チョコレートドーナツのレビュー・感想・評価
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こっちを先に見るべきだった、本家物
ゲイカップルが、隣人の子の面倒を見る話というのは
先日見てとても面白く感じた「彼らが本気で編むときは」の本筋と似ている。
「彼らが〜」の感想レビューの中にこの映画の事を言う人が多く見られたので、探して視聴。
だからと言って「彼ら〜」も全く遜色なく、視点は全く違うというのも見ればわかるが。
こちらは、同性愛者に対する徹底した差別が悲劇を産んだという一点のみのストーリー軸を
役者陣の圧倒的な演技で見せるもの。
Amazonプライムにて視聴したが
見始めたたのは一週間前。
三分の一程度を見て 残りを昨晩視聴し終えた。
この間に、先月から寝たきりで今月に入ってほとんど意識を失っていた夫の死と通夜と告別式を挟んだ。
寝たきりの夫を残して家をあけることができなかった数ヶ月、
配信される映画をうちで視聴する事がほとんどだった。
そしてこのサイトで感想を語り合う事で世の中と繋がっていたような気がする。
本来 こうやって見るべきものではない映画だったが
気持ちの中ではこれはこれで
私の中の軸を保つのに うってつけであったと言える。
人のためのレビューでなく
自分の忘備録として付け加えておく事にした。
ルディの歌が良い
始めの数分は、自分には苦手な作品かもしれないと感じたけれど、気づいたら引き込まれていた。
映画だからハッピーエンドではないことに作品としての美学を感じるが、マルコにはルディと暮らして、幸せに生きて欲しかった。
(実話から着想を得たというだけで、実際には幸せに暮していたと信じたい)
少し「万引き家族」を思い出した。
We Shall be Released!!
勇気をもらえる映画だった。何か社会の理不尽/基本的人権が尊重されていないところを変えていこうとしたら、この二人のような努力がいる。極端に言ったらキング牧師やボビー ケネディーのように暗殺されてしまう。この映画でこの努力には特に大きな悲しみ(マルコのこと)があったが、ルーディー{Alan Cumming }が『 ふたりはいやされるだろう』と歌ってこの映画を締め括っている。二人が癒されるのには時がかかるが、これは人生において、この場合、この体験がルーディーとポールの絆、二人の生き方などにおいて貴重になっている。それがまた、社会に及ぼす影響力となると思う。
人権問題が希薄化している日本にもきっと、このように戦っている人がいると思う。でも、特に、政府や社会が『自己責任』を重視してくるとこの映画のような話題は困難化するだろうけど。
それに、この映画は当時、主に、米国のLGBTQ+の映画祭で賞を獲得している。公民権運動と同様、基本的人権を守るためのものなので、もっと、一般人に受け入れられる サンダンス映画祭(?)、トロント映画祭(TIFF)などや、米国のアカデミー賞のようなところで、ノミネートされる映画であって欲しかった。
この映画は1970年代の物語(事実も入っていると)らしいが、ニューヨーク州で、2003年に州法でLGBTQ+の雇用契約破棄などは禁止されたり、学校教育での差別の禁止されたり、結婚も可能になっている。私の職場でも、結婚している人たちや、子供を養子縁組している人たちは数えられないほどいる。でも、これらが認められていない州の方が多い。このところが大きいと思う。
最近のLGBTQ+の映画にはこの当たり前の権利(私見)が認められているかいないかより、二人の愛の葛藤について描いている映画が多いと思う。
この映画の良さは、基本的人権が認められていなかったニューヨーク州の問題を私たちに教訓にしている。それも、何十年もかかって、この法案が通ったわけだし。米国でまだまだ認められていない州が多いから、このような映画が繰り返し製作上映されることにより人々に『意識化』『気づき』が生まれ、結局は人間一人一人は同等の権利があり、大切なんだよと社会に認めさせることになる。
マルコの児童放棄や、母親がシングルマザーで障がい児を育てること、社会での職業の貴賎、LGTBQ+にたいする偏見などなど、たくさんのみなさんがここに感動したコメントを書いている。これが見せかけでなく社会を変えていく原動力になっていく。
