毛皮のヴィーナスのレビュー・感想・評価
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少し疲れた。トマ役がすばらしかった。
オーディションという場はワクワクする。また劇をしながら予期せぬことがおきる、というのも。
テーマがマゾヒズムとうことであれなのだが、楽しんで観ているうちに、それなりに勉強になる。
原作やブロードウェイの作品の方に沿っているのだろうか。
ここでは、トマ役のマチュー・アマルリックの演技がとてもよかった!
言葉の言い方、目の輝き、そして膚の緊張感みたいなものなど、全体から伝わるものが凄くて、楽に吸い込まれていくことができた。
残念だったのはワンダ役。監督の奥さんらしいけれど。
濃いキャラで迫力がある。それはいいのだけど、全体的にうるさく感じた。
特に、彼女は時々二人の演技中に個人的見解を挟むが、(それはおもしろい点でもあるのでよいが)無神経な切り方でブチッと切るので、二人の演技に陶酔中にそれをやられ、その段差でイラッとする。同じことを言うにも、わずかな間を取ったり、感情の入れ方、声のトーンなどで、もっと受け入れてもらいやすくできると思う。
ずっと二人だけの会話で構成され、観る方はそれに付き合う映画だ。あのような迫力を全面的に感じさせられると、飽きるし疲れるのだと思う。
トマ役がよくなければ最後まで観るのはきつかったかもしれない。
【”苦しみと恥辱が徐々に快感に・・。”「毛皮のヴィーナス」をこっそり読んだ事のある人には、面白くも妖艶な、吃驚二人演劇である。】
■自ら脚本を書いた「毛皮のヴィーナス」の舞台の”ワンダ”のオーディションが不発に終わり、ひとり会場で頭を抱えている舞台演出家のトマ(マチュー・アマレリック)。
そこへ無名の女優・ワンダ(エマニュエル・セニエ:因みにご存じの通り、「毛皮のヴィーナス」の美しき未亡人の名も”ワンダ””ですね。)が現れ、今からオーディションをやってほしいと厚かましく彼に迫る。
渋々彼女の相手役を務めるトマだったが、意外にもワンダは、脚本を殆ど見ずに”ワンダ”の演技を魅力的に演じていく。
その姿に、憑りつかれたようになっていく、トマ・・。
◆感想<Caution! 内容に触れています。>
・”ワンダ”を演じるエマニュエル・セニエが、背徳的な衣装を纏いつつ、トマが理想とする”ワンダ”を演じる様。そして、トマを”セヴェリーン”のように扱っていく。
”貴方を一年間、奴隷とする。”
”鞭で打たれたい?”
- ヴェルベット・アンダーグラウンドの”Venus in Furs"が、頭の中を流れる・・。
”Shiny shiny shiny boots of leather・・”-
・が、その後の観る側の予想を裏切る展開に、驚く。
- 舞台を支配する筈のトマが、ワンダによって、徐々に思想支配されていく・・。-
<無名の女優・ワンダと、演出家のトマの立場が、徐々に逆転していく様が面白い。
ロマン・ポランスキー監督、上手いなあ・・。>
真夜中に「スズメだ」いや「夜鳴き鳥」
初ポランスキー!
