完全なるチェックメイトのレビュー・感想・評価
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チェス世界王者決定戦以上に、ボビー・フィッシャーが対したのは…
チェスなんてルールも知らないし、ほとんどやった事もない。将棋もだけど。
でも、ボビー・フィッシャーの名は知っている。昔、映画もあった。
アメリカのチェスプレイヤーで、チェスの世界チャンピオン。将棋で言ったら、若くしての王者&圧倒的な強さは藤井聡太や羽生善治、レジェンドな存在は加藤一二三といった所か。
1972年、ソ連のチェス世界チャンピオン、ボリス・スパスキーと競ったチェス世界王者決定戦。米ソ冷戦の代理戦争と言われ、フィッシャーが勝利を収めたこの一局は、今もチェスの伝説的対局と言われているとか。
本作はその対局をベースに描く。
フィッシャーの偉業や功績を称えた伝記映画…と思いきや、そうでもありそうでもなく。
幼い頃からチェスに目覚め、才能を発揮。
負けるのが嫌い。ドローも嫌い。
名を馳せ始め、チェスの世界のルーキー。
強さを誇る一方、性格や言動もある意味注目を集めるように。
試合放棄はしょっちゅう。
奇行や問題発言。
伝説の対局前、ソ連に命を狙われていると精神不安定。
遂に迎えた対局時も、カメラの音や観客の咳払いなどが気になり集中出来ないとボイコット。
アメリカ中から威信と期待を掛けられる。そのプレッシャー。
それによって精神ダメージを受けたのか、反米発言や反ユダヤ発言。対局後はアメリカから要注意人物としてマークされ、逮捕も…。
勿論、本作で描かれた史実も波乱万丈だが、本作の後もさらに波乱万丈。
古今東西、天才に奇人変人は多い。特に、一つ特筆した才能を持っている者は、何かしら欠如している。
フィッシャーはまさにそう。
チェスに関しては天才。
が、一人の人間としては精神薄弱でコミュニケーション力にも欠ける面が。
その複雑な内面。
トビー・マグワイアが熱演。対局時の鋭い眼差し、癖のある性格、脆さ…。それらをメリハリ付けて。
対するリーヴ・シュレイバーも存在感あり。
ピーター・サースガート、マイケル・スタールバーグらもバックアップ。
シリアスなだけの作風ではなく、当時の楽曲も散りばめ、テンポも良く。
対局シーンは緊迫感溢れる。
多彩なジャンルを手掛けるエドワード・ズウィックの職人手腕が冴える。
チェスも将棋も常に相手の先手を読む。
本当に頭の中はどうなっているのだろう…?
読み過ぎて、読み過ぎて、それが自分を苦しめる事も。
相手は自分をどう見ているか。自分はそれにどう対するか。
この場合の相手とは、チェスの相手だけではなく、世間の目やアメリカという国…。
対局に勝利した時のフィッシャーが印象的。
スパスキーから新チャンピオンとして祝福されるも、本人は放心状態。
きっとフィッシャーは、チャンピオンの座にはさほど興味無かったのかもしれない。アメリカの為に闘った訳でもない。
ただただ、チェスを極めたかった。真理と探究。
世界チャンピオンになったという事は、頂きに上り詰め、後は下るだけ…。
天才故の苦悩。期待を勝手に掛けられ、用が済んだらお払い箱。
だから彼も対した。アメリカという国に。
彼は英雄か、悲劇の人か。
映像が綺麗
映像が綺麗な映画だった。結構見ていられるくらいには整っている映画だと思う。こんな人がいたのかというレベルには面白かったと思う。
関係ないかもだけど、この映画を見ていて、スキル:人間性=100:0よりも60:40くらいの人材のほうが会社としても雇いやすい上に、再現性や入れ替えし易いだろうなと思った。スキル偏重というのも考えものだなと。
フィッシャーはまさにスキル100のアーティストで、メンタルをうまくコントロールできればほどほどにうまくやれただろうにと感じたが、「ほどほど」ならきっとあそこまで上り詰められなかっただろうな。
悲劇の天才チェスプレイヤーの悲劇と盤上の哲学から導き出した1つの「解」
本作は冷戦時代に活躍した天才チェス・プレイヤー「ボビー・フィッシャー」の人生を描いた
実話に基づく悲劇であり、伝記である。
従って、アニャ・テイラー=ジョイ主演の連続ドラマのように決して華やかさもなければ、ハッピーエンドも用意されてない。
「夢見る少女」には敬遠される作品ではあるが、私はこの作品で描かれる男同士の戦いと苦悩が醸し出す「質実剛健さ」に魅了された。
