劇場公開日 2022年4月29日

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「ゴダールは映画界で最高のクリティークではないか。」勝手にしやがれ 詠み人知らずさんの映画レビュー(感想・評価)

3.5ゴダールは映画界で最高のクリティークではないか。

2023年9月25日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

フランスからの帰国便(AF)で鑑賞。
1960年、ヌーヴェルヴァーグの嚆矢となったジャン=リュック・ゴダールの長編第一作。既成のフランス映画に挑戦し、根本から覆そうとしている。斬新の一言!カイエ・デュ・シネマの批評家(クリティ-ク)として出発したゴダールのすべてが現れているのではないか。
テーマは、僚友フランソワ・トリフォーが見つけてきた、言わば三面記事だが、アメリカの犯罪映画にありそうな筋立て。しかし、徹底して即興性に富むドライな映画に仕立てた。演じているのも長編映画へのデビュー作となるジャン=ポール・ベルモンドとアメリカ人のまだ若い女優ジーン・セバーグ。私は、ゴダールの映画では、アンナ・カリーナが一番のお気に入りだ。
手法として手持ちカメラでの街頭撮影が頻用され、セリフは自発性を重視し、即興演出、同時録音、ただし編集で、当時の定番の90分の枠に入るよう、ジャンプカットが多用された(今でも、フランス映画の過半は90-100分の枠に収まっている)。
アメリカの影響も顕著。ベルモンドの演じたミシェルは、ハンフリー・ボガードが大好きで、キャデラックのオープンカーなどを盗んでは乗り回す。セバーグの扮するパトリシアは、アメリカからソルボンヌへの留学生だが、シャンゼリゼ通りで、英語版のヘラルド・トリビューンの立ち売りをしている。通りを行ったり来たりするところが大変、可愛い。
斬新な手法で出来事をビビッドに伝えようとするこの映画は、主人公たちの魅力もあって、世界中に広まった。同時代的に、各国の映画に与えた影響は計り知れない。流行した面があったにせよ。日本でも、数限りのない追従者をえて、TVドラマでも同じ手法が繰り返し使われた。特に、我が国では、松竹ヌーヴェルヴァーグを含む多くの映画作家や批評家に大きなインパクトを与えた。実際に、かなり長い間、外国映画を語ることは、ゴダールの映画について語ることだった。後の北野武にも衝撃を与えたことが見て取れる。ダイナミックでシャープな画面に、僅かに滲み出る抒情性に共通したものが感じられる。
ただ、この手法が映画そのものを終焉に追い込む危険性を孕んでいたことも事実である。音階(メロディー)とリズムを分解した現代音楽がクラシック音楽を終焉させたように。この手法が、その後、主流になったわけではないことは、ゴダールも認めている。
テーマにも議論の余地があり、ゴダールが来日した時、インタヴューに応えて、大島渚の「青春残酷物語」を、ヌーヴェルヴァーグの先駆けとしている。ゴダールは、日本には何人かのよい映画作家が存在したとして、溝口、黒澤、小津、成瀬らの名前を挙げ、しかし「日本映画は存在しなかった」と言いきっている。「日本が何だったのか」「日本が何になりたいのか」を表現する日本映画は存在しなかったと捉えていたのだ。
私は後にも先にも、日本映画について、これほど的確な文章に接したことはない。
大変興味深いことに、ゴダールは、インタヴューの中で、最近の作家として、北野武の「HANA-BI」を挙げ、普遍的な映画として激賞している。
このように本質的にはクリティークであるゴダールは、一生をかけて映画を変革しようとしたのだ。その出発点となったこの映画を、虚心なく鑑賞したい。

詠み人知らず