柘榴坂の仇討のレビュー・感想・評価
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(悪い意味で)これぞ近年の日本映画だ!
いいシーンも一つか二つあるものの、基本的に評価できません。
この映画、近年の邦画の例に漏れず、重大な欠陥があります。それは
セリフやナレーションでは苦労したことになっているが、
スクリーンには苦労している様子がほとんど映らない
ということ、要は説明台詞だけで物語が成り立っているのです。
主役の中井貴一はきれいに月代を剃って髷を結い、着物にはツギひとつ当たっておらず、まったく「仇持つ身」には見えませんし、そんなにひどい目にもあってるわけでもない。平伏して上役に怒鳴られてるシーンが、合計で2~3分あるだけです。
芝居も他のドラマや映画で演じてきたような、それこそ大名の風格さえある所作で(褒めていません)、本作の役である近習の芝居には思われません。監督は「それは殿様の芝居だ」と指導しなかったのでしょうか。
百歩譲って主役はそういう人物だ、つまり武士は食わねど高楊枝、浪々の身にあっても武士たる者がむさい風体を見せられん、という矜持の持ち主だとしても(そういう人物造形はあり得ると思います)、その無理はどこかに出るのが当然でしょう。
すなわち、主人公を支える妻にその負担が出るべきで、働きすぎて過労で倒れるというような表現が絶対に必要なはずです。見た目も髪に白いものが混じるとか、手にあかぎれができるとか。日々の労働に追われて化粧もしない、くらいの感じは必要なんじゃないですか。
ところが画面の中の広末涼子、そういう苦労を重ねた女には全く見えません。髪は黒々、表情も明るく、ラストシーンで中井貴一に握られた手もきれいなもんでした。
勤めに出てもイビられるでもない、酔っ払いに絡まれるでもない、ただ普通に働いてるだけで苦労している風でもないでしょう。一箇所、仕立物が値切られるシーンはありましたが、収入が減ったためにどんな苦労があったかは全く描かれません。
一事が万事すべてこの調子、主人公と主君の信頼関係を表現するシーンがあるわけでもないのに「命を懸ける」というような重い台詞だけは羅列されるので
(何もしないで)口で言ってるだけの軽さ
がとても鼻につきます。
美男美女を揃えただけの女性向け恋愛映画で「愛してる」「大事にする」が軽くて薄っぺらいのが多々ありますけども、あれと似た類のイヤミです。大したことがスクリーン内では起きていないのに、言葉だけが表面上重そう、という。
その意味で「最近の邦画によくある感じ」でした。何もしないのを「おさえた演技」とか言わないで下さい。少なくともこの映画に関しては何もしてないだけです。
作り手(ことにプロデューサ・監督・脚本家)の問題は言うまでもありませんが、お客さんもこんなので感動してちゃダメですよ。作り手を甘やかさないように。
これだから日本のドラマは説明台詞ばっかりになるんです。
静かな。
派手な殺陣も、ストーリーの盛り上がりもないけれど、桜田門外の変をきっかけにそれぞれの想いを背負いながら、1人は身を隠すように。1人は復習を果たすことだけを心の支えに。静かに生きる男2人。
今の年齢の自分にはしっとりと心に沁みる作品でした。
僕には良作です。
薄っぺらな仇討ち
間抜けな侍のなあなあな仇討ち、の話。職場放棄した責任者が結局、何も出来ずに家族が大事になる、話。
殺陣も迫力なく、薄っぺらなセリフのやりとりだけ。中井貴一はもうコメディ役者だと思います。
阿部寛もギャグ入っていないから、物足りません。結局、よく寝れました。
安直なラスト
既に、実質的には無意味な仇討ち。献身的に尽くす妻を犠牲にしてもそれを果たすことは、武士の矜持か、それとも、単なるマスターベーションか?観ているうちに、私の捉え方は、前者から後者に変わっていった。藤竜也の妻の言葉が、清々しく心に響いた。ラストは想定される中で、最も無難で安直なものだった。しかし、中井貴一、広末涼子と阿部寛の凛とした佇まいが、安直さに深みと趣を付加していた。心が痛むような結末でなくて良かった♪
映画そのものとは無関係だが、館内は敬老会のような様相を呈し、マナーの悪いことこの上なかった。隣の席の老夫婦が「時代劇だから、若い人いないね。」と言っていたが、時代劇にこの類いの人たちが集まるなら、私でも二の足を踏むだろう。若者より、老人のマナーの方が悪いと再認識した。暇なご老人たちは、是非平日にご覧になっていただきたい!
