雪の轍のレビュー・感想・評価
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荒れ野を野生馬が駆け、アールヌーボのインテリアに包まれ、シューベルトが奏でられ、パソコンのキーが鳴る。
カッパドキアという異形の居住空間、窓から差し込む柔らかな光、、あるいは雪が舞う風景、人間の世界はつくづく美しいと思う。そして、その世界はどこまでも悲しい。ひと独りは人を求め、人と抗い、人と和し、そしてまた独り生きる。
トルコのアナトリアは6000年の人間の住処。映画はしかし、決して大仰に歴史を政治を語るわけではない。荒れ野を野生馬が駆け、アールヌーボのインテリアに包まれ、シューベルトが奏でられ、パソコンのキーが鳴る。
ルイ・デリ・ジェイラン監督は映画賞連続受賞だ。アテネ・フランセで彼の全作品を上映する映画祭があるという、是非見てみたい。
混沌
人たるものの性質が、粛々と描かれてる。
見応えはあるが、説教くさいので退屈だ。
なので、若干、寝た。
カンヌのパルムドールなのに、日本では盛大には歓迎されてないようだ。
なぜだか、考えた。
この映画が語るような事には、我慢という答えを持ってる民族だからかと思う。
まあ、我慢しない事を推奨してたりもするのだが…日本では、まだ美徳とされてたりするのでね。
その事への報酬は現世ではなく、来世もしくは死後の世界において還元されるというオマケまで付いてる。
それぞれが、誰かの代弁者にはなってるのだろうけど、それをやっちゃ、逆効果だとか、その一線は踏み込んじゃだめとか、分かりそうな事なのに、やって傷つく。
ま、それも真理だし、その経験は貴重だ。
それぞれが、それぞれの立場で正論を吐くので鬱陶しい。
こりゃ戦争がなくなる事なんて無いわと改めて思えた。
なので、これからは戦争をするという前提で世界平和について論じようではないか。
辺境のあんな小さなコミュニティーでさえ、人は争える習性をもつのだ。
…間違ってないけど寂しいよね。
ただ、流れのない湖で、水が腐っていくような…そんな閉塞感を漂わせてる。
最後のカットは何で終わるのかと思ったら、建造物だった。
人の喧騒とは、別の時間軸のものが最後のカットだった。
余談だが…映画の撮り方はある程度は世界共通だと思ってたんだけど、この作品はなんか違う手法というか、異質な撮り方をしたのかなと思えたりする。
なんか…変。よい意味で。
心に沁みるシューベルト
カッパドキアの洞窟ホテルのオーナーである元舞台俳優のアイドゥンとその若い妻、そして出戻りの妹の三者が、互いの生き方を批判しあう会話が映画の中心。その会話劇が繰り広げられる室内撮影の陰影とアナトリアの風土を美しく切り取るロングショットの対比が素晴らしい。
この三者共に批評は的確に相手の欺瞞をとらえる。そして、それがことごとく観客自身のことを突いてくるのだ。例えは、アイドゥンの文筆作業を批判する妹の言葉はこちらの心に突き刺さる。「浅はかな知識で偉そうに、、、」とは、いまこうして映画の感想など書いている自分自身への批判に聞こえて耳が痛い。三時間余りこのように自分自身への批評を耳にしなければならない観客は疲労困憊する。
登場人物たちは、相手のことは批評できても、自分自身のことはどうにもできない。自己欺瞞に気づいていながらも、そのような自身の生き方を変えることはできずにいる。
いかなる政治的な立場から誰かへの批判を述べても、こちら側の欺瞞や傲慢さをすぐさま指摘されてしまうという、極めて現代的な問題が閉ざされた家族の会話を通して提示されている。
人から与えられた金や善意に価値の違いなどあるはずがないという観念自体が、自分の傲慢さに過ぎないことに気づかされていく。
今を生きることのしんどさをあぶりだすことに成功した作品。
難解だし、地味な作品である。このように疲れる現代という時代にこそ、シューベルトのピアノが心に沁みる。そのことだけは、どんな見方をした観客にも伝わったのではないか。
イスラム色を排して勝ち得た普遍性。
冒頭部分のエピソードと結末部分がうまくつながっていたので、一見、映画としてはまとまっているように見えますが、上映開始後、2時間近く、これでもかと言わんばかりに延々と続く、兄と妹、あるいは夫と妻、(ここでは、兄と夫は同一人物で、家主でもあり、文筆業にも手を染めています。本編の主人公です)のどうでもいい不毛な議論には些か白けました。この冗漫な部分、どうにかならなかったのでしょうか。科白だけで説明しては映画の価値が下がるというものです。
私にとっては久しぶりのトルコ映画(多分、「路」、「群れ」以来)であったので、他の国にはないトルコ的なものを期待していたのですが、実際には、イスラム色を排した、日本や欧州、北米などと共通した話題を取り扱った映画になっていました。逆に言えばそれだけ、普遍性がある、と言えるのかもしれませんが・・・。その点がなんとも、もの足りなかったです。
強いて言えば、ガウディの建築物にも似たカッパドキアの風景がトルコ的な「何か」を訴えていたのかもしれませんが、私にとっては、結局のところ、取ってつけたようなものでした。
期待も大きかっただけに、この薄味の内容には失望しました。また、無駄に長いな、とも感じました。
美しさから引き立てられる汚れたもの、あるいは汚れたものから引き立てられる美しさ
かなりの長尺で、しかも終始澱んだ内容で、どっと疲れました。
美しいカッパドキアの風景と、それと相反するかのような人間のエゴとが交錯することで、いつの間にか引き込まれていく─反駁するものに決して安易な和解的解決策・演出を織り込まず、心と心が断裂されっぱなしで淡々と展開されるそのストーリーには感嘆させられるが、見ているこちらも救済されるところが少ないので、非常に疲れます。
まるでテオ・ゲンゲロプロスのような映画だと思います。カット数が多いところが大きな違いで、美しい背景と人間の醜態の対比といったものは、まさにアンゲロプロス。ヨーロッパではこういう映画が評価されるのかもしれない。
心して観るべし!
カンヌのパルムドール大賞受賞作。 カッパドキアに暮らす地主の主人公...
カンヌのパルムドール大賞受賞作。
カッパドキアに暮らす地主の主人公と周囲の人々との複雑な人間模様を描く。
ちっちゃなこだわりやプライドを拠り所に生きる人々をみて、生きがいや幸せを得ることの難しさを感じる。
ちょっと退屈だけど、よく言えば文学的。
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