さて、本作は天才少年ボビーがチェスに目覚め(というよりチェスをすることで現実逃避をしていたのか?)から華麗なる快進撃、最年少でグランドマスターの称号を獲得、そして終生のライバルであり、ソ連の世界チャンピオン「ボリス・スパスキー」との数々の対戦を主に描いている。
特に印象深いのは3つ。
1つ目はもともと情緒不安定だった少年が成長するにつれ、精神が蝕まれていくシーン。
2つ目はライバル・スパスキーに勝利してもちっともうれしくなさそうなボビーとそれを心配そうに見つめているセコンド・ビル神父の表情。
そして、最後の3つ目はボビーがビルに語る「すべては理論と記憶。選択肢は多いと思われるけど、正しい指し手は一つだけ。他に行き着く場所はない。」というセリフ。
このセリフはチェスというボードゲームに対するボビーの解釈と同時にボビー自身のこれからの人生の行く末に絶望していたものだと解釈できる。
月並みだがどんなにIQが高く、その力が存分に発揮できる競技や居場所を見つけても、
それに伴う名声や富を獲得してさえも、必ずしもその人が本当に求めるもの(幸せというと陳腐な表現になるが)ではないということ。
少なくともボビーに安息の日と本当に求めているものは手に入らなかったのではないかと思われる。それは本作を見ていても明白であり、とても心を締め付けられる。
面白みはあったが、もっとヒリヒリした魅せ方が欲しかったかな。
実在したチェスプレイヤーの話なので大きな話の展開等はそれほど見られなかったが、ボビー・フィッシャーの精神的な面、もはや狂気ともいえる部分がしつこく映し出される。
途中から「もうお腹いっぱいかなー」と感じる事もあるが、しんどくはない。
ライバル役のスパスキーのリーブ・シュレイバーも寡黙な感じであり、どっしりとした体格と雰囲気も相まってワクワクさせる。しかしスパスキーも途中から狂気じみた一面が見え隠れし、その場面でもチェスと言う競技の過酷さを物語っているのだろう。
また各国の威信を全面に背負い、冷戦の代理戦争の様な重圧の中での試合はとんでもないプレッシャーだったに違いない。
しかしながら、その重みという点では描写が淡々としており、入り込めなかった。
余談ではあるが、40手ほどで決着する試合もあったが、そこに至るまでに数万、数億通り?(もっとか?)の手の中から選択し、進めていかないといけないのはもはや理解不能である。
しかしながら将棋の方が取った手駒を再度、盤に戻すことが可能なルールなのでその数は天文学的な数字になるとの事を昔聞いたことがある。(チェスプレイヤーも将棋の棋士にもなれません、、、)
一番残念なのはやはり盤上でのやりとりに緊迫感があまり感じられなかった。もっとヒリヒリするやり取りを楽しめると思っていたが、、。(当方がチェスを理解していない可能性アリ)
他の人も書かれているが、トビー・マグワイヤの少しイカれた感じの演技が非常に良かった。
最後の対局シーンは見応えがあるが、それまでが凡人には理解が追いつかず退屈
Wikiなどを見ずに事前情報を一切調べずに見ると最後の対局は狂人vs狂人の盤上と盤外で起こる予想不可能な展開が見応えがあり緊張感が張りつめていてとても良かった。
しかしながら、そこに至るまでの過程が良くない。
まず説明不足なのか、作った側も理解出来ていないのか、ちっともフィッシャーがどういう人間なのかというのが映画的に説明出来ていない。
急に怒り出して対局をやめるシーンも最後まで観たら、ああ、もうこの辺りから精神に異常をきたしていたのだなというのがぼんやりと解るが、そんな事前情報が無い中では全く何が起こったか解らなかった。
童貞を捨てるシーンもあっさりしていて、やらないといっていたのに何故やる事になったのかやら解らず、そんなもん察してくださいとばかりに、こちらが勝手に察しないといけないのだろうか。
童貞を捨てたから、その日の試合は負けた?関係あるのか?それならなぜ捨てたのか?とか本当にもう理解が追い付かない。
以前、数学者の境地は人間の意識出来ない場所にあって、それをとらえようとするのは無理なんだみたいな講義を受けた事があるが、まさにチェスプレイヤーもその境地なのだろうが、それでも映画にしたのだから視覚的に解りやすい作りにしてくれれば、もっと最後の対局も楽しめたかもしれない。
精神世界の映画を作りたかったというのならしょうがないが、エンターテイメントとしてならばとても勿体ないと思う。
二人だけの世界?
