オートマタのレビュー・感想・評価
全20件を表示
人間とオートマタとの共存を通して人間を描く。
SF、人工知能ロボットモノ。
たんたんと物語が進む。結構平坦。主人公(人間)がプロトコルを破った首謀者だと勘違いされ、殺されかけることで、オートマタと行動を共にしていく。
酷い地球環境になっても人間は子供を作り生き続ける。ラスト近くのシーン、オートマタ達が作った虫ロボットに銃口を向ける主人公、そこに赤ちゃんの泣き声が聞こえてきて思いとどまる。
危険と判断したオートマタを人間は、追い詰め殺す、と言ったことに対し、
死ぬのは”生き物”だけです。
と言ったオートマタ・クリオのセリフが言い得て妙で好き。
「死ぬ」というのは生物に当てはまる概念でしょ。と言わんばかり。
機械のオートマタにとっては「死ぬ」というよりも「壊れる」といった言葉がしっくりくるか。
主人公とオートマタ・クリオがダンスをするシーンが良かった。
.
自宅にて鑑賞。ブルガリア・スペイン・カナダ・米合作。2044年、太陽嵐で人口が99.7%に激減し2,100万となり、ROC社はオートマタ"ピルグリム7000"を開発、あり得る世界観を視覚化した作り込まれたビジュアルに様々な言語が行き交うSEの中に時折日本語が流れるデストピアが舞台。人工知能の自我の目醒めと云う有り触れたテーマを物語の縦糸に、創造主と生命、死生観迄を描く黙示録。坊主頭のA.バンデラスに馴れる迄、少しかかった。ラストの着地点は定石だが、今年ここ迄観た中では文句無しのNo.1。80/100点。
・哲学的な講釈や命題が今以上に盛り込まれていたら、退屈していたかもしれないし、風景を含めた画面もアーティスティックに寄り過ぎず、エンターテインメントとしては良い按配だと思う。更に大きなどんでん返しや、ギミックめいた伏線がこれ以上に仕込まれていたら興醒めしていたかもしれない。そして何と云っても、本作のキモはやはりピルグリムだろう──ユニークな馴染み易いマスクを外したその外観を含め、たとえどんな仕打ちを受けようが、反撃・攻撃はおろか絶対人を傷付けてはいけないと云うプロトコルを遵守するその存在を、どう感じるかで本作の評価が分かれるのではないか。もう一つのプロトコルをあっさり不軌するのに、人命を守り尊重するのは順奉し続ける所に本作のテーマが隠されている。
・セクソロイド“クレオ”は、“Dr.デュプレ”を演じたM.グリフィスがノン・クレジットで声をあてた。彼女は実生活において、“ジャック・ヴォーカン”役のA.バンデラスの妻である。
・都市部のシーンは殆どCGで合成されたが、全てのロボット(オートマタ)は、リモコンを使ったアニマトロニクスにて撮影された。
・エンド・ロールの最後に合成音声にて流れる「デイジー・ベル」は、『2001年宇宙の旅('68)』に登場する人工知能"HAL9000"が初めて唄った歌である。これは『2001年宇宙の旅』の(共同)原作・脚本家であるA.C.クラークが、'62年ベル研究所にて"IBM704"が実際にこの曲を唄うシーンを見て衝撃を受けた為、同作に採り入れたと云われる。
・鑑賞日:2016年3月5日(土)
オートマタというタイトルが秀逸
あくまでも、お人形なのである。だがそのお人形は人間が作ったのである。終盤、プロトコルを持たない彼の「人間の想像力は素晴らしい云々」というセリフがあるが、正にそれがこの映画の主題だと思った。クリオが握りしめていた人形の首は、猿の惑星のワンシーンを思い出させる。彼らは全て遠い未来のいつかどこかで「人間が生きていた証」となる、生命の記憶になる資格が与えられている。今の地球上に落ちてても誰も見向きもしないだろう人形の首は、遠い星系の惑星の上にあったなら、それこそ宇宙史上の歴史的大発見になるだろう?そういうこと。そして赤ちゃんの誕生。この映画は、人間讃歌だ。
アンドロイドをあくまでも人間の道具として留めておくために、安全装置...
