インヒアレント・ヴァイスのレビュー・感想・評価
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タマゴは壊れやすい
探偵の物語。
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探偵で真っ先に浮かんでくるのが、チャンドラーのフィリップ・マーロウ。
この映画、冒頭の「暗闇から現れる女」や、「洋上に浮かぶ船」、そして何より「死んだはずの男」が出てくるあたりが、完全にマーロウの世界で、ファンとしては、グハっとなる。うわ、タマランと悶えっぱなし。最後のケツの持ち方もマーロウ。この映画が「第3のマーロウ」と言われているのも分かる気がする。
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壊れた街を壊れた男が彷徨うのがノワール。
壊れた街を壊れない男が彷徨うのがハードボイルド。
(by滝本誠氏)
だとすると、マーロウは、壊れそうで決して壊れない探偵。
そんなイメージを私は勝手だが持ち続つけてきた。
何度も映画化されているが、
ハンフリー・ボガート版は、シュっとしすぎていて「壊れそう」な感じがしない。めっちゃカッコいいしハードボイルドに違いないんだけど、私の思うマーロウではない気がする。(ボギーファンの方、こんなこと書いてほんと申し訳ありません。)
アルトマン版は「壊れそう」な危うさがイメージ通り。だけども肝心の主役のオーラが無さすぎて、個人的には残念な気もする。
一番好きなロバート・ミッチャム版は、LOVE & HATEのどちらに転ぶかわからないミッチャムの幅がまさにマーロウなんだが、その他の演出がどうにもこうにも古臭い気がする。
マーロウ映画に対し千々に乱れる思いを抱いてきたわけだが、いやはや今回の『インヒアレント・ヴァイス』、「壊れそうで決して壊れない男」に、ホアキンがぴったりとマッチしており、これぞ、マーロウと思ったりもする。(個人的な妄想で盛りあがった上での感想なので、こんなのマーロウじゃないと思うファンの方もいるかと思う。すみません。冷静に観ればちょっとダラダラしすぎとも思う。)
原作ピンチョンがどこまでマーロウを意識したかは謎(他の要素も入れてある)。PTA監督はアルトマン版の雰囲気を結構意識したのではないかと思う。
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ストーリー自体は、起承転結もあり意外に普通の探偵ものになっていたような気がする。人種間の攻防、土地を巡るエスタブリッシュVS新興の対立、警察司法の陰謀めいた動きなど、チャンドラーというよりもエルロイのLA4部作、アメリカ3部作のパロディっぽい気もするが。
ストーリー自体は普通だがそこに象徴されるもの。
古き良きアメリカの番犬的な刑事(アメリカ50年代の象徴)。
LOVE & PEACEな雰囲気の元彼女(60〜70年代の象徴)。
流され続けて今自分がどこに居るかわからない「死んだはずの男」(戦後アメリカそのもの)。
彼らが壊れた様を、映画は描いている。
彼らを壊したのは誰なのか。
ニクソン&レーガンな保守(80年代)なのか。
いや、そうではなく、そもそもが壊れやすい性質だったのだ。
誰のせいでもなく、自ら壊れていったのだ。
60〜70年代の、LOVE & PEACE、フリーダム、ヒッピー。
それらは、誰かが需要と供給をコントロールして生み出したものに過ぎず、ほんとのフリーダムなんて無かった。最初から壊れていた。
70年代へのノスタルジーがこの映画の主眼ではなく、憧れるべき70年代は最初から壊れていたのだという冷静な見解。
インヒアレント・ヴァイス…固有の瑕疵(タマゴが壊れやすいという性質は誰にも変えられないし保証補填できない)。
この映画は、アメリカの「固有の瑕疵」の物語なんだろうと思う。
壊れゆく刑事も元彼女も、探偵は助けられない。
この映画の探偵は、壊れない「強さ」よりも、周りが壊れゆく様を見届けなければならない「悲しさ」が勝っている。そこがマーロウとの共通点なのかなと思う。
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ラスト、探偵は「死んだはずの男」を、全てを引き換えに助ける。
なぜか。「男は死んでない」と頑なに信じる妻(名前はホープ)がいたからだ。探偵は「希望」を壊したくなかった。
明るいラストなのかもしれない。
でも、探偵が助けたことで、より壊れてしまったジャンキーの家出娘も映画に出てきており、一筋縄ではいかないなあとも思う。
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追記:
雰囲気やストーリーは全く違うが、この映画と『グランド・ブダペスト・ホテル』の主題は同じだと思う。
『グランド〜』は戦前の古き良き時代へのノスタルジーだけではなく、それらが壊れていく「終りのはじまり」を描いていた。
この映画も同じで、70年代の「終りのはじまり」を描いているんだろうなと思う。
この「終りのはじまり」路線は、『ジャッキー・コーガン』(リーマンショックなどの問題は今に始まったことではなく、1810年代から始まっているんだ云々)など、他にもいっぱいあって、アメリカの文化人の人はこういうのが好きなんだなあと思う。
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