冷戦をベースに二人の対局が描かれていきますが、彼らの思考の中にはチェスの攻め手があるだけで、盛り上がっているのは周りだけ。付き添いの人間や家族すら遠巻きにいるだけという事実そのものを見せつけられた感じ。サスペンスチックに描かれているため没頭して見ることはできたが、監督はそこだけを描きたかったのか、社会現象と絡ませたかったのかが最後まで意図がよくわからなかった。子供の頃のトラウマや、最後の対局で主人公がなぜ勝つことができたのかの監督なりの答えが欲しかった。
定石は全て覚えてから忘れて打て!
多分、かなりの脚色があるかのような作品。1943年生まれのボビー・フィッシャーが活躍した時代は米ソ冷戦下であるためか、ソ連嫌い、ユダヤ人嫌いという設定にしてある。両親はモスクワで結婚しているし、ソ連のスパイ扱いされた経緯も理解できるし、時代に合わせたスリリングな展開になるはずだった。また、それまでのチェス世界チャンピオンがずっとロシア人だったこともあり、冷戦の代理戦争のように描かれている。なお、原題のポーン・サクリファイスは、ボビー・フィッシャーも世界チャンピオンのボリス・スパスキーもそれぞれニクソン、ブレジネフの捨ててもいい駒に過ぎないことを意味している。
残念なことに、それが生かされてない!スパスキーとの対決をメインにはしているが、彼の被害妄想や奇行はソ連やユダヤ人、KGBとCIA、モサド・・・色んな権力に反発しているため焦点が定まっていないのだ。常に盗聴の心配をする様子は面白いけどしつこいし、実はスパスキーも同じように被害妄想があるなどという展開もそれほど驚かない。日本人としては、将棋の世界を見ても、定石を覚えていたところで精神に異常を来たすまではひどくないんじゃない?という感覚も邪魔してるのかもしれませんが・・・
面白かったのは、定石を無視して奇抜な駒を打ってスパスキーを負かすところ。また、静寂が大好きなために世界戦なのに卓球室でプレーするというところ。スパスキーが椅子を調べ始める行動なんて、同病相憐れむといった感じで冷めた目になってたところが挙げられるだろうか。また、世界戦が始まってからアメリカのチェス熱が盛り上がったという点。やっぱりソ連に独占されてたから興味なかったんですね~
音楽もアート・ブレイキー、ベンチャーズ、ドゥービー・ブラザース、ジェファーソン・エアプレイン、CCRと好きな分野ばかりでした。ただ、その場面で使うのか?と意味不明な選曲が残念といえば残念でした。
定石を打たないプレーヤー
少しマニアックなのか近くのシアターで公開されなかったので、最近DVDを買った。
この映画は多少チェスを知らないと眠いかもしれない。
僕はチェスは初心者で通勤中にソフトで練習し、ネットでやる程度なのだがフィシャーの打ち方は凄いと思う。
私のようにすぐ、重要な駒を取られるがそれが作戦なわけである。
しかし、大局的に見ると、チェスプレーヤーは国の捨て駒に過ぎないという問題がわかる。
期待していた映画ではなかった
期待していた内容とは違ったというのが、第一印象だった。
超人的な戦いを繰り広げられる世界の中に生きる天才を描いている。しかし、内容は頭脳戦というよりは、精神疾患に苦しまされた天才の話であった。そのため、なかなか作品に入り込めず、楽しめなかったのが正直な感想である。
選択肢は多いと思われるけど・・正しい指し手は1つだけ
映画「完全なるチェックメイト」(エドワード・ズウィック監督)から。
これもまた「Based on a true story」(事実に基づく物語)。
「伝説の天才チェスプレイヤー、ボビー・フィッシャーの半生を
映画化した伝記ドラマ」らしい。(汗)
日米冷戦の時代「盤上の第三次世界大戦」と称された、
ソ連とアメリカ、国の威信を掛けて・・と周りは囃し立てるが
主人公は、チェスは「2人がボードに向かい指し合うだけ」と表現、
時には「これは俺の戦いだ」と大声を出し、周囲が騒げば騒ぐほど、
どんどん孤独になっていく姿が痛々しい。
チェスの奥深さを「4手進めば、3000億もの可能性を考える。
1ゲーム40手数以上なら銀河の星の数だ」と例える人がいても、
彼は「すべては理論と記憶なんだよ。
選択肢は多いと思われるけど・・正しい指し手は1つだけ。
他に行きつく場所はない」と、シンプルさを強調する。
さらに「チェスは、真実を探求するゲームだ。
だから、私は真実を求めている」とも。
その思考の違いが「こんな手があったのか」と賞賛される
「神の1手」を生んだのだろう。
複雑になればなるほど、答えはシンプルの中にある。
そんな感じなのかもしれない。
私たち人生にも多くの選択肢があるけれど、正しい選択は1つ。
だから難しく考えない方がいい、という監督からのメッセージかも。
もう少し「完全なるチェックメイト」(将棋でいえば『王手』)に、
的を絞って欲しかったな。
「完全なる…」?