アンドロイドをあくまでも人間の道具として留めておくために、安全装置としてのプロトコルに「生物を襲わないこと」と、「自己修復できないこと」をプログラムする。そうして出来上がったアンドロイドに支えられた未来の社会。でもじつは社会を支えているアンドロイドのプロトタイプ自体が人間の理解を超えるところまで発展してしまったAIの手による製品だった。
ディストピアの描き方やアンドロイドのデザインが秀逸で、道具としての「ロボット」が人間の「敵」になる怖さをうまく表現していたと思う。クリオにだけ人間的な感情を抱きやすいように女性のフェイスマスクがつけられている設定もうまい。クリオ以外のアンドロイドには恐怖すら感じさせるデザインとなっていて、それでいてミニマルなインダストリアルデザインでリアリスティックな説得力をもっていた。
人間を越えたAIが峡谷を越えた「向こうの世界」に行くという設定、クリオがフェイスマスクを外す意味、最終形態としてのゴキブリロボなどSFのひとつのシミュレーションとして興味深く楽しめた。
これ系の見て 毎回ガッカリするのは
電気羊、 それに創世の島
1970年代に作られた未来予想の物語から
一ミリも進歩出来ないでいるなぁと思う。
いつも期待を込めて見るが 『うーん、そこはもう皆知ってるよ!』っていう部分の焼き増しばかり。
上記の作品をヒントにいくつもの派生映画は作られてきたが、その中でも この映画は2流だった。
ブレードランナーの世界と
浦沢版の鉄腕アトム(プルートー)の設定で
創世の島から台詞を引っぱっただけ。
まず、
人口2000万で あの世界観は回らない。
そして謎のJRと日本の風景。
うっすい動機で企業と刑事が主人公の命を狙うのも謎。
太陽風で通信技術は使えなくなったって設定はガバガバ。
ラストで
人類は街 ロボットは汚染地域という完全に別離した環境の中で世代を繋いでいくというラスト。
むしろ、そこからストーリーを広げるべきだったのでは?
通信不可の世界で、お互いがガラパゴス状態で何世代もたった時に人類はどんな生態にたどり着くのか
ロボットはどういう思考にたどり着くのか。
そっちにフォーカスして欲しかった。
人工知能モノは流行ってるのか?
視聴:1回目
推薦:SF映画好きだけ、じっくり観れる方
感想:派手な映画ではないが、最近観たエクスマキナと比べつつどちらにも良い所があってよかった。ロボット、人間ともに子供が生まれて谷を挟んで別々の道を行くシーン、ここに尽きるかと思います。ロボットにも突如として変異体は現れるのかプログラムエラーが発生して出てくるのか、考えさせられました。生物の突然変異の可能性みたくのロボットにワクワクできるか、出来ないのであれば地味な映画ですので退屈かも。
好きなタイプの映画
よくありがちな、AIモノですが、
雰囲気好きです。が、佳作の域をでていないかな?
映画館行きそびれ、レンタルで観ました。
違法改造した技師が実は、ロボットだった、ほぼ最初の段階で読めました。
ただ、そのロボットが何で自我を持ったかがよくわからないですね。
後、会社は、なんでバンデラスを抹殺しようとするのか?女性技師は、バンデラスに頼まれてAI解析、復元しただけでしょ?それを報告したら、会社がヤバいって感じになり刺客を派遣抹殺にかかります。何故?
女性技師に何か重要な意味が。しかしあっさり殺されてしまいます。(子供が刺客なのは、ハリウッドじゃあり得ない設定でしょうね。)
会社とロボットの間に何らかの凄い秘密が特に無くて??
