「スカイネットが完全破壊される日は遠い」ターミネーター:新起動 ジェニシス REXさんの映画レビュー(感想・評価)
スカイネットが完全破壊される日は遠い
ハリウッドでは、賛否の割れそうなラストシーンを迎える場合、いくつかパターンを作っておいて、試写での反応をみて変更することが多々ある。推論だが、この映画もそうだったのかもしれない。
私は、あのまま「おじさん」が消えてなくなる方が、話の終わらせ方として最高だと思った。
合体しろとうるさく小言を言う微笑ましさ、未来へ送った二人をひたすら待ち続ける老いぼれた姿、とどめに「俺のサラを守ってくれ」という台詞にじわじわと胸を締め付けられてきた時間を、完璧なものにして欲しかった。
ターミネーターではあの拭いきれない不安感と、カイル・リースの喪失がただならぬ余韻を残していた。
そんな切ない余韻は要らないとばかりに、次回作を匂わすありきたりなラストにはちょっとがっかり。
改めて批評すると、この映画はリブードでもなくリメイクでもなく、もちろん純粋なシリーズものでもない。
パンフレットでは「リ・イマジニング」と書いてあり、独自の視点での物語を紡ぐべく、過去作品とは無理に整合性は持たせないようにしている。
今までサラが変えようとしていたのは未来。今回カイルの視点で紡がれる物語は、変わってしまった過去。
カイルが助けに来たサラは、ジョンから聞いていたよりも遥かに逞しく、これから起こる未来を知っているようだった。それもそのはず、サラは9歳のときに既に襲われており、T800が現れて窮地を脱した後は、彼から聞いた未来を元にサバイバル術を磨いてきたのだ(ちなみにこのときの子役がサラ役のエミリア・クラークにそっくり。キャスティングのこだわりに惚れ惚れする)。
その時から二人はずっと一緒にいて、彼らは1で登場した刺客のT800を「待ちくたびれている」。
サラが既に自立してしまっており、カイルを必要としていない、という新たな関係性が面白い。1では脆弱なか弱き生身の男と女が肩寄せあって逃げ惑う姿にハラハラし、逃避行の際に生まれた結晶がジョン・コナーという運命の皮肉に胸が熱くなったものだが、今作の二人は戦士としての良きパートナーという風情。カイルがサラに振り回されつつも、守るという使命感に燃えたロマンチックな男という点では変わらないが。
この役者の二人、いくらリイマジニングとはいえ、どことなくリンダ・ハミルトンとマイケル・ビーンの野暮ったさ(失礼!)を継承している。あの二人のイメージを裏切ることのないキャスティングに、再び拍手を送りたい。
アクションシーンは全編見ごたえ有。前半戦は1と2にオマージュを捧げたシーンが続出、中盤からオリジナリティをみせはじめる。あのジョン・コナーがスカイネットの手先となって登場するという、これ以上広げようのない設定に意表をつかれた。
正直、予想を裏切られて興奮もしたけど、終わってみれば「やっちまったな~」という気も。
だってもう、話の作りようがないでしょ…それなのに「次回作ありますエンド」なんだから。
カイルがタイムトラベルすると同時に、ジョン・コナーがスカイネットに襲われ、その時異なる時間軸のタイムパラドックスが発生する。サラが幼いカイルに出会ったり、カイルが幼い自分にスカイネットの正体を教えたり、今の時間軸を完成させるためのタイムトラベルの符丁は楽しい。
だが、このまま二人が「合体」すると、産まれてくるジョン・コナーは再びスカイネット化してしまうのじゃないだろうか。残った謎として、幼いサラを助けるためにT800を送り込んだのは誰だろうか。変わってしまった未来からだろうか、それとも…?
とにかく言えることは、まだまだ彼らの安息できる日は遠いということ。映画会社がスカイネットを完全に潰す気はないようだから。