私はこの映画で弁護士の職を解雇されたポールの目から、主に、この物語を観察していた。なぜかというと、現状で誰が私の個人の生活に近いかというと 三人の中でポールだと思う。彼はなぜ離婚をしてワシントン州のワラワラから、ロスに引っ越してきたかの理由を『世界を変えるため』と言った。そして、弁護士として働き始めて、『??社会正義のための良い戦いをしている???』とは思えないかと濁しているが否定してる。弁護士という勝負の世界で社会正義のための戦いをするには程遠いんだなと私は感じた。そして、ベッドでルーディーのことを『素晴らしい』というシーンがあるが、私はこの意味がよくわかる。自由奔放に生きて、怖いもの知らずに行動や言動できるが、それが、正義と善意と完全に結びつき自然な姿だからなのだ。その時、音楽が聞こえてくるそれが、『もしあなたが信じるように私も信じられれば。。。』この曲がポールの心情をよく表している。泣けるね。ポールは自分の思ったような人生を歩んでなかったんだよ。仕事を失った時、ルーディーが『自分に戻る時』だと言った。そして、ドアを蹴って叩き壊して世界を変えるために何かしろと。その時、ポールは初心にかえった。私もこの人生においてふと我に返ることがある。今まで何してきたのと。シングルマザーなって生活は人前にできるけど、え?と気づいた時があった。
ここからのポールは強くなっている。特に、公民権運動の弁護士と敗訴した法廷結果を話している時、この弁護士が、『あなたも、弁護士なら、弱いものや社会正義のために戦って裁判で負けてしまうことを知ってるだろう。それでも、挫けずに立ち上がるんだというようなこというシーンがある。この弁護士の言葉は彼に力を与えた。私も力をもらった。同じ弁護士が社会正義のため戦っている!ここから、もうポールは引きさがらなく、正義に向かってまっしぐら。自分を隠さず生きることが脆弱な人々を助けることにつながるから。その時、助けられなくても社会を変える一歩になっていくから。
ルーディーはステージで、ポールを見て、『私の愛する人よ、約束できるよ。私たちは癒される』ということを。『I 』じゃなくて
『We 』shall be released. でうったえて、締め括っている。
I Shall be Released.
https://www.youtube.com/watch?v=JUpOT4060AE アラン カミング
https://www.youtube.com/watch?v=E0pkHBVznLA ボブ ディラン
マルコのお父さんはどこに。
この終わり方でよかった、見た人にこの偏見と差別をドンと伝えてくれたと思います。
論点がズレますが
マルコのお母さんは、爆音で麻薬をし、釈放された後も男を連れ込んでマルコを放置。
たしかにひどいが、シングルマザーで子供を一人で育てることも大変なのに、さらに障害を持ってる子だという。
このお母さんを100%責めることも出来ない。
このお母さんにも支援は必要だった。
このお母さんがもっと幸せに、心に余裕があれば麻薬なんてやらなかったかもしれない、分からないです。
ゲイの差別もひどいし、シングルマザー、シングルファザー
子どもを育てるということはこんなに大変なんだ
そして、どんな影響があり、慎重にならなきゃならないことなのか
っていう命の重さを改めて感じるべきです。
この映画は、一見マルコのお母さんが悪者に見えるし
たしかに良くないけど
そもそもシングルマザーって時点でいろんな苦労があって
普通に頑張ってるシングルの親は、どれだけ頑張っている超人なのかというのをみんなに理解してもらえたらいいと思う。
邪魔な偏見。
同性愛に悩むパフォーマーと弁護士の二人と、母親が麻薬依存者でネグレクトされている子供の間に家族としての愛が芽生えるが、世間や常識がそれを許してくれない物語。
時代は1970年代のアメリカともあり偏見や差別が露骨に溢れている。裁判で「同性愛者は異常だ」と平気で発言し、特段問題ないような感じで裁判が続いている。
とはいえ現代でも性差別は無くなっていないし、なんなら自分だって気付いていないだけで差別をしているかもしれない。何十年後かに「こんな差別があったんだ」と思うような時代を生きているのかもしれない。
それでもその時の常識に囚われず、本当に大切なことを見極めなければいけない。難しいけど。
マルコの望んだハッピーエンドを目指して。
正しいことがまかり通らない歯がゆさ。
予告を観て「あ、これ絶対面白い奴だ」と、一目惚れして視聴。
マルコにとっての最善であり、最高の生活が、世間からの風当たりや偏見がそれを許してくれない。結果最悪の結末になり、だれもが不幸になってしまう。
現代のように多様性、なんて言葉が浸透してなかった時代の話であるので、周りの人や偏見も分からなくはないけど、あまりにも悲しい物語でした。
ストーリーや展開は完璧だったのですが、ただ、マルコと2人が一緒に住んでからの描写を増やしてほしかった、というのが正直な感想ですね。
ハッピーエンドの物語が好き、とか、チョコレートドーナツが好き、とか、物語の大事なシーン、というか後々の感動を引き出すための描写が1度か2度くらしか出てこなかったので。
チョコレートドーナツを頬張るマルコの満面の笑み
ゲイのカップルがダウン症の子供を育てるという話。
可哀想だなぁなんてつい思ってしまいがちですが、普通と何も変わらない愛の物語です。
そもそも普通って?何?