すんなり
すんなり見られる映画でした。そのぶん期待を裏切られることはなかったです。想像通りのお話の運びでしたので期待していた以上ではありませんでしたが丁寧な作られ方をしていると感じましたし、役者の皆さんの達者さを見るだけでも満足でした。
予定調和のストーリーには感動はない。
世に言う「桜田門外の変」。事件のあと、移りゆく激動の時代の主人公を描いた物語はいくつもある。薩長しかり、幕府しかり。しかし、その変わり始めた時代の先端で、あえなく被害にあった彦根藩について書かれた小説はとんと聞かない。
はて、あのとき井伊大老を警護していた家来たちの生き残りはどうしたのだろうか。むざむざ主人を殺害されて黙って見過ごしたのではあるまいか。もしかしたら、脱藩して自らの手で下手人を探し当てて仇討を果たそうとした人物がいてもおかしくないんじゃないか。僕は、そう思ったことがあった。
その、もしかしたらこんな人物がいたかも知れないという、ストーリー。その着想がいい。
もちろん、井伊大老や年号や仇討禁止令やらは史実だが、ほかの人物らはフィクション。志村や佐橋は架空だ。
ふたりの事件での立場、その後の人生、関わった人々、そしてラスト、実際に品川にある柘榴坂を舞台にする妙案にいたるまで、まさしく浅田次郎らしい筋書き。
裏を返せば、はじめっからだいたい読めた。だから、椿を目にして志村が何かを悟った瞬間こそハッとしたが、僕の中では予定調和の時間が流れるだけで、あまり感動らしいものはなかった。もちろん、中井貴一と阿部寛の演技はすばらしかったのだけど。だが、女性陣のキャスティングにはどうも不満が残った。
ラストは、ドキリと驚きがあるでもなく、いまどきらしい、言い直せばもっとも浅田次郎らしいエンディングで終わり、僕にはどうも物足りなさを感じてしまった。それは、「家族を大事にしよう」という現代的なテーマがあるからだろう。
そのテーマが悪いのではなく、そのテーマは武士の世界にはなじまないと思うのだ。武士とは本来「常在戦場」なのである。たとえば、あの決闘の結末のあと、長屋に帰った志村が自決している妻を見つけるという筋書きはアリだろうか。たぶん、それこそ当時の感覚で言えば、「武士の妻の鏡」と言われたであろう。そしてそのときに志村はどう行動するのか。それこそ、食らいついて見入ってしまいそうな気がする。そんなストーリーでは興行的に非難されるであろうことは承知だけど。
この映画、いい映画ではあるが、のちのち記憶に残るほどの映画では、ない。
武士の矜持!
実に物静かな展開ですが、武士の矜持と意地そして優しさが心に染み入るいい映画でした。自分の今の境遇と少し重ね合わせ、矜持なんてとんでもない状況だなぁと反省と共に情けない気持ちになり、涙があふれでて来ました。互いに矜持の心があれば、初対面の方にも通じあえる。また、その逆もあるんでしょうね。明日から自分の仕事に矜持の心をもってやっていきたいです。とても素敵な映画でした。
“生きること”をストレートに問いかける、異色の“仇討ち”。
【賛否両論チェック】
賛:仇討ちというテーマを通して“生きること”を問いかける、異色ともいえる時代劇。ラストの30分近くに渡る中井貴一さんと阿部寛さんの掛け合いは、見応え充分。
否:展開そのものは至って単純かつ単調なので、眠くなるかも。
ストーリーそのものは単純明快で、展開も結構単調なので、興味がないと眠くなること請け合いです(笑)。そんな中でも、仇討ちモノの時代劇にしては珍しく、〝生きること”ということを全面に訴えかけています。時代の流れに取り残され、ただひたすら仇を探すことでしか生きられない主人公と、死ぬに死に切れず、1人きりで息を殺して生きるしかなかった暗殺犯。一見正反対な2人の生き様の、それぞれに胸を打つ人間模様がひしひしと伝わってきます。そして、ラストのお2人のやり取りは、鬼気迫る中にも奥深さがあり、必見です。
作品の雰囲気に違わない、重厚な作品です。
中井貴一 が、ふっくらしてて…
阿部寛は、減量でもしたのかしらと思うほどに顔は痩せてみえた。苦悩の貧しい十三年にしては中井貴一のアップの顔があまりにふっくらしていて、気になって気になって…しまいました。