とある劇場で行われたオーディション。
演目はSMのM〈マゾ〉の語源となった作家マゾッホの小説『毛皮を着たヴィーナス』。
登場人物は女優ワンダと演出家トマ2人だけ、舞台も劇場内から動かないという異色の2人芝居。
はじめは、オーディションに遅刻してきた無名女優ワンダに対し優位だった傲慢なトマが、ワンダにより蔑まれ彼女の力に屈服していく。
芝居と現実が混同していく。どこからが芝居でどこからが現実なのか。
そもそも、やたらこの作品に詳しかったり、奥さんのことを知っていたり、役と名前が同じだったり、ワンダは一体何者なのか。
はじめは安っぽい女だったのが、貴婦人を通り越し痴女になる様子は恐ろしくも美しかった。
とにかく答えを出しにくい。
男性目線としてはトマの「最近は何でも社会問題にしたがる」というのに共感。
一方、ワンダは「この本は女性差別だ」と言い張る。
書いていたら、何言いたいのかわからなくなってきたので、これくらいにしておきます。
エンディングのヴィーナスたちの裸婦像は印象的。
その中でもトリはやはりミロのヴィーナス。
女という生き物を知るための映画でした。
ポランスキーの願望
“マゾヒズム”の語源とされるドイツ人作家、レオポルド・フォン・ザッヘル=マゾッホ。
氏の背徳小説『毛皮を着たヴィーナス』にインスパイアされた、ロマン・ポランスキー監督作。
『毛皮を着たヴィーナス』の翻案舞台化の為、女優のオーディション中の脚本家で演出も手掛けるトマ。自信家で傲慢。
そのオーディションにワンダという無名の女優が遅れて現れるが、粗野で品性も知性も無い彼女にうんざり。
強引に押し切られ、渋々オーディション。すると、役も台詞も完璧に理解した彼女の演技に驚かされる。
オーディションを続ける内に、二人の立場に変化が…。
マチュー・アルマリックとエマニュエル・セニエの二人芝居。やり取り、熱演は見物。
『毛皮を着たヴィーナス』の映画化ではなく、それをモチーフにしたストーリー展開がユニーク。
相手を支配する側だったトマ。
そんな彼がワンダとのオーディション芝居を続ける内に、彼女の魅力に陶酔。支配する側から支配される側へ、今まで感じた事の無かった感覚に快楽を感じるようになる…。
一見、著名作家の名作小説を題材に、人の奥底の欲や本質を掘り下げ…と思えるが、
何で事の無い、SMに目覚めちゃった男のブラック・コメディ。
これは男にとって、願望か、恥辱か、戦慄か。
にしても、トマがポランスキー本人に見えて仕方なかった。
コメディなのか?
面白すぎ
どこまでが芝居でどこからが現実なのか、どちらが奴隷でどちらが主人なのか、どちらが男でどちらが女なのか、どちらがサディストでどちらがマゾヒストなのか。
ころころと入れ替わり、ラストはとびっきりのスパイスを効かせて幕をおろす。
ずっとわくわくして観れたし、ラストには思わず笑ってしまった。こういうタイプの映画は初めてでした。
これは・・・。
舞台劇を映画にしたのはいいのだが、
題材も悪くはないのだが、やはりこの手の映画は見ていて疲れる。
エマニュエル・セニエもマチュー・アマルリックも素晴らしい。
素晴らしいが故に、この演技を映画でされると疲れるのだ。
解釈のための解釈をするような言葉が欲しくなる。
女神は何処へ
パリのうらぶれた劇場で、演出家トマとオーディションに遅れてやってきた女優のワンダがせめぎ合う。
ぼくは男の目線で見ていたのか?現実と劇中、男と女、主と従の関係が幾重にも錯綜する中、観客である自分の立ち位置も混乱していくのだ。
ヴィーナス!徐々にその姿をあらわし、男が作った世界と秩序を粉々に砕き、跡形なくかき消してゆく。「永遠なるものにして女性的なるもの われらを彼方へと導き行く」(ゲーテ『ファウスト』)。
ラストシーンは痛快。
長く感じた
ラストシーンはふっと笑える。
脚本家の男は単純に二人芝居をしているうちに役と自分自身が同一化してきてしまう。というより女優の言う通り、役の男は脚本家自身であったのだろう。否定しても、深層の部分ではそうであったのだろう。しかし女優は女優だった。
映画でなく舞台で見たいなと思った。
寺山修司の舞台を見たくなった。
無残な作品。落日のポランスキー。
