劇場公開日 2014年5月2日

「ワンテイクですがなにか」三谷幸喜 大空港2013 津次郎さんの映画レビュー(感想・評価)

5.0ワンテイクですがなにか

2021年3月9日
PCから投稿

三谷幸喜をはじめて意識したのは、おそらく大空港2013です。
わたしはこの有名な劇作家のことを知らず大空港2013によって漸く認知したわけです。その後いくつかの映画やドラマを見ていますが、個人的に大空港2013に勝る三谷幸喜はありません。

脚本・監督作品を漏れなく見たわけではありませんが、三谷幸喜の特徴を把握したと思っています。その最大のポイントは「破綻がまとまる」だと思います。
登場人物らが、その行動や言動によって、時間がたてばたつほど、エントロピーが増大するように、にっちもさっちもいかなくなっていきます。
見る者としても、コレもう、どうしようもなくね?ってところまで混乱します。
それがまとまるのが三谷幸喜です。
カオスを大団円にもっていってしまうのが特徴で、思えば、カメ止めは三谷幸喜のようでもあった──と思います。

その特徴にくわえてワンテイクの「枷」が大空港2013にはありました。
個人的に、長回しは、見る人にとってなんの意味もない、と思っています。
タルコフスキーの長回しならば話は別ですが、映像の天才でなければ、ふつうに考えて、カットしないで撮った──だからナニ?ってはなし、です。

1917やヴィクトリアは、長回しだから、いい映画なのではなく、1917は一兵卒が背負った責任をまっとうするのが崇高なのであり、ヴィクトリアにはワンシティワンナイトワンテイクを感じさせないリアリティがあったからです。

長回し=ワンテイクが傑出する理由は、映画の素の面白さが、それ(ワンテイク)に依存していないときだけです。長回し自体には、なんの意味もありません。意味がないので、もし長回しをするなら、なぜ長回しをするのか、なぜ長回しでなければならないのか、根拠を据えなければいけないと思います。

大空港2013は、三谷幸喜的世界が面白かったわけですが、ワンテイクが、なにか寄与していただろうか?と考えてみました。
思い当たったのは「緊張感」です。
だれかが、噛んだらお終いです。それこそけん玉100人チャレンジです。99人目が失敗しても撮り直しです。
ただし、みんな演技派なので、緊張が意外に見えないのです。
それを解く鍵は、青木さやかでした。そうそうたる面子のなかで、青木さやかは、生粋の演技人ではなく、心臓が飛び出しそうになっている──みたいな演技を見せます。むろんそれは面白い絵になっていました。

生瀬勝久が一瞬噛みそうになる場面があり冷や冷やさせましたが、あとはみな堂に入ったものです。竹内結子なんて、何頁になるかわからない台本を涼しげに演じていました。さすがでした。

ところで、わたしがもっとも印象に残ったのは石橋杏奈と梶原善のカップルです。いずれも芸達者なふたりですが、おそらく梶原善は初見だったと思います。
困ったような顔が、すごく語る名バイプレーヤーで、キムタクと長澤まさみのマスカレードホテルでいちばん印象的だったのは梶原善でした。
ただ大空港2013のときは初見であり、相手が端正なお嬢様風の石橋杏奈だったこともあり、だらしない見ばえの梶原善にかるい嫌悪をおぼえたのです。彼はバツ3で、25歳の年の差カップルでした。
「なんでこんな変な男に惚れちゃうかなあ」って感じです。
とうぜん演出上の仕掛けでした。

いったん彼「ポチくん」(梶原善)が大金持ちとわかると、全員が「なんだ、はやく言ってくれよ」みたいな感じで納得するのです。
それは、ドラマ内の登場人物だけの納得ではありませんでした。
見ているわたしも、それで完全に納得したからです。金持ちならば50歳と25歳のカップルは有りです。有りどころか、むしろ適切な組み合わせの勝ち組です。
これは脚本上の気転であると同時に、自身の現金さに気づく瞬間でもあった──と思います。
三谷幸喜には、そんな鮮やかなどんでん返しがあります。
土壇場でゲイをカミングアウトする祖父にも言えます。
アクロバチックな解決によって「破綻がまとまる」のが三谷幸喜なのです。
それがもっとも面白くあらわれているのが大空港2013だと思っています。

大河内千草が生きていたら、再び松本空港で、再びこの面子で、大空港202xをつくってほしかった。つくづく思います。

コメントする
津次郎