インヒアレント・ヴァイスのレビュー・感想・評価
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全ては波打ち際で見た一瞬の夢のように
過去にも幾つかのトマス・ピンチョン作品を映画化しようと試行錯誤してきたポール・トーマス・アンダーソン監督。そのいずれも断念したところ、急遽売りに出されたのが本作の映画化権だったという。PTAがこれに飛びついたのは当然としても、映像不可能と言われるピンチョン作品をよくぞこれほどの内容へ築き上げたものだと感心させられる。
魅力的なキャラクター達が不気味にうごめき、幻想的な靄の向こうには「黄金の牙」がそびえ立つ。ジョシュ・ブローリンの理不尽な暴力に耐えながら、美貌の彼女の肢体に酔いしれながら、私達にできることといえば、ここで這いつくばって犯人探しをするでもなく、ただただ謎を深めていく筋書きに身を委ねるのみ。全ては波打ち際で見た束の間の夢のように、あるいは指の隙間からこぼれる砂のように儚い。観る者を選ぶ映画ではあるが、観るたびに陶酔が増していく。これは後からジワジワと浸食が進んで行く危険な映画だ。
ヒッピー全盛時代のLAを舞台にホアキン・フェニックス×PTA×トマス・ピンチョン
出てくるたくさんのキーワードに意味が隠されていてそれぞれの言葉の距離ははなれているけれどもだんだんと集束されていって全部がつながり理解できるという展開になっていて、
原作のLAバイスは読んでませんがトーマス・ピンチョンの小説ではよくある展開に思います。トマス・ピンチョンの小説は正直映像化していくのはかなり困難ではないかと思うのです。なぜならば一つ一つの事柄に対する深堀が尋常ではなく、ウィキペディア以上の深堀度合いですべて暗喩に満ちていてそれが全編貫かれているので2時間半の映像という短い中にトマス・ピンチョンの個性を詰め込むのは難しいのではと思っていました。実際に本作を見て、かなりPTAは頑張ったと思いました。原作をすべて詰め込むことはできないけれどの良いところも出ているし映像化されたことで時代の音も入れ込むことができてカルチャー全体を感じることができたと思います。ソルティレージュが主人公ドックの分身として内面を語るところも理解を深めるのに役立ちました。
シャスタをまだ忘れられないドックをホアキン・フェニックスが渋く切なく演じていて味があります。シャスタを想う時の表情がとてもいい。全体的にホアキンは良かったですね。
PTAは必ず家族、父と子の絆が強く描かれていますが今回も出てきます。これもよかったです。シャスタとドックは果たしてどうなのか、ヨリを戻したわけではないでいいのか、そこがわからなかったですね。
「ポール・トーマス・アンダーソン監督7作目 感動的なラストシーンであるが、原作に縛られたもどかしさを感じた」
トマス・ピンチョンの原作をPTAが脚色、監督した7作目の映画。海外の小説を読んでいるみたいに、あまりにも登場人物が多く、誰が誰やらはっきりしないなかで映画を見進めた。PTAが得意とする群像劇とは違い、原作にあわせた脚色をしているので登場人物が多くなっているという感覚をうけた。
麻薬常習者の私立探偵ドック(ホアキン・フェニックス)と元カノのシャスタ(キャサリン・ウォターストン)との再会から映画は始まる。ドックもシャスタも元ヒッピー仲間。シャスタはカリフォルニアの不動産王と呼ばれる、大金持ちの愛人になっている。しかしなにか身に危険が迫っているといい、ドックに助けを求める。
シャスタが突然失踪する。ドックはシャスタがどこに、なぜ失踪したのか調べていくうちに、新たな調査依頼がまいこむ。話を聞いて調査しているうちに、別の事象にぶつかり、また新たな展開をみせていく。ミステリー仕立ての脚色であるが、原作に縛られている感じがしてならない。
インヒアレント・ヴァイスとは、避けられない劣化や破損を意味する。この映画のテーマは60年代、ヒッピーが席巻したカウンターカルチャーの終焉であり、ベトナム戦争の泥沼にはまったアメリカという国の劣化とともに、不動産業界を例にとり資本主義が幅をきかすという、一時代が過ぎ去ったことを描いている。それゆえ、ドックもシャスタもヒッピーをやめ、カタギとして今生きている。
原作を映画化する。もとは文字のみで書かれたものを、俳優が演じ、視覚化できる造形物を作り出して映画にする。PTAは部屋の作りや小道具、建築物の構造、車、衣装など視覚化できる工夫はよく理解できるが、前作から出演しているホアキン・フェニックスの狂気じみた演技、演出もない。どうしてもストーリーをおいかけるしかすべのない映画になっている。
確かにスリルとサスペンスはある。しかしいつものPTAの驚きをいだかせる脚本の展開の力や役者の魂を揺さぶる演技は見られない。ラストシーンのドックがとった行動やドックとシャスタの関係性にはある程度の感動はあったが、驚きはなかった。やはりPTAのオリジナル脚本で自由に大胆にかつ繊細な人間模様を見せてもらいたい。
ポール・トーマス・アンダーソン監督らしさ満載
ポール・トーマス・アンダーソン監督の「ワン・バトル・アフター・アナザー」が第98回アカデミー賞の大本命ということで過去作をさかのぼって鑑賞。
ストーリー的には正直なにがなんだかよくわからない部分も多かったが、本監督作品らしく'70年代の音楽や少しかすれた感じの映像がとてエモく、あっという間の149分。
特にやっぱりオープニングが良い。カリフォルニアの静かなゴルディータ・ビーチから始まり、暗がりからスタイル抜群のキャサリン・ウォーターストーンの登場、そして車を見送るホアキン・フェニックスにかぶせて聴き馴染みのある曲とともにネオンサインのタイトルがパーン。のっけから一気にシビれる。このセンスは本監督とクエンティン・タランティーノ監督くらいか。
そして、結構ハードな内容ながら、時折織り混ぜてくるジョークも良い。「チック・プラネット」の絵画からの覗き穴は特にツボ(笑)
訳がわかりないのに面白い。実に本監督らしい一作といえるだろう。
ずれていく焦点
長い、つまらない、わからない 三冠王の最低作
だめ、合わない。
もっとパナケイコウ!