それでも最後はあたたかい気持ちになれるので、父にはすすめたいと思います。
時代劇もいろいろ。
浅田次郎の原作を若松節朗監督が映画化。少し憂慮していたことがあったのだが、そのまま出てしまった。
いろいろとあるのだが、まずなぜ時間軸をいじったのか。
オープニングが志村金吾(中井貴一)の悪夢。刺客に襲われたときに刀の柄に覆いがしてあってすぐに刀を抜けずみすみす主君を討たれる。
その夢は過去の経験であった。
このシーンは必要だったのか。
金吾が主君井伊直弼(中村吉右衛門)の警護役になっていわば人生の絶頂にあり、そんななかでの桜田門外の変。
井伊直弼を討った者のうち、5人が逃亡。その5人の行く末も回想で語られる。
武士としての矜恃。それはわからないでもないが、討たれる前に直弼が言った言葉を主命とするなら、13年も追わないのでは。それが第2の不満。
13年、仇をうつために人を追い続けるつらさが映画からは伝わってこなかった。それが残念である。
小説でしか表現しえないものがあって、それを映像化するのはやはり並大抵のことではない。
そこに挑戦した意気は感じるが、もうひと息であった。
人の心に心地よい映画
仇討ちは正義、切腹や自決は潔く美しいと教えられて育っても、
人が心から求める『道理』は、きちんと他にある。
生まれたての赤子が母親の乳を求めて不器用に手探りするように、
幸せを求めて踏み出す、
そんな人間の姿を見る事が出来て
本当に良かった。
ひたむきに生きる
それは浅田次郎さんが幕末歴史小説で描き続けてきた、時代が変わっても武士の矜持を持ち続け、寒椿のようにひたむきに生きる男達の姿。
八丁座にて鑑賞しました。
観終えた後には清々しい感情が。
描かれる目線が1人の中にとどまらず、
あの時代に渦巻いて居たであろう、遣る瀬無さ、エネルギー、寂寞感。
振り絞るように滴り落ちる雫に、引き込まれながらも、なお清らかな心持ちにさえなりました。
金吾の直弼に抱く想いが、政治でもなく
勤めのみでもなく、1人の人に向き合う
忠義を越える誠。
現代を生きる私達にも決して過去にある
生き様では無いことをきちんと見せてくれているとおもいました。
仇の直吉の由縁。
堪えきれない積年のおもい。
まるで業のような面構え。
時代劇にまだまだ期待したいと心から
願いをこめています。
若者よ、否、時代劇を毛嫌いしてきた
映画好きな方々よ、見逃すなかれ。
寒椿
浅田次郎さんの短編集「五郎治殿御始末」に収録されている一編の映画化作品。
原作自体は短編なので、どう上映約2時間の映画にしたのか興味深く鑑賞。
本作品の若松節朗監督は、原作のエッセンスはそのままに、更にその世界観を掘り下げて映像化した。
それは浅田次郎さんが幕末歴史小説で描き続けてきた、時代が変わっても武士の矜持を持ち続け、寒椿のようにひたむきに生きる男達の姿。
その男達を本作品では、中井貴一さんと阿部寛さんが体現する。
お二人が演じる男達にとって人生の大きな転換点は「桜田門外ノ変」。
片や、主君・井伊直弼を守る御駕籠回り近習、此方、国士としてその井伊大老を討たんとする水戸浪士。
「桜田門外ノ変」後、この二人は被害者側と加害者側という対極の立場となる。
近習として主君を守れなかった彦根藩士・志村金吾は切腹を許されず、刺客の仇討を命じられる。
そして18名の刺客の生き残りである佐橋十兵衛は、身をやつして市井の中で独り暮らしているのだが…
江戸から東京、幕府から新政府、そして年号も明治へ、時代や世相が変わっても「侍」を引き摺って生きる男達。
特に本作品の二人は、ある瞬間から時計の針が止まったままだ。
終盤、この二人が対峙して初めて、時計の針は再び動き出す。
果たして金吾は仇討の本懐を遂げることが出来るのか?
若松監督は、原作の持つもう一つの要素を掘り下げる。
それは夫婦のドラマ。
志村金吾とその妻セツとの夫婦ドラマは原作よりも味わい深く、心に深く余韻が残ります。
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