「ノーマンがマシンになる瞬間」フューリー ko_itiさんの映画レビュー(感想・評価)
ノーマンがマシンになる瞬間
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初番、身なりの汚れた(おそらく演出の意図だろう)ウォーダディが嫌がるノーマンに無理やりドイツ人を殺させる。それからウォーダディの身なりを整えさせて見せた、その姿はどことなく年をとったノーマンを思わせる見せ方をしていることから。ウォーダディことドンもかつてはノーマンと同じタイプの人間だったことが察しられる。初番に仲間の死に独りで慟哭したりクライマックス前に聖書の一文を繋ぐシーンもそれを裏付けている。だからウォーダディがノーマンを気にかける描写が浮ついてはいない、二人は擬似的な親子にあるいは兄弟にみえる仕掛けになっている。
戦争での極限状態がドンをウォーダディへと変えたのだ。
クライマックスで極限状態を体験したノーマンもマシンに変わる。これから思うに作品の本題は「戦争は無慈悲にも人を後戻りにはできない存在に変えてしまう」だろう。
そうゆう視点からすればこれは監督デビット・エアー作品である。
中盤、悲劇的なシーンでクーンアス(ジョン・バーンサル)が「死んだものは甦ってはこない」みたいな台詞をいうが、ある人気TVシリーズを思い出してしまい、思わず笑ってしまったのは我ながら場違いだったと反省。
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