「アダムの創造」LUCY ルーシー レールデュタンさんの映画レビュー(感想・評価)
アダムの創造
脳が100%使えるようになったら?
ルーシーという女性がアクシデントによって脳が覚醒し、徐々に人間性を失っていく。
20%のとき、母に電話して泣くシーンは、ルーシーの人間としての死を表しているのではないかと感じた。
また、映像にドキュメンタリーのような演出が多かったのも面白かった。
動物や、脳のカウント等。
だが納得がいかないのは何故どのSFも「肉体」「器」を捨て、「魂」「精神」と呼ばれるような存在になるのかということだった。
それは結局「肉」からの解放、死の神聖化なのでは…?
あと、終わり近くで神格化した「ルーシー」が人類最初の猿人「ルーシー」に名画ミケランジェロの「アダムの創造」と同じく指と指を触れ合わせるシーンがある。
これはいくつか疑問が残った。
・大衆が理解しやすいように
(でもこの作品のテーマは「進化」なら、宗教的要素はなくても良いのでは?なくても充分成り立ったのではと思う。)
・神「ルーシー」が始まりの「ルーシー」に生命(知識)を与え、人類の始祖となった?
(これはストーリー的にはすごいロマンチックだし、よく練りこんであるなと感じた。)
・現代人には神「ルーシー」が見えない。だが、インディアン、恐竜、猿人には「ルーシー」を認識することができた。
(この違いは?昔は持っていたのに、今ない物とはなんなのか?)
名画を前半に映したりと、映画の伏線回収としては申し分ないが、難しい。
だがよく考えることができる良い作品だったと私は思う。
また他のレビューではあまり良く言われていないが、私は脳のカウントや、脳の覚醒の予想に使った古い映像が美しいと感じた。
その方が私たち(大衆)が理解しやすい。無理にCGを使い新しいシーンを作ろうとするよりも、ずっとイメージを抱きやすいし、あれだけ最新の技術を使いながら、私たちの理解に合わせてあの映像を使ったのは納得ができる。
商業的な面と自らの目指す方向性の兼ね合いをつけているリュックベンソン監督は素晴らしいと思う。
(好きな映画監督だという贔屓目はあるが。)
また映画、「フィフス・エレメント」にもアジア人が少しでも使われていたのをみると、リュックベンソン監督はアジアに対して何か感じるものや好きな所があるのかな、とも感じた。
あくまでも私の私見ですが、以上です。