逃げ出してからが砂漠オンリーで、話ダレぎみ。バンデラスとロボット達の掛け合いは良かったのですが、ストーリーが
??の部分があり、惜しいですね。
他の作品とは違った角度から人工知能を解釈した映画
宣伝文句とはすこし相違がある。
人間と冷酷なロボットの戦いなのかと思いきや、そのロボットが意外にも穏やかで戦うことはしない。
人工知能を扱った映画の永遠のテーマとして、ロボットには、魂や感情はあるのか、という問題がある。
多くのSF映画が、人工知能は頭はいいが感情が理解できない、だから人間を超えられないという考え方で描かれている。
時には人間がロボットに対して「愛」とは何ぞやと説くような場面があったりするのだけど、この映画の終盤、ロボットと人間とのやりとりが、大人に諭されている子どもを見ているようだった。
(クレアが風俗ロボットなこともまた「愛」の存在について考えさせられる部分。
ダンスを踊ったクレアは、自分に与えられていた役割をこれまで通りに果たそうとしただけなのかもしれない、でも、ごめんと謝られて静かに去る姿はどこか悲しそうでもある。)
技師と言われる存在がロボットだったことは、何となく読めてしまった。
あとはおっさんがいっぱい出てきて見分けがつかない。笑
点数は4に近い3.5点。観てよかった。
人類の寿命かもしれない
映画「オートマタ」(ガベ・イバニェス監督)から。
ストーリー的には、人工知能をもったロボットが、
絶対破れないはずの「第1プロトコル 生物への危害を禁ず」
「第2プロトコル 自他の改造を禁ず」を破り、
人類が滅亡の危機に陥る、といったよくある設定であるが、
人類とロボットが戦い殺し合うのとはちょっと違う。
「人類が核活動を実行した」結果、環境が破壊され住めなくなり、
「そこでは何百年も、有機体の生存不可能だ。
行けるのは、私たちだけ」と、ロボットが言う。
そして「人間にとって、死は自然なサイクルだ」
「人生は、時の一部でしかない。」「人類の寿命かもしれない」
「どの生命体も永遠ではない」「私たちが人類を受け継ぐ」
「私たちを通して、人類は存在する」など、
これから地球を支配するのは「人間」ではなく「ロボット」だと。
それは、人類が核活動を実行し、招いた結果でしょう?、
と言わんばかりに、ロボットが人類を諭すシーンが印象的だった。
観賞後、製作国が「スペイン・ブルガリア合作」と知って、
核保有国に対する批判なのかなぁ、なんて考えてしまった。
映像化したことが素晴らしい
偶然にも『マジカル・ガール』に続きスペイン系の作品を観ることになった。まったく異なる作品だがどちらも楽しめたのは良かった。
今作の舞台設定は太陽活動が悪化して人口が2100万人にまで激減した地球ということだが文明はまだ崩壊してはおらずにAIを有するロボット〈オートマタ〉が人間の生活を支えている、としている。自らのミステイクではなくあくまで外的な要因から滅亡しかけている人類は意外すぎるほどに社会構造はあまり変わっておらずに、ディストピアものの常である管理社会という要素は進行しているようだ。
冒頭でオートマタには2つの原則があると提示されアシモフのそれとは少し異なるがつまりはそれが破られる話なのだろうと察せられるし実際にそうだった。そこに至るまでの謎解きのような展開はやや冗長であったが一作品として成立させるためには仕方ないか。
そして自己修復と進化を覚えたオートマタが自立し始めてから、さあどうなる!、と思いきや意外とユルい展開が続く。そこでは人間とオートマタお互いの立場における自己保身のやり取りが始まるのだが、街に戻れば自分たちが破壊されることを知っているロボットが破られていない原則の「人間を守る」によってかなり無意味に汚染地帯で主人公をより汚染された地域に引きずっていくということで、これは矛盾した構図でもある。
ここではいわば生存本能が優先されているので街から離れることを譲らない彼らは既にただのロボットではなく意思を有した生命体のようである。
実際印象的なシークエンスではあったが普通の視点で言えばかなり退屈な描写だったと言える。作品を通じてのイマイチ感はこうした撮影や本を含めたアイデアの甘さゆえだろう。やろうとしていることは良いんだけれども‥
気になったのはクリオら4体のオートマタがどうやって改造されたのか、なのだがまあいいか。
ちなみにクライマックスで保険の外交員役であったバンデラスが軽く無双になるのはご愛嬌。そして海に向かう途中の車内で彼らの子供(新生児)がスターチャイルドに見えたのもご愛嬌だろう。意図されたかは別として。
現実味
ちょと怖かった。
…そういう恐怖を感じる程、よく練られた世界観だったんだと思う。
なんとなあく、すぐそこまで迫ってるような感じもするし…。
アンドロイドが使役され、AIなども普通に運用されてる世界。
原初の一体を知る人物の話しが薄ら寒い。
AIを野放しにすると、人類は死滅する。
地球の覇者が変わるのだ。
なかなかに、今のご時世とも薄っすらリンクする。
無機質な外面で、無機質に語られる未来が怖かった。
最終的に戦争かと思いきや、住み分けを選択。
深い谷に隔たれた向こう側の世界。
人への攻撃を躊躇わず、無限増殖可能なAIがどんな進化を遂げるのか…。
とまあ、こんな感じではあるのだが、改造を開始した1体目が、なんでそれが可能になったのかはよく分からなかった。
そして、案外と盛り上がりにかけ、チープさも終始漂ってるので、眠気とも戦う羽目になる。
個人的には大好き
「ロボットの反逆!」っていう、古典SF、様式美の域の世界観。でもそれが良い。
あえて古っぽくしてるのかな?
