「【”この作品は、R40+で良いんじゃない?”それにしても、ラース・フォン・トリアー監督が構築した極北の世界感とシャルロット・ゲンズブールを始めとした俳優陣の頑張りには驚嘆する作品である。】」ニンフォマニアック Vol.2 NOBUさんの映画レビュー(感想・評価)
【”この作品は、R40+で良いんじゃない?”それにしても、ラース・フォン・トリアー監督が構築した極北の世界感とシャルロット・ゲンズブールを始めとした俳優陣の頑張りには驚嘆する作品である。】
ー Vol.1のレビューには書かなかったが、今作シリーズの主演であるシャルロット・ゲンズブールは、小学生の時に彼女が15歳だった時に世に出した「魅少女 シャルロット」を聴いて以来ずっと気になっていた歌手であり、その後女優業も始めてから幾つか作品を見て来た。
てなわけで、何でシャルロット・ゲンズブールが、ラース・フォン・トリアー監督の極北の三作品に主演したのか、よく分からないのである。Vol.1では、ジョーをステイシー・マーティンが演じていたが、Vol.2は彼女が様々なセックスシーンに正に体当たりで出演するので、劇場では鑑賞しなかった。(と言うか、興味が無かった。)
”ジュ・テーム・モア・ノン・プリュ”のジェーン・バーキンとセルジュ・ゲーンズブールの娘だからかなあ。
だが、オジサンになったからではないが、耐性が付いただろうという事で鑑賞した訳である。(言い訳がましいな。)
◆感想<Caution!内容に触れています。&ちょっとおちゃらけています。>
・Vol2も章立てで進むが、
第Ⅵ章の「東方教会と西方教会」は、ジョーが何故にニンフォマニアックになったかが、キリスト教を引き合いに出しながら描かれる所が、ナカナカである。
ジョーが幼かった時に、身体が浮揚する夢を見て、東と西に”女神像”のような人が立っていたという夢を聞いたセリグマン(ステラン・スカルスガルド)は、即座に”それは、ローマ皇帝クラウディウスの妃であるウァレリア・メッサリア(言い伝えで、売春宿で名を変えて、多数の男を相手にしていたとの事)と、大淫婦バビロンである。”と宣うのである。
ラース・フォン・トリアー監督の意図的に可なり屈折したキリスト教感が伺える。
又、嗤えるシーンではジョーが通訳に頼んで、黒人兄弟とセックスするシーンである。二人はセックスしながら喧嘩を始めるのである。この辺りは映画を観ると可笑しい。序に言えばセックスって、客観的に見ると”変な体操みたいだな”とも思う。
あとは、ジョーが子を産んだ後に、欲求不満が募って若きK(ジェイミー・ベル:君はダンサーになったのではないのか!何でそんなにロープ結びが絶妙に上手いんだ!)が中年のご婦人たちにSMプレイをするシーンである。皆、廊下の椅子に殊勝な顔をして座っていて、Kに呼ばれるとイソイソとついて行くのである。ジョーもソファに縛られるが、散々焦らされるのである。ウーム。そして、ジョーはジェロームと離婚するのである。当たり前だ!
・第Ⅶ章「鏡」
地味な章だが、ジョーが殊勝にSEX依存症の会に出席するのだが、最後は切れて”私は、SEX依存症ではない!ニンフォマニアックなんだよ!”と出席している女性達を罵倒して、場を後にするシーンは、絶対にシャルロット・ゲンズブールはスカッとしただろうなあ、と勝手に思うのである。
・第Ⅷ章「銃」
何と、ジョーはL(ウィレム・デフォー)に雇われて、借金取り立てを始めるのだが、ここでの取り立て方が凄い。椅子に縛り付けて男に色んな話をするだが、真面目そうな男が小児性愛者である事をジョーは見抜いて、男に対しイロイロと囁いて、男の股間が反応してしまうシーンも可笑しい。男の性だなあ。
更には少女P(ナント、ミア・ゴスである。ビックリ!)を後継者として育てろと言われて、”仲良くなってしまう”のである。ミア・ゴスは幾つだったのかな。大丈夫だったのか、ヒジョーに気になってしまったぞ。
<そして、Pの所にやって来た年取ったジェロームは、ジョーの処女を奪った時と同じ方法で彼女とセックスし、彼を撃とうとした(けれども、弾は出ず。)ジョーを激しく殴りつけるのである。(で、Vol1の冒頭に戻る。)
最後に、全てのジョーの半生の話を聞いた”童貞”のセリグマンは、”ゆっくり寝なさい”と言いながら部屋を出るのだが、コッソリと戻って来てジョーを犯そうとして、自ら銃の扱いを教えたジョーに撃たれる音が響くのである。
シニカルだなあ。
今作シリーズは、色々な解釈があると思うが、夫々好きに解釈すれば良いんじゃない?と思った壮大なニンフォマニアックの女性の半生を描いた極北の作品なのである。>