野のなななのかのレビュー・感想・評価
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私はだぁーれ?
青い空は動かない、
雲片ぎれ一つあるでない。
夏の真昼の静かには
タールの光も清くなる。
ー夏の日の歌 中原中也
大林宣彦特集で特別上映があったので、近くの小劇場にて鑑賞しました。
鈴木光男を軸に、人間の生き死にについてを、全16章仕立てで描いた、約3時間の超大作。
舞台は、星のふる里芦別 かつて炭鉱で栄えた町
北海道らしい、高原のような風景と自然がとても美しい。
雪・新緑・星・山桜・草花
四季折々の自然の中で営まれる、鈴木光男を取り巻く親戚の、なななのか(49日)までのあれこれ。
映画始まってすぐの、病院での看取りのシーン。
展開は掴めるけど、早口で本編とは関係のないような会話の数々。
全然頭に入ってこず、
「ヤバい、これはかなりの難解映画だ。今の自分には、まだわからないかもしれない」と。
ようやくわかり始めたのは、初七日での戦争についての話のあたりから。
そこからは、一気に反戦色が強くなっていきました。
それでも謎は深まるばかりで、そもそも信子とは何者なのか?綾野との共通点は?などなど。
クライマックスのなななのかのあたりから、伏線が回収されていき、坊さんの一言「輪廻転生ですな」で、そうか、そういうことか、そういうことなななのか!となりました。
大林監督の静かな怒り。
炭鉱から観光へ。原爆から原発へ。
泊原発はじめ、日本には山ほどの原発があります。
時計はあの14:46で止まっていた。
ある意味、まだ戦争は終わってないのだろうか。
とはいえ、今は平和な時代。
ありがたいことに、日本では。
核廃絶へ。監督のような戦争経験者の方々が亡くなってきてしまっている今、戦争を知らない私たちが記憶し、しっかりと後世に伝えていかなければならない。
品川徹さんの、畳み掛けるような光男の辛い過去。
忘れたいけど忘れられない、それが戦争。
そして、彼らにとっては戦争が青春。
過去の辛い記憶のパートから、いきなり平和な現代パートに引き戻されるのも良い展開でした。
演出や撮影も秀逸で流石です。
切り替えやズームアウトなど、不思議な含みを持たせていました。
現実的だけど御伽噺のような、不思議な世界観。
映画観終わってから、現実世界に戻ってきても、戻った気がしませんでした。
大林監督作は、まだほとんど観れていませんが、日本をよく理解していらっしゃって、最も日本らしい映画を撮れる監督だったんじゃないでしょうか?
赤も印象的でした。
情熱の赤、血の赤、夕陽の赤、そして日の丸の赤。
暖色の使い方が上手いからこそ、あったかい映画になるのかな。
約3時間、観入ってしまいました。
大林ワールドに吸い込まれる。
長いどころか、まだまだ観たいと思えるほど。
途中眠くもなりましたが、音楽と芦別の自然の景色が美しかったから。
これは、観れば観るほど味が出てくると思う。
まずは、中原中也を読んでみたいと思います。
追記:主題歌を担当したパスカルズ(野の音楽隊)はドラマ『凪のお暇』の曲を担当した人たちだそうです。なるほど‼︎
優しさの中に秘められた苦悩
元病院の医長光男を演じた品川徹さんの抑えた深みのある演技が秀逸。
看護師信子を演じた常盤貴子さんの凛とした美しい表情と演技に魅了されました。
大林監督の優しさと激しさ、色彩の美しさ(独特な「赤」の取り入れ方が巧い)に魅せられました。ラストで一気に全てが繋がる余韻を残す作品。
映画館での観賞
血縁
長い映画であったが、田舎に帰った時のように、たまり溜まった情報を短い時間で棚卸ししてやり取りしているがごとく、興味は最後まで持続した。振り返れば、若い時代の青い体験に取り憑かれた爺が、92歳を全うするにあたって、先立った2人の子供と妻のことは一寸も顧みずに昇天するという、通念からは咎められるような話であったことに気づく。しかし、人とはそういうものという開き直りは心地よくもある。
柴山智香の位置付けが気になるところである。過去に取り憑かれた者と対比的な現世に欲を求める者かな。
震災からもうすぐ10年。少し色褪せてきた記憶をなぞってみる。
長い
中盤までとにかく退屈で見るのをやめようかと思ったのだけど、北方領土の回想になるとドラマのエンジンがかかり引き込まれる。一族の血縁の物語でもあった。友達が国後で生きて家族まで持っていたのが驚いた。家族と暮らす家で、雇った看護婦を裸にして油絵を描いていたというのがどう考えてもエロい。
文化を壊して、お金に変えてたの、一生懸命、国中で・・
映画「野のなななのか」(大林宣彦監督)から。
「北海道芦別市を舞台に描いた人間ドラマ」らしいけれど、
芦別市の名所旧跡の案内的要素もあるからか、
2時間51分(171分)は、とにかく長い。(汗)
さらに、最初から最後まで演劇の舞台のようなテンポで、
台詞が交差しあうのだから、観賞後、どっと疲れた。
しかし、メモしたくなるような台詞は多かったので、
停めては戻しメモして再生、の繰り返しだから4時間はかかった。
中でも、私が気になったのは「第14章 そして、現代。」の章。
赤毛のアンの家とか、カナディアン・ワールドと称した廃墟などを
指差しながら、芦別市の歴史を振り返るシーン。
「まちおこし・・まち壊しだったかな?」と溜息をつき、
「まちおこしってのは、日本中の流行りだったからね」と嘆き
「『炭鉱』から『観光』へ、だったわね、ここは」と思い出した。
さらに、話を続けて、こんな会話が・・。
「京都の鴨川に、パリのセーヌ川の橋を架けましょうだなんて話も」
「それは文化の破壊だね」
そして最後に、こうまとめてある。
「文化を壊して、お金に変えてたの、一生懸命、国中で・・」
いかにも、一時代前の「まちおこし」と表現していたが、
実は、現代の「地方創生」への警鐘ではないか、と感じたからだ。
日本が「観光立国」を目指しているからって、資源もないのに
「観光」を目玉にして、人口減少を解決しようとする地方に対して。
「まちおこし」って、流行りで行なうものじゃないからなぁ。
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