「気楽に笑える」ターミネーター:新起動 ジェニシス panchanさんの映画レビュー(感想・評価)
気楽に笑える
いいなあ、いいかんげな映画というのは。気楽に笑える。
この映画って、タイムトラベルというか「時間」を行き来するのがいちばんのポイント。それなのに「時間」の説明ができなくなると「別の時間軸」だって。おいおい、これじゃあ何だってあり。矛盾というか齟齬がおきるたびに、それは別の時間軸のできごとと言えばすんでしまう。だいたい別の時間軸があるなら、未来から過去へやってくるなんて面倒なことをせずに、別の時間軸へ行ってしまえばいい。きっと人間が機械に支配されない時間軸があるはず、なんて私は思ってしまう。
でも、このむちゃくちゃかげん、「論理」なんてあとからどうとでも言い直せばいいというのが、何かとっても「現実的」(つまり科学的ではないってこと)で好きだなあ。
いちばん笑ったのがMRI(磁石)を利用してターミーネータと戦うところ。わっ、ローテク、と笑いが止まらなかった。MRI自体は「ハイテク」かもしれないけれどさあ。液体金属(?)というか流動する合金から自在に変形できるロボットの素材が鉄? 磁石に弱いという設定が、まず、とってもおかしい。磁石なんて、大昔からある。それに対する「防禦」が不完全なんてねえ……。
で、このローテクの勝利(ローテクの武器の活用)というのが、映画全体のトーンをつくっているのもおかしい。シュワちゃんの若いときをはじめ、CGもつかわれているのだけれど、なんとなく古い感じ。アクションがなつかしい。橋の上でバスが前転する見せ場も、これってCGがなかった時代もやっていたかも、と思わせるのんびりさ。全体をゆったりとみせる。角度を変えて次々にシーンを分割するのではなく、「時間」がそのまま動いている。
へええっ。
で、そのバスの中からの脱出。ここにも「時間」がそのまま存在している。あ、ターミネータが追いかけてくる。逃げろ、逃げろ。早く上へ上へ。シュワちゃん、がんばって母親をひきあげろ、なんて、はらはらどきどきするでしょ? ここでは「時間」が「現実」よりもさらにスローモーションで動いている。そのありえないスローな「時間」のなかで観客のどきどきはらはらが満ちてくる。
大きなストーリーのなかの「時間軸」とは関係ないところでリアリティーが動く。まあ、それも「幻想」ではあるのだけれど、この関係がおかしい。
人間(観客)は、だいたい役者の肉体が動いているのに自分の肉体を重ねて見るから、ストーリー上の「時間軸」なんて、どうでもいい。その瞬間瞬間の肉体の動きが自分に跳ね返ってくるときだけ興奮するものなのだ。(だから、といっていいかどうかわからないが、第一話でシュワちゃんがタンクローリーの爆発の中から骨組みになって甦り、さらに工場のなかで、ちぎれた腕だけになって追いかけてくるとき、やっぱりおかしいねえ。私は大笑いしてしまった。執念の肉体化、をそこに見て、そこまでやるのか。すごいなあ、と。)
で、ね。シュワちゃんは「合体」なんて言っているのだが(英語では、メイクという動詞をつかっていたかな?)、裸のシーンもあれば、恋愛(?)をめぐる会話もちらばめて、SFなのに、起きていることの「現実感」を大切にしている。こういうところはアクションとはかけ離れているので、退屈だけれど、あ、人間の肉体を描こうとしているんだと監督の意図を読み取ると、なかなか楽しい。