ストーリー自体もアシモフみたいだし、ロボット三原則みたいの出てくるし。
映像も、いかにもローテクなロボットってのが良い。
これって、人形に魂がやどるっていうホラーの、ロボット版だよね。
ストーリーはわかりやすく、映像は郷愁をそそる古い映像。良い…。
ただ、人間側がなんでこんな攻撃的なのか、やや説得力に欠ける。
主人公が裏切り者だとか、あまりに単純に断定するされすぎじゃ…。
このへんのストーリーの粗さが、全体の説得力を下げている。
オチはやや不満。
ロボットが人間の次を担う存在、というテーマを出したんだから、ちゃんとオチをそこに落とすべき。
主人公たちの赤ちゃんは死に、ロボット達は谷を越え、海を見るのはロボット達、というオチだったら、テーマが明確になったし、印象に残るストーリーになった。
序盤の期待と、ラストの物足りなさ。
地球環境が劇的に変化して、もう人間は生きていけない。その世界では、ロボットが活躍している。ロボットには暴走しないようなプログラムが組まれている。・・・そんな、もう陳腐化してしまったこの設定でありながら、序盤は、期待させるいい雰囲気を醸していたのだが、結局、なにか物足りない。何かが違う。
人間のかわりが、生命体ではないロボットっていうのが受け入れられないのか?
ロボットに感情が芽生えるのだろうと思ってたら、そうじゃなかったからか?
警察が汚職にまみれてるからだろうか?
放射能に汚染されている地域に赤ん坊を連れていかれてしまいながら、その危険性に無頓着に見えるからだろうか?
最後はお決まりの家族愛でシャンシャン、じゃねえだろ!とツッコんでしまったからだろうか?
なんか、違うんだよなあ。
ようするに、あんな世界じゃ生きたいって思えないからだろうな。
仮面
テクノロジーはあるが荒廃しきった世界で、奇妙な3D映像が街中に投影されたりと不思議な世界観でした。
オートマタのプロトコルの真実は面白かったですね。
改造を始めたオートマタは停止されたはずの最初の一体だったのかな?
ちょっとそこが謎でしたが、このオートマタとジャックが乾いた大河の前で人間やオートマタという種について語り合ってる姿は感慨深いものがありました。
「人は殺し合えるんですね」と言うクリオの言葉を聞いた時、戦争やテロが起きている現実を思い出し、人間という種の存在が問われている感じがしました。
見た目はメカメカしくも話す言葉や行動が人間ぽくて、この物語の世界では結果何も残ってないと思うんですが観ている私は色々考えさせられる映画でした。
まあまあだった
本格的なSF世界を表現していたのに、クライマックスはなぜかヤクザに追われる展開でがっかりした。SF的に見せ場を作ることはできなかったのだろうか。残念だ。
赤ちゃんを放射能で汚染された地域に連れ出すのは、本当にやめてほしかった。なんてことするんだ。
ロボットを描きつつも人間を描いたSF秀作
2044年、地球は太陽風の変化により放射線にさらされ、砂漠化が進行した。
結果として、大半の人口を喪い、生存すら危うくなった。
そのため、開発されたのが人工知能搭載の人型ロボット・オートマタであった。
オートマタには、ふたつの不可変の制御(プロトコル)が組み入れられており、1つは「生命体に危害を加えてはならない」、もうひとつは「自らを修理・改造をしてはならない」というものであった。
しかし、あるとき、自己を修復しているオートマタが発見され・・・というハナシ。
なかなか興味深い内容。
『ブレードランナー』ではレプリカントと呼ばれる、人造物にも生命及び心があるのか、がテーマだった。
この映画では、オートマタにも生命はあり、そして人類の次に来るべき存在である、と述べられる。
おおぉ、これを恐ろしいと感じるか、必然と感じるかは、ひとそれぞれであろう。
だが、映画の語り口は上手く、この映画のような世界においては、必然と感じざるを得ない。
そもそも、人類も含めて「生物」とは何ぞや。
むかし習ったことを思い出すと、
(1)自己と外界とを明確に区別していること
(2)エネルギー変換を行って活動していること