ゲイのカップルなのに、まるで男女の恋愛を見ているかのようで、むしろ男女の恋愛以上に2人の強い愛を感じました。
そしてマルコの可愛いこと。
ダウン症の子ってなんか可愛いですよね。
アラン・カミングさんやギャレット・ディラハントさんの演技も素晴らしかったですが、マルコ役のアイザック・レイヴァさんも新人とは思えぬ演技力。
彼の他の作品も観てみたいと思いました。
普段、健常者として、性的マジョリティとして、生きている身としてはなかなか知れない彼らの悩みや苦しみを分かりやすく勉強することもできました。
ゲイだというだけで世間から冷たい視線を送られ、裁判でも不条理な証拠を作られてしまう。
ハロウィンは仮装だろ。
そもそも女装しようが、ゲイバーに行こうが何が悪い。
近年はようやくLGBTの考え方が浸透してきましたが、冒頭にも書いたように、最初は誰でも自分や周りと違う人を分けて考えてしまうと思います。
こういう映画がたくさん作られて(勿論、本人たちとの交流が1番ですが)、お互いをよく理解できるような社会になるといいんですが…
ラストは衝撃的でした。
マルコの好きなハッピーエンド。
現実が優しい世界になりますように。
いい映画だとは思った
いい映画だとは思いました。
熱いセリフが多かったです。
「一人の人生をなんだと思っている」
また個人的には黒人弁護士が良かったですね。キャストも豪華で、当時の、今に続く差別の雰囲気をうまく表現しているのではないでしょうか。
しかし、いまいち感情移入できなかったのは、「自分だったら」どう思うのかという点ばかり反芻して、うーん、わからんとなってしまったからなのかもしれません。性表現が少し少ないとより見やすかったかなと思いました。
マルコは良いキャラクターでしたね。また裁判も少し偏見入りすぎだろと思えるほど滑稽でした。当時はあんな感じだったのでしょうか。正義はやはりなかったのですねえ。劇場型裁判。
ハッピーエンドではなかったですね。
最高の映画
俳優さんの演技力も然る事乍ら、とにかく内容が素晴らしい。
映画初心者の私でも分かりやすいのにあそこまで心の深い所に刺さる映画はそう多くないと思います。
愛しくて愛しくてたまらない主人公に会わせてくれた事に感謝
家族の形は…
家族とは、愛するということとは、人が人を裁くということとは、いろいろ考えさせられました。
ルディの歌声がいつまでも耳の奥でこだましています。
法律ってなんなんだろう。
今の日本ではこういった偏見まだまだあるんやろなぁ。
次の人生では幸せになってね。
主人公がとても美しかった
いろいろ思うところはあるけれど、まず主人公のルディがとても美しかった。最初のゲイバーで歌っているシーン、一瞬で釘付けになりました。色気たっぷりで母性に溢れていて、女の人より女の人でした。
全員の演技が素晴らしかったですが、特にルディとマルコが良かった。
少し展開が読めた感はありますが、全体的に見るといい映画だったと思います。名言も多い。
LGBT差別について少し考えました。どうしてそこまで自分の人生に関係のない人の人生を否定するのか。もしかすると昔の人にとってのLGBTの感覚は私にとっての近親相姦の感覚なのかもしれない。もし近い将来、化学技術が進み近親間でも遺伝子に問題のない子が産める世界になってしまったら、私は近親相姦を肯定しなければならないかもしれない。そう考えるとLGBTとは私が思っているより重たい問題なのかもしれません。
これはちょっと極論ですね。勢いで考えたので、すみません。
いろいろ書きましたが、不当な差別偏見が無くなることを願います。
衝撃の結末。 こんなあからさまに差別する時代があったのかと悲しくな...