チェスの世界王者、
ボビー・フィッシャーの一生を描いた映画。
幼い頃からチェスに没頭し、
瞬く間に頭角を現し、
目の前の敵を次々と倒していく。
ついにはアメリカvsソ連のような
国を背負った闘いになる。
フィッシャーは純粋に
チェスで世界一になりたいだけで、
そんな気はないのだが。
「天才となんとかは紙一重」の通り、
異常に神経が研ぎ澄まされ、
カメラやオーディエンスの前では
気が散ってチェスができない状態。
犠牲をともなって一手を投じるにしては、
クライマックスが少しあっさりしすぎ。
そしてその後彼の精神は崩壊ー。
期待した割にイマイチでした。
えっと…
主人公の一生なわけで…タイトルが現す対局が山場なわけではあったものの……その凄さが全く分からない。
敢えて説明しないのかもしれないが。
なもので、主人公の人柄とか努力よりも、狂気が目立ってムナクソ悪い出来になってる。
彼を基本にするならば、活躍出来ない天才は世界の至る所で埋もれている事になる。
要約すれば「革命」なのだろう。
理論と記憶で創り上げられていくチェスの勝負に「未知の一手」をもって対抗し、覆した。そんな事だったように思う…。
まあ、それはいいとして。
タイトルに惹かれて観たのです。
完全も不完全もないだろうと。
チェックメイト=終わり、なのに…何だ、完全て?
こんな興味から。
で…ご本人の映像が出て来て、2008年に亡くなったと。
死ぬまで毒を吐きまくってたと。
この世の偽りに抗って、巻き込んで死んでったと。
…でも、意味が分からない。何が完全だったのか?死んだら終わりって事?あの対戦が分岐点?はてさて…。
チェス界に精通してない俺には、大事件にすら思えない。
ただ、
主人公の演技は見事であり、本番中がON、日常がOFFならば、その切り替えも狂気の沙汰だと思えるくらい真実味に溢れてた。
なんちゅうか…邦題に違和感が残る作品。
チェスの話でありながら、実はそうでない
事実をもとにしているのに、寓話です。
これはチェスだけを描いた映画では全然ないですし、主人公の性格を、ただ社会に不適合なだけと見ても意味がありません。
主人公は子供の頃からチェスだけに人生を費やしてきた人として描かれます。
恋愛すら二の次、三の次で、彼には「ベトナム戦争もビートルズもない」というセリフも出てきます。
しかし映画は中盤を過ぎると、米ソの冷戦という状況が、チェス一本槍で生きてきた主人公すら捉えていくという展開を見せ始めます。
チェスという競技に旧ソ連が圧倒的な強さをみせており、そこにアメリカのプレイヤーとして主人公が関わっていく。
このあたりから、チェスを取り巻く状況だけでなく、この競技そのものが、映画の中では冷戦の比喩として機能していきます。
チェスの手は天文学的な数に上るというセリフも出てきますが、その予測できなさは、お互いの出方を予測しきれず、極度の心理戦にエスカレートしていった米ソの対立関係に重なります。
実際、主人公は精神の均衡を失っていきます。
主人公の横暴な性格はチェスによって育まれたものですが、そこから疑心暗鬼にまで進行していくのは、彼の生まれつきではなかったはずです。映画の中でも、弟からの手紙に困惑する姉を描く場面があります。
しかも、主人公だけでなく、ソ連の相手プレイヤーも、実は疑心暗鬼に陥っていたことが、途中から明らかになります。
敵同士で似た状況になっている。ありしない陰謀や諜報活動を疑って消耗していく。まさに冷戦そのものです。
もちろん、二人の対局は見応えがありますが、実際に起きた出来事を、冷戦の寓意として描いてしまう手腕はなかなかのものではないでしょうか。
主人公のその後は、冷戦によって狂わされた世界そのものの運命のようでした。
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