ついに映画化されたピンチョン
すっかり遅まきながらようやく放送で観ました。原作はピンチョンの「LAヴァイス」。「ピンチョンにしては」軽いハードボイルドもの笑。60年代のマリファナ漬けでグダグダなヒッピー風私立探偵が事件を解決する話です。
ピンチョン!! いやあ映画化されるとは思わなかったなあ。しかもPTA(P.T. アンダーソン)で。大好きな作家です、って言いたいところだけど3冊くらいしか読んでないし積読が棚に3本くらいあるし....だって読むのに凄く時間がかかるんだもの。「重力の虹」には昔から映画化の話はあったみたいだけど頓挫してるみたい。
素晴らしい大傑作です。PTAの濃密さとピンチョンの濃密さがあいまってねっとりしています。しかも長尺。しかもたくさん登場人物の関係が込み入ってる。情報量の多さがハンパない。消化不良を起こす人が出てもおかしくないですね。じっくり人間関係を整理しながら観ないとストーリーを見失いそうです。
原作と監督を考えたらもっと幻想的な話かと思いきや、探偵小説としては意外とちゃんとしたストーリーで腑に落ちました。終りもさわやか、というかよかったよかった、となります。PTAらしいちょっと皮肉なユーモアがたくさん入っていて、すごくおいしいです。原作からしてそうなので、相性がいいんでしょうね。
キャスティングも抜群。J. フェニックスもJ. ブローリンもB. デル・トロも素晴らしかった。胸焼けしそうなメンツですけど笑
私としてはPTAで一番好きな作品になりました。
最初はロバート・ダウニーJrがドックを演じる予定だったらしいですね(アイアンマンで忙しくてスケジュール調整できなかったらしい)。それをきいたらダウニーJrのをすごく観たくなりました。小説のドックは軽薄なヤツなのでJ.フェニックスよりダウニーJrのほうがあってる気がします。それと、ドックはたまにドレスアップしてハイソなところに出没するんですが、その時のスーツ姿はダウニーJrのほうがサマになってると思うんです。いつもは軽薄なヒッピーだが、いざという時にはキメる感じ。ハードボイルドには彼のほうが似合ってたかもしれません。
ナレーターの声がうざい、うざすぎる
地続きの悪夢
「悪夢(のような)」という形容詞で表現されるような不条理なできごとが現実世界にはある。無数にある。殺人、レイプ、大震災、その他諸々。
なぜそのような形容詞が用いられるかといえば、それらのできごとを「悪夢」としてフィクショナルな位相に棚上げでもしない限り、我々は「平穏な現実」というスタブルな足場を失ってしまうからだ。「悪夢のような」という形容詞を用いるとき、我々は意識的にであれ無意識的にであれその対象を現実ならざる異物として処理しようとしている。
しかし一方で「平穏な現実」なるものが実のところ数々の矛盾を孕んだ欺瞞であることにもまた我々は薄々気が付いている。
我々がいくら「悪夢のような」という形容詞によって不都合な部位を切除し、「平穏な現実」の神聖/真正さを守ろうとしたところで、そもそも守られる現実そのものが内在的な瑕疵を抱えている。たとえば一見して安穏なロサンゼルスの街並みにもさまざまな異民族やマイノリティの血と涙が染み込んでいるように。
この映画には実際に起きたできごとと幻覚の境目がない。いや、厳密にはあるのかもしれない。しかしその境目が意図的に描かれていないことだけは確かだと思う。
どこまでが客観的事実で、どこまでが薬物中毒の症状なのか。それを明示する手がかりは何もない。「わけがわからない」という素朴きわまるレビューは何も間違ってはいない。私もそう思うし。
思うに、PTAは実際に起きたできごとと幻覚(あるいは悪夢)を地続きの現実として描き出そうとしている。
すべてを並列可能なものとして、平等に、つまり「悪夢のような」といった留保を用いることなく横一列に並べていくことで、それらはすべてが現実なのだと言ってのける。
不条理なできごとをフィクションとして切り離すことで成立する「平穏な現実」もまたフィクションに過ぎず、そこに社会あるいは人心を抉ることできるようなリアリティなどはない。
この映画は混沌だ。混沌そのものだ。合理性もなければ一貫性もない。何もかもが宙ぶらりんで気味が悪い。
