あの日の声を探して : 映画評論・批評
2015年4月14日更新
2015年4月24日よりTOHOシネマズシャンテほかにてロードショー
両親を失くした少年と殺人鬼に変貌する兵士、二つの物語から具現化する戦争という狂気
「アーティスト」でオスカー五冠を獲得したミシェル・アザナビシウスの新作は、フレッド・ジンネマンの「山河遥かなり」のリメイクである。「山河遥かなり」は、敗戦直後の廃墟のようなベルリンの街を舞台に、アウシュビッツ収容所に送られ、母と生き別れになったユダヤ人少年とアメリカ人の陽気なGIモンゴメリー・クリフトとの交流が描かれる。
アザナビシウスは、このオリジナルの大まかな人物設定をトレースしながら、舞台と時代背景を1999年の第二次チェチェン戦争に置きかえている。目の前で両親をロシア軍に銃殺され、声を失くした少年ハジは赤子の弟をチェチェン人の家の玄関に置き去りにして、流浪の果てに、EUに勤めるフランス人キャロルに救われる。彼女が車中から少年を見つけ、食べかけのパンを分け与える出会いの場面、駅でのすれ違いを経て、少年が生き別れた姉と再会するクライマックスが用意されるなど、両作品の細部のシチュエーションはかなり重複しているが、見終わった印象は大きく異なる。
それは、アザナビシウスが、このプロットと並行して、ロシア軍に入隊しておぞましい殺人鬼へと変貌を強いられる若き兵士コーリャのエピソードを克明に描いているからだ。軍隊内部の冷酷なヒエラルキー、理不尽きわまりない暴力の連鎖が彼の無邪気さを根こそぎ奪っていく。この決して交差することのない二つの物語は、戦争という狂気が様式化された状況そのもののポジとネガを具現化しているかのようだ。だから、「山河遥かなり」のラストに訪れる爽やかなカタルシスが、この作品には欠けている。映画は、戦地の燃えさかるビルを背景に不敵な笑みを浮かべるコーリャを突き放すようにとらえ、ふいに断ち切るように終わる。「アーティスト」でハリウッドの幼年期の終りを夢想的に描いたアザナビシウスの果敢なる新境地と言えるだろう。
(高崎俊夫)