「ロボットを描きつつも人間を描いたSF秀作」オートマタ りゃんひささんの映画レビュー(感想・評価)
ロボットを描きつつも人間を描いたSF秀作
2044年、地球は太陽風の変化により放射線にさらされ、砂漠化が進行した。
結果として、大半の人口を喪い、生存すら危うくなった。
そのため、開発されたのが人工知能搭載の人型ロボット・オートマタであった。
オートマタには、ふたつの不可変の制御(プロトコル)が組み入れられており、1つは「生命体に危害を加えてはならない」、もうひとつは「自らを修理・改造をしてはならない」というものであった。
しかし、あるとき、自己を修復しているオートマタが発見され・・・というハナシ。
なかなか興味深い内容。
『ブレードランナー』ではレプリカントと呼ばれる、人造物にも生命及び心があるのか、がテーマだった。
この映画では、オートマタにも生命はあり、そして人類の次に来るべき存在である、と述べられる。
おおぉ、これを恐ろしいと感じるか、必然と感じるかは、ひとそれぞれであろう。
だが、映画の語り口は上手く、この映画のような世界においては、必然と感じざるを得ない。
そもそも、人類も含めて「生物」とは何ぞや。
むかし習ったことを思い出すと、
(1)自己と外界とを明確に区別していること
(2)エネルギー変換を行って活動していること
(3)複製・分裂・生殖などにより自己(もしくは自己と同じようなもの)を増殖させることができること
の3つだった。
ロボットは(1)(2)の条件は満たしており、(3)を持たないようオートマタには2番目のプロトコルが組み入れられているというわけだ。
自己を修理・修復することができる→自己と同じようなものを作り出せる、ことになるからだ。
映画は、この2番目のプロトコルが消えた(または消した)のはなぜか、消したとするなら誰が・・・というところをサスペンスの中心にしてスリリングに描いていく。
結論は書かないが、「進化」の過程を考えれば、納得できる落としどころだと感心した。
そして、映画では多くを語られないが、1番目のプロトコルの存在も重要だ。
2番目のプロトコルを消した黒幕と誤解され、追われる身となったジャック(アントニオ・バンデラス)が、追ってからの窮地を逃れるために、相手を殺害する。
その直後、オートマタから彼に投げられる言葉が印象的。
「人間が、互いに殺し合うことができるなんて、知りませんでした」
そう、1番目のプロトコル「生命体に危害を加えてはならない」があるから、オートマタは相手を殺す・破壊するという概念がない。
この映画で、オートマタに心があるのかどうか、を問題にしないのは、この第1のプロトコルがあるからに他ならない。
「自己以外の生命体のことを推し量って危害を加えない」ことこそ、「心」のもっとも基本的な部分であるから。
この映画の面白さは、実は、ここにあるのではありますまいか。
人間がオートマタに組み入れた二つのプロトコル。
ひとつは、人間を超える生命体にならないよう規制する第2のプロトコル。
もうひとつが、一見、人間を守るためのように見えて、その実、オートマタが人間らしさを持つための第1のプロトコル。
ラスト、人間と訣別して独自の道を歩もうとするオートマタが言う。
「人間の善いところは引き継ぎます」と。
オートマタというロボットを描きつつも、人間を描いたSF映画の秀作といえましょう。