それでもこの映画に心を動かされてしまうのは、不条理の連続にもかかわらず目を奪われてしまうのは、この映画が他ならぬ本物の現実を捉えようとしているからに他ならない。
現実は平穏でも神聖でも真正でもない。そこには不条理が、混沌が、内在的な瑕疵が、すなわち"Inherent Vice"がある。
実力派揃い踏みで送る悪夢のようなハイスピードムービー
元カノのシャスタから不動産王と謳われるミッキーウルフマンに迫る危機から彼を救って欲しいとの依頼を受けた私立探偵のラリードックスポーテッロ。
1970年代のロサンゼルスを舞台に様々な人物とトラブルに巻き込まれていくドックの姿を描いた作品。
髭なのかもみあげなのかわからないほど毛深い姿が印象的なホアキンフェニックスを主演に、ジョシュブローリンやベニチオデルトロなどの豪華俳優陣を社会派ヒューマンドラマの第一人者、ポールトーマスアンダーソンが監督した今作は、主人公のドックが様々な人物と出会い、事件の真相へ深く深く潜り込んでいく様をユーモラスかつシリアスに描いているのだが、ハイテンポに登場する新たな依頼人とその関係者など登場人物があまりにも多く、本筋を見失ってしまうカオスな構造を持った作品であった。
そんな中でもビッグフット警部補の存在感が強烈で作中のドックとの敵とも味方ともいえる関係性が非常に面白く、魅力的なキャラクターを名優ジョシュブローリンが演じているのが印象的だった。
謎に日本人が経営しているパンケーキ屋ではちゃめちゃな日本語と声量でもっとパンケーキをくれと注文したり、マリファナを葉ごと貪り食うなど主にモノを食べるシーンと低く凄味のある声が渋く印象的だった。
作品紹介にあるような70年代当時のポップカルチャーをフィーチャーした表現も多く、そのあたり知識があるとより楽しめるかもしれない。
とりあえずいろいろな意味でヘビーな作品なので楽しんでもらいたい笑。
ジョーカー対サノスの構図が面白いだけ
数々の賞を獲っているポール・トーマス・アンダーソン。個人的になぜだか好きになれない作品も多い。これもその一つ。会話にはウンチクもあり、笑いもあるのだけど、その緩い笑いに騙されてプロットは置いてけぼり。登場人物がどんどん増える割にはヤク中のためか話も見えなくなる。唯一の救いは語り部ともなっているリース・ウィザースプーンのみ。
インヒアレント・ヴァイスは海上保険用語で「避けられない危険」という意味らしいが、黒幕以外にもそれぞれ当てはまるところは面白い。ただ、刑事や私立探偵の物語を期待するよりは、みんなラリってるところを楽しむだけだったかなぁ。
LAPDの闇の部分や政治的・人種的なシニカルな発言も、ストーリー同様あちこちにぶっ飛んでいるし、犯人?いや「黄金の牙」探し?一体何を見つけたかったのだろう。ビッグフットのトラウマも解消されてないみたいだし、最もハッピーエンディングなのはオーウェン・ウィルソンだけだった気もする。
タイトルなし
パンケーキ下さい!
とてもよかった
音楽と映像の感じと役者の存在感がとても魅力的だった。ミステリーの要素は大して盛り上がらなかったけどそんなに変じゃなくてよかった。あの時代あの空間に行って一緒に大麻を吸いたい。
ただ、2016年にWOWOWで録画したのを見ていて最初、途中で寝てしまい、しばらくして初めから見ていたら2時間15分で録画が切れてしまい、翌日DVDレンタルでようやく最後まで見た。そのためなんだかスッキリしなかった。
(追記20251209)
初めて見ると思って新鮮な気持ちで見終えたらこうして感想が残っている。つまり2回目であることを忘れていた。今回も途中で寝てしまい、事件の展開の脈絡が分からなくなり、会話に出てくる人名もよく分からない。ただとても見ていて感じがいい。
監禁されて手錠を外して便器のフタで反撃して相手を射殺するアクションが抜群にかっこいい。元カノもゆるくてかわいい。やたらと出てくる風俗嬢もすごく好き。そして探偵業が楽しそう。悪者も憎々しいし、刑事のビッグフットもキャラ立ちがいい。
またそのうち見よう。
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