80歳を超えたポランスキー、かなりヤキが回ってきています。上映開始20分を過ぎて、登場人物は相変わらず二人のみ。カメラは劇場から外へ出ません。厭な予感がしました。これ、もしかして、極めて退屈な室内劇なのではないのか・・・。結局、予想通りでした。70年代に、ローレンス・オリビエとマイケル・ケインが出演した「探偵 ースルースー 」という、登場人物が二人だけの滅法、面白い映画がありましたが、この作品は登場人物が二人だけという手法が完全に裏目に出ています。イヨネスコやベケットの戯曲がいくら優れていても、それをそのまま映画化する監督はまず、いないでしょう。全ての戯曲が映画に適しているわけではないのです。人間、老けこんでくると動きの少ない、科白だけに頼る極めて退屈な映画を撮るようになることが多いのです。フェリーニ然り、アントニオーニ然り。まあ、本作品は第一級の失敗作であることに間違いはないと思います。
尚、この作品は演劇を学んでいる人にとっての反面教師的教材になるでしょう。そういう効用はあるかもしれません。
主演2人の濃厚な怪演を堪能する作品。
映画「おとなのけんか」のロマン・ポランスキー監督作品。
「おとなのけんか」は子供同士の喧嘩を発端に2組の夫婦が喧々諤々の討議をする話で。
舞台は片方の夫婦が住むアパートの一室。
男と女が味方に/敵にアッチコッチする不毛な議論を。
上映時間76分という非常にタイトな中に詰め込まれた遣り取りは最高でした。
本作。
本作の舞台は古びた芝居小屋の客席と舞台のみ。
更に登場人物はトマとワンダの2名のみ。
主演2人の熱演、いや怪演に圧倒されました。
ワンダを演じるエマニュエル・セニエ。
冒頭の登場場面では粗野な印象をガチッと植え付け、演技画面での劇的な変化で魅せる。
熟れて半ば崩れかけた肉体が醸し出す雰囲気も相まって強烈な個性が。
演技の場面でも繰り返される緩急に応じてスイッチがカチッカチッと切替わり、その表現力の高さに圧倒されました。
対するトマを演じるマチュー・アマルリック。
冒頭の強気な表情/態度から徐々に情けなさが増してくる。
その屈辱と被虐の悦びが混在する表情。
その表情にハッとさせられ異常な雰囲気に呑み込まれます。
かと言って重苦しい雰囲気ではなく何処か滑稽。
真面目にやっているが故の、心の奥底に隠された本性が露わになったが故の可笑しさ。
放られた携帯電話に反射的に手を伸ばす情けなさには思わず笑いました。
話自体も演者の演技力を楽しむ構成。
トマが脚色した「毛皮のヴィーナス」の脚本をトマとワンダで本読みする。
そして随所に差し込まれる作品に対する両者の討議。
現実の世界と演劇の世界を行ったり来たりする内に、その境界線が段々と曖昧になっていく。
境界線の行き来が繰り返されるため演者の演技力の高さをより楽しめる。
話の内容云々は別として演技力を楽しむ構成には好感が持てました。
惜しむらくは上映時間96分。
固定的な設定の中で話への集中力が持続するか懸念がありましたが。
昨今の作品と比べて短い部類ではありますが…それでも冗長感が。
「おとなのけんか」同様に70分台であれば疾走感があって楽しめた気がします。
主演2人の濃厚な怪演を堪能する本作。
終盤の展開は好みが分かれる所。
確かに序盤から端々で前振りはしていた気がしますが。
あまりの展開に圧倒を通り越して呆気にとられ。
「ナンジャ、ソリャ」と思わず口から漏れ、若干の置いてけ掘感を感じつつ劇場を後にしました。
その置いてけ堀感も含めて濃ゆい作品でした。
オススメです。
退屈でした
全くの室内劇を描いた映画は、ままあるが、前回とほぼ同じ形式を用いた「おとなのけんか」は面白かったのに、今回は2人しか出てないせいか、いかんせん物語の広がりに欠け退屈でした。
舞台劇をそのまま映画にした感じなので、わざわざ映像化する必要はないというか、映画向きの戯曲ではなかったですね。
溺れる男、女は…
登場人物わずか2人。演出家の男と女優が、現実とフィクション、SとMの境を行ったり来たり。俳優の演技力が要求される作品で面白かった。ただ、オチは「そんなもんだよね」と言いたくなるくらいに俗な印象。
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