(3)複製・分裂・生殖などにより自己(もしくは自己と同じようなもの)を増殖させることができること
の3つだった。
ロボットは(1)(2)の条件は満たしており、(3)を持たないようオートマタには2番目のプロトコルが組み入れられているというわけだ。
自己を修理・修復することができる→自己と同じようなものを作り出せる、ことになるからだ。
映画は、この2番目のプロトコルが消えた(または消した)のはなぜか、消したとするなら誰が・・・というところをサスペンスの中心にしてスリリングに描いていく。
結論は書かないが、「進化」の過程を考えれば、納得できる落としどころだと感心した。
そして、映画では多くを語られないが、1番目のプロトコルの存在も重要だ。
2番目のプロトコルを消した黒幕と誤解され、追われる身となったジャック(アントニオ・バンデラス)が、追ってからの窮地を逃れるために、相手を殺害する。
その直後、オートマタから彼に投げられる言葉が印象的。
「人間が、互いに殺し合うことができるなんて、知りませんでした」
そう、1番目のプロトコル「生命体に危害を加えてはならない」があるから、オートマタは相手を殺す・破壊するという概念がない。
この映画で、オートマタに心があるのかどうか、を問題にしないのは、この第1のプロトコルがあるからに他ならない。
「自己以外の生命体のことを推し量って危害を加えない」ことこそ、「心」のもっとも基本的な部分であるから。
この映画の面白さは、実は、ここにあるのではありますまいか。
人間がオートマタに組み入れた二つのプロトコル。
ひとつは、人間を超える生命体にならないよう規制する第2のプロトコル。
もうひとつが、一見、人間を守るためのように見えて、その実、オートマタが人間らしさを持つための第1のプロトコル。
ラスト、人間と訣別して独自の道を歩もうとするオートマタが言う。
「人間の善いところは引き継ぎます」と。
オートマタというロボットを描きつつも、人間を描いたSF映画の秀作といえましょう。
創造するロボット
ロボットと人間が共存する終末世界でロボットを改造・修理しないことというプロトコルが取り除かれたロボットが現れ、人知を超えた成長と創造を始める話。
ロボットと人間の違いは理解しているけれど生きるという概念を持つ悲しいストーリー。
話は嫌いじゃないけれど、これと言って変化も盛り上がりもなく坦々としていて何もかもがもの足りなかった。
派手さ無し
なんだろう、日本の広告の打ち方が悪いのか、僕が間違って捉えていたのか…
予想と全く違いました。
もっと人間対オートマタのバトルや諍いなどが見られると思ったのですが…
ある意味いままで のこういったテーマの作品の中ではリアルなのでしょうか。
何か起きそうで何もない。
静かに進んでいく。
見所もいうほど無い。
作品の中にあるテーマを読みとれなかったかもしれないですが、もっと表にわかりやすく出してもいいんじゃないかな。
ちょっとがっかりでした。
人類の99.7%が死滅した未来。人類はピルグリムと呼ばれるロボット...
人類の99.7%が死滅した未来。人類はピルグリムと呼ばれるロボット達に地球再興の願いを託すが失われた自然は取り戻せず、悲嘆の中ピルグリムと共生している。ピルグリム達は、”あらゆる生命に危害を加えてはならない”、”自身または多種を改造してはならない”という2つのプロトコルを遵守するように作られているが、ある日自らを修理するピルグリムを発見した警官はその場で発砲し破壊してしまう。ピルグリム関連クレーム専門の保険調査員ジャックは捜査を開始、事件の背後にプロトコルを解除する技術者《時計屋》の存在を確信するが・・・。
スペイン/ブルガリア合作、製作・主演がアントニオ・バンデラスという変わり種の低予算SFサスペンスで、ロボット工学3原則にヒントを得たと思しきプロトコルを巡り、人間とロボットの境界を問う問答の果てに大いなる絶望と微かな希望が交錯するなかなかの佳作。少々強引で舌足らずなるも、退廃的な巨大ホログラムのプロパガンダがゆらゆら躍る薄汚れた未来世界のビジュアルの中で展開するドラマに通底するセンスオブワンダーは深い余韻を残します。
全20件を表示