスティックにやってもいいんじゃないかとも思いましたが、十分に秀作のレベルに達しているのでいいと思います。
結局は主知主義というのもどこかいんちきくさい代物で、目の前にあるまったくもってつじつまの合わない、正体不明な「自然」の力の前にはひとたまりもないものなのかもしれません。
落ちはまるで古典落語のようにスパッと切れています。あんまりにもきれいにまとめすぎてびっくりしました。結局はフォン・トリアーも自然そのものの「あっち側」のではなくて、常識的で主知主義的な「こっちの人」なんですよね。こういうインテリっぽい作品構成を見ているとひしひしと感じます。あっちに行きたいけど、怖い、こっちにいたままだと苦しい、その辺の絶望が反映された映画かなあと思います。
全39件中、21~39件目を表示