劇場公開日 2014年9月6日

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「エンタメの戦略的な発展」監視者たち 津次郎さんの映画レビュー(感想・評価)

5.0エンタメの戦略的な発展

2021年11月25日
PCから投稿

たびたび韓国映画に衝撃をうけてきた(いま思いつく限りだが)ペパーミント~オアシス春夏秋冬~子猫をお願いクムジャさん猟奇的な彼女甘い人生チェイサー哀しき獣復讐者に~オールドボーイグエムルオクジャパラサイト釜山行きはちどり・・・。
韓国はエンタメ系も強いがアート映画も強い。

ところで韓国(政府)は日本に恒常的な不服を打ち続ける国。そもそも日本を仇敵にするように教育する国柄である。日本海竹島日章旗慰安婦徴用工・・・いちいちうるさい。だから日本人として韓国が好きではない。

だがドラマ・映画は韓国製のほうが面白い。日本製よりずっと。時代とともにその差は広がってきた。韓ドラはもう冬のソナタの時代ではなく韓国映画は鯨とり(1984)しかなかったころとは比較にならない。
日本は70年間変わらず黒澤と小津──だが韓国は進化している。とかなんとか──そんな話をし続けて、はや四半世紀年が経過している。
だから日本人なのに韓国製ドラマ・映画のほうが好き──ということになる。

(個人的に)韓国の映画やドラマをレビューするたびにそのジレンマをかんじる。
なんの影響力もない誰にも知られていない一介のレビュアーに過ぎないが「嫌いな韓国」と「好きな韓国コンテンツ」の矛盾をどう折り合いをつけるべきか、わりと気になる。

庶民の消費生活なので、好きにすりゃいいのだが、国をあげて恨まれ誹られ不買されている国のコンテンツを喜んで享受している──って変ではなかろうか。
犬猿であるはずの国のドラマ/アイドル/映画に、熱をあげているのは、わりと妙な構図だと思っている。
かといってなにか策があるわけじゃない。ただ漠然と思う──だけなんだが。

この映画も面白くて衝撃をうけた。リメイク元の香港映画を知らないのだが、そのプロットもさることながら、演出が巧く、出演者の魅力が余すことなく引き出されていた。とりわけヒョジュがよかった。

──

(東京)オリンピック中、ある作家がSNSに、バレーボール女子韓国代表について言及した内容が波紋を呼んでいた。
発言がよく燃える右系の作家なので、小ネタ提供ていど──のニュースだったが、個人的にはよく覚えている。

ニュースから切り取るが──(日韓戦を見て)『女子バレー、日本と韓国を見てるが、韓国人、全員、顔のレベルが高い。オリンピックということで、おそらく全員……おっと、これ以上言うたら、また炎上するから言わん』とツイートした、とのこと。

かつてのように韓流ファンだけでなく((ネットフリックスなどの)ストリーミング配信サービスが日常化したこともあって)今、韓国のドラマ・映画は国民全般に人気が高いので、すでに多くの日本人が気づいている(と思う)が、韓国には整形手術に因らないナチュラルな美形が意外と多い。

たしかに整形の痕跡はよく見かける。整形後の経過時間が短い不自然なふたえ=あばれているふたえの俳優が、かならず何人かドラマに配置されている。が、同時に素のままのきれいな人もよく見かける。

(今思いつく限りだが)本作のハンヒョジュ、ペクジニ、キムオクビンその妹のソジン──うつくしさと「整形していない定評」を同時にもっている女優は多数いるし、キムゴウンやパクソダム、ハンイェリら、ひとえのままの自然な顔立ちも大きな人気と需要を担っている。
さらに──あちらの子役はそろって端正な顔立ちをしている。いうまでもないが、子役がきれいならば、広汎に整形疑惑をふっしょくできる。
また韓ドラでは主役女優もさることながら、脇役or仇役女優も粒揃いなのは定石で、三四番手もしくは端役の人が、きれいなことがよくある。

さいしょは疑って見ていた人でも、韓国ドラマ・映画をいくつか見るうちに「韓国ってわりと素できれいな人が多いんだな」と、いやでも気づく。わたし自身、後になってそこに気づいた。
そこに気づいたならば「韓国人はみんな整形している」なんてのは時代錯誤もはなはだしい発言──と感じるのにやぶさかではない。
ていうか、そんなのは昭和期の発想──ではなかろうか。

ましてたんに整形のことを言うなら、わが国にも大勢いる。整形をやったひと、それを何度かやったひとは、かならず同じ顔=ドナテラやJocelyn Wildensteinへ近づく。どんどん化けていく長○川さんや平○さんや広○さんにその気配をかんじるのは気のせい──ではない。(奇しくも三者とも×がついた。)

だが整形はわるいことじゃない。やりたい人はやればいい。
よって発言は二重の古さ──韓国人はみな整形しているという誤認と、整形は悪という旧弊な考察──を持っている。

しかし──それだけならばこの発言は気にならない。
この発言を妙に覚えているのは「日本は韓国より顔のレベルが落ちる」と言っているに等しいから。右系文化人がその迂闊さに気づいていないばかりでなく、バレーボールのゲームを見て顔のことに言及していることが、なによりキモいから。
試合とはちがうところに着眼している点において、女子スポーツをエロ目当てに見る視点といささかも変わらない。

個人的には韓国のバレーボールチームは整形をしてはいないと予想したが、整形したにせよ、していないにせよ、(作家は)わざわざ「韓国の女子バレーボールチームはきれいどころ揃いだぞ!」と喧伝したばかりでなく、スポーツ観戦しながらじつは品定めをしていた自らの下衆を露呈してしまった──わけである。
バレーボールチームの顔の造形はオリンピック精神に関係がない。まして顔のレベルとはなんだろうか。いったいどこを見ているのか──という話である。

とはいえ──じっさいには、ほとんどの日本人が、オリンピックを「そういう目」で見ていたと思う。SNSが発展した現代社会では、好ましいボディイメージこそが、勝率の高い正義──と言える。くわえてアジア人の多くは白人に憧憬を抱き、みずからのボディイメージにコンプレックスを持っている。

だからスポーツの祭典で顔や肢体をくらべ──優生もしくは見劣りをそこに見いだす。見いだしたとて、ふつうは黙っておくことだが、作家のように、何か言ってしまうひともいる──という話、である。

──すなわちこの作家も一種の矛盾をかかえている。下げたつもりの発言が、じっさいには「韓国人はきれいだぞ」にしかなっておらず、韓国人は日本人よりきれいだと公言してしまっている。さらに意訳すると韓国はきらいだけどきれいな韓国人はすきかも──てな感じ。右を標榜しながら矛盾を露呈してしまった。わけである。

冒頭で「嫌いな韓国」と「好きな韓国コンテンツ」の矛盾、その折り合いをどうつけるか──を個人的な感慨だと述べたが、あんがい日本人の多くがそれを抱えている気がしている。

本作は演出がスコセッシみたいに畳み掛けてきた。のに加え、各好演が光った。いつも重いので、本作の軽い(だけどやるときはやる)ソルギョングもよかった。ノワールに徹したウソンもえぐい。だけどなにしろヒョジュがよかった。ほんとにきれいだった。

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津次郎