「受け継ぐことと煌めきと」海街diary parsifal3745さんの映画レビュー(感想・評価)
受け継ぐことと煌めきと
1度目は適当に見ていたからか良さがわからず。他の方のレビューの評価が高いのを見て2度目を一人で視聴。是枝監督の次第に紐解かれていく周到な演出とストーリーを堪能した。
女ができて家を出ていった父が亡くなって、その父の葬式に行ったら、最初の女との間にできた腹違いの妹がいて、それを引き取ってという物語だった。後で明らかになるのだが、残された母は、男ができて3人娘を引き取ろうとしたが、叔母に反対されて家を出て北海道へ。
長女の幸は、看護師で父母がいない分、姉妹の面倒を見ることで、口うるさいしっかり者に。次女佳乃は、奔放な性格で、男をとっかえひっかえし、酒と男をモチベーションに生きている感じ。三女千佳は、甘えっ子で、おっとりしていて、あまり深く考えていない。山形から出てきた腹違いのすずは、幸に似てしっかりしている。
幸がすずを引き取ろうと思ったのは、すずが、父を愛情をもって看病していたこと、父とすずの好きな場所が、鎌倉を一望に見渡せる丘と酷似していたことを知り、父の優しさをすずの中に感じ取ったからだろう。
3人姉妹、親子だけあって、父や母の似た部分を持っている。長女幸は、妻と別れていない男性医師と不倫の愛を育んでいる。次女佳乃は、母に似て、ダメな男にばかり惚れてしまう。三女千佳は、父親に似て、釣りをしたいと思っている。父や母をダメな人と言いながら、自分たちの中にも、同じような部分があることを次第に自覚していく。すずは、母が死に父が再婚したことで継母の下で暮らし、甘えることでできず育ったのは、幸と同様。幸やすずがつらい立場に陥ったことを、今度は自分がしようとしていると感じる幸。
家族の性格的な遺伝を引き継ぐと共に、鎌倉の古ぼけた実家を引き受け、家族の伝統的な催しである梅酒づくりを引継いだり、残されていた浴衣を着たりする辺りは、家族で暮らすことの意味を象徴していた。
法事で母が帰郷したことで、3人姉妹とすず、母が、相手と向き合うと共に、自分の気持ちと向き合った後、幸は、「誰も悪くない、仕方がなかったのだ」と悟り物語は動き出す。自分のどうしようもなさと向き合って、人を許し自分を許し生きていく。
幸は、付き合っていた医師から米国行きを誘われるが断る。ダメだった父と同じ道を辿らずに、つまり自分中心な幸せを選択せず、残された者たちの幸せを考えて残る。佳乃は、海猫食堂の女主人が亡くなっていく時に仕事で関係し、地に足が着いた生き方を始める。千佳は、運動具店の店長を釣りに誘って一歩踏み出す。
すずが梅酒を飲んで、酔っぱらって母をなじるシーン、鎌倉を一望する丘に登って、幸とすずが叫ぶシーンなど、小津安二郎の映画のテイストに似た感じ。家族の一人一人の思いが紐解かれ、最後に感情を表出する所が似ていた。
桜は、死と再生の象徴として登場し、アジフライや生シラスなども受け継ぐものとして使われていた。すずが花火を見に行くシーン、4人で花火をするシーンは、華やかな帰結を象徴すると共に、複雑に感情が入り組んでいる様が変わりゆく様子を表しているかのように映った。
音楽では、海街を意識してか、ビスコンティの「ベニスに死す」のマーラー交響曲第5番のアダージェットに似た、海の上を漂って、光が煌めいているかのような音楽が美しかった。全体的には、美しさ、軽さ、煌めきを意識した感じで、海街に住む女たちにフィットした音楽だった。
一人一人のどこかダメな部分を意識しつつ、それを受け入れ、寄添う過程で、奥底に秘めた思いなどの美しさややるせなさを大切にし、家族の中の物や文化を引き継いでいこうというテーマ性を感じることができた。
このように丹念、繊細に日本的な家族における感情の機微や問題点を描けるのは、是枝監督だけではないかと思う。これを更にデフォルメしていくと、「万引き家族」「海よりまだ深く」「真実」になっていくように思える。