哀しみのトリスターナのレビュー・感想・評価
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美しいカトリーヌ•ドヌーブ
トリスターナがだんだん悪女になって行くという描き方であるが、
ロペというおじいさん、酷すぎる。
今なら未成年への性的虐待で犯罪になるのでは?
この時にちゃんとした父親であったなら、
トリスターナも家出することなく居着いたのでは、と思う。
駆け落ちした男のことは、本当に愛していたのかわからない。ただただロペから逃げ出したいからだったのかも。
男は、トリスターナの病状の重さを自分で抱えることができずロペに帰した。
そこまでの愛である。
右脚を失ったトリスターナを元気づける為に、
男に自分の留守中見舞ってやってくれるよう頼み込む程心配する。
男とは自然消滅して、今後のことも考えてか
ロペと結婚する。
以前と違いロペに指一本触れさせない。
弱っていくロペ。
いよいよとなった時トリスターナは?
【自由】
フランコ独裁末期のスペインのマドリードからほど近い古い街トレドが舞台だ。
カトリーヌ・ドヌーヴは、「昼顔」より、こちらの作品の方が気に入っていると話していたことが記録として残っている。
この作品は、トリスターナが足を切断せざるをえなくなることもあるが、脚フェチを思わせる場面が出てくる。ヒッチコックはこの脚フェチ表現を気に入っていたようだ。
谷崎潤一郎もいくつかの作品で脚フェチと言われたりするが、実は、この作品の脚はフェチというより、自由のメタファーではないのかと思う。
トリスターナは、16歳で母親を失い、貴族のプライドにしがみつき働くことを良しとしない老貴族ドン・ロペの養女になるが、ドン・ロペは、トリスターナを次第に女としてみなすようになり、愛情を注ごうとするが、トリスターナは次第に自我に目覚め、他の男を愛するようになり、駆け落ちをする。
ところが、病気でトリスターナはドン・ロペの元に結局帰ることになるが、脚を切断せざるを得なくなり、ドン・ロペと結婚し、“自由を放棄”せざるをえなくなったように見せて..。
ドン・ロペは一族の財産を相続し暮らし向きは改善するが、年老いて衰えが隠せなくなり、トリスターナは自由と財産を手に入れるのではないか..というところで映画は終わりとなる。
トリスターナという女性を通じて、自由が抑圧された状況だったフランコ独裁末期のスペインに重なる物語でもある。そして、偶然なのか、予感があったのか、フランコ独裁は、この数年後に終わりを迎える。
仮に片方の脚(自由)を失っても、片方が残っていれば、自由が完全に失われたわけではない。再び立ち上がり、自由を獲得することが出来るかもしれないと云ったメッセージも含んでいるような気がする。
また、舞台になったトレドは、エル・グレコの作品が有名だが、歴史的にはキリスト教徒やイスラム教が攻防した都市で、そんな背景も、この物語に奥行きを持たせているのではないかと感じさせる。
慈善 と 偽善
ドン・ロペは鷹揚に構え 手持ちの品を売る時も値引き交渉などしない
(世間体はよい)
(教会には行かないが 善行を施している… と考えている)
孤児になったトリスターナを引き取り 養父になる
が、軟禁状態にして〈世間から遮断〉しておき、父親の権威を振りかざしながら
無垢、無知、無防備の娘の混乱に乗じて
関係する
成長するにつれ 彼女の意識は目覚め始め
自由に外出し、画家と恋に落ちる
男性不信もあるのか
芸術家の身勝手さも察知したのか
束縛されるのが嫌なのか
結婚はしない
自分も働くつもりだった
が、病に倒れ、死を覚悟しロペの元に戻ることを選択
どーせ死ぬのだし… と、考えもする
画家のお荷物になることを危惧したのか?
ところが 片足を切断して生還し
いまや〈憎悪の対象〉となったロペと再び暮らすことに!
〈愛〉を知ったばかりに
彼の行為への怒りは更に募る
(画家とは終わる)
遺産が転がり込んで 金持ちになった彼は
慈善活動にも精をだし 司祭たちとも知己になる
彼は傷ついた彼女の面倒を見、善行を重ねていると考えている
(内面の傷は?)
そして 不適切な関係を指摘され、二人は結婚する
ロペや司祭たちの とってつけたような善意と正義
そして 無自覚の悪意と欲望
トリスターナは 彼等がくつろぐ部屋の外を
呪詛の念を唱えるように
松葉杖の音をたてながら往復する
また足が不自由になった後
妙に 馴れ馴れしくなった幼なじみの中に
同じものを見つけた彼女は
ガウンを開き〈裸体と傷〉を深い軽蔑をもって
半笑いで見せてやるのである
そして 激しい雪の夜
苦しむドン・ロペに医者を呼ばず、窓を開け放つのだ
これで呪縛から解放されるのだろうか
司祭とその教義も彼女を救いはしなかった
酷薄な表情のトリスターナと
フィルムを巻き戻して無垢だった頃の彼女の姿を対比させ、因果関係も示唆している
色々考えさせられました
ブニュエルの1970年の文芸もの
原作者のベニート・ペレス・ガルドスは スペインの国民的な作家らしく、ビリディアナも彼の作品を基にしているのね
宗教に懐疑的な話ですが、スペイン人と宗教との関係の深さを感じました
氷の女王
「華麗なるフランス映画」という企画上映で(数十年ぶりに)見たが、ブニュエルやアントニオーニをフランス映画というくくりに入れるのは違和感があるな。この映画など全編スペイン語で、舞台もスペインだ。ま、たぶん俳優中心に編んだ企画なんだろうけど。
ブニュエルの即物的で情け容赦ない筆致はここでも徹底している。あと、夢の唐突な闖入も。フェルナンド・レイはブニュエルの作品にたびたび出演しているが、ほぼ同じような役柄で、監督自身を投影しているのかもしれない。
レイ扮する老人が仲間と歓談している横を、トリスターナが松葉杖の音を響かせながら何度も往復するシーンが怖い。
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