「自分の責任で話せるのってそれぐらいだろう」リトル・フォレスト 夏・秋 shimoさんの映画レビュー(感想・評価)
自分の責任で話せるのってそれぐらいだろう
映画「リトル・フォレスト 夏・秋」(森淳一監督)から。
原作の漫画を知らなかったので「「リトル・フォレスト」が、
作品の舞台となっている、東北の山間の小さな村「小森」を
英語にしたタイトルとわかり、ちょっぴり苦笑いをした。
ただ、ストーリーも映像も、私好みであり、
大きな事件があるわけでもなく、大きな自然に抱かれて、
淡々と時が過ぎ、その生活の中で自分を発見していく。
気になる一言は「夏編」の「6th dish)」
主人公・いち子の後輩、都会に出て戻ってきた、ユウ太の台詞。
「自分自身の体でさ、実際にやったことと、その中で感じたこと、
考えたこと、自分の責任で話せるのってそれぐらいだろう。
そういうことをたくさん持ってる人を尊敬するし、信用もする。
何にもしたことないくせに、なんでも知ってるつもりで
他人が作ったものを右から左に移してるだけの奴ほど威張ってる。
薄っぺらな人間の空っぽな言葉を聞かされるのにうんざりした。
俺はさ、他人に殺させておいて、殺し方に文句をつけるような、
そんな人生は送りたくないなって思ったよ」
なかなか深い意味が隠されているなぁ、とメモをした。
私も元来「現場第一主義」だし、頭で覚えた「知識」より、
体で覚えた「知恵」を大切にしようと常に思っている。
だからこそ、この台詞が響いたが、ふと現実を振り返ると、
「世の中、そんな甘いもんじゃない」という台詞も理解できる。
う〜ん・・迷うところだけれど、気持ちだけは
「自分の責任で話せること」の範囲を意識しよう、そう感じた。
そう言えば、主人公の彼女も、こう呟くシーンがある。
「言葉はあてにならないけれど、私の体が感じたことなら信じられる」
結局は、そう言うことなんだよなぁ。