衝撃の結末。
こんなあからさまに差別する時代があったのかと悲しくなったしマルコはルディとポールの元で幸せに暮らしてほしかった。
けど少し同情的に描きすぎだとも思った。
映画の中ではゲイだからダメだという風になってたけどもしゲイじゃなかったとしても親しくもなかったただ隣に住んでただけの独身男性に監護権が渡るなんてことあるの?
唯一の強みがポールの安定した収入だけどそれもなくなったし…
ましてや育てるのが難しい障害児。
母親がサインすればOKなのか?
魔法が使える少年の話の続きは語られない。
あまりにも悲しすぎる結末。それは本編を見ている中でもいくつかの伏線で示されていた。特に一番分かりやすかったのが、魔法が使える少年マルコの話だ。
ハッピーエンドのお話が聞きたいマルコに語りかけるルディが話を始めるシーンが本作で2回ある。ここでルディは話し始めるが、昔々で終わってしまう。なぜならハッピーエンドが待ってるはずがないからだ。あまりにも悲しく切ないエンディング。涙が止まらないに決まってる。何度も見たいが二度と見たくない話。人生で一度は全人類に見て欲しい話。
切なさがやたらと記憶に残る映画
グリーンブックを見たときにも感じたが、あまり直球で辛いことは描かないというのがヒットする映画の条件のような気がする。
などと思いつつ、この映画のレビューを見たら、意外とショックを受けている人が多くてびっくりした。
実際にはもっと大変な差別や偏見があったと思う。
ダウン症の少年と向き合うのも色々と難しい問題があっただろう。
そういった部分はわりとさらりと描かれている。
しかしそのあたりの描写がリアリティーに欠けていることは、この作品においてさほど問題ではないような気がする。
ゲイのカップルのふたりは少年を深く愛していた。
一般的なスピードでは成長しない少年の勉強を見て、お話をしてあげて、そばにいてあげた。家族愛というか無償の愛を与えた。
アラン・カミングの切ない表情が忘れられない。
特にポスターにもなっている、泣いているマルコを抱き締めるシーンは心の奥のほうを義ゅっと掴まれた。
マルコが夜を歩くときの世界はうつろ。焦点のあわない街の光がふわふわと夢の中のよう。
ハッピーエンドが好きだった彼が、ハッピーエンドを手に入れられなかった。
そのせいで余計にこの映画が印象に残るんだと思う。
二人のなかにこれからもずっとずっと残る、マルコ。
マルコのなかにもずっと二人が残っていく。
エンディングの歌詞の切なさもいい。
愛しい息子を守る為、戦う映画
2度目見ました。
1975年。誇り高いドラッグクーンのルディと純真な検事のポールが出会う。
ルディが同僚に「あの人は気付いてないけど、私にゾッコンなの」という言葉、すごく良かった。
純真で自然体のポールをうまく表してると思う。
ちょうど隣に住んでたアパートの女がドラッグ中毒者で捕まり、その息子の知的障害者である15歳のマルコの世話をするようになる。
ルディとポールが出会って2-3日。マルコを引き取る為、3人が一緒に暮らすことに。
マルコもようやく家と呼べる愛情に溢れた暮らしが訪れた。
しかし検事局の上司がポールがゲイだと気づき、あらゆる手段で妨害を始める。
裁判でのポールの言葉「これはゲイの問題じゃない!チビでデブの知的障害の子を誰が育てたがる!愛情をかけて育てる!」という言葉が突き刺さる。
1975年当時はゲイへの偏見も凄かったんだと思う。
ゲイがどうのこうのを抜きにしても、純粋に愛が溢れた映画でした。
その子にとって本当の家族は誰か
『ゲイカップルがダウン症の子供と暮らす』
どんな設定だよ、と気になり見始めたら最後の最後までのめり込んでしまった
素直で愛らしいマルコは、それまでの暮らしはいいものとは言えなかったが、ルディとあのタイミングで出会ったこと、衣食住を当たり前に与えられたこと、2人の父親からたくさんの愛情を注がれたこと
たった1年だけれど、彩りのある充実した生活だったんだろうなぁ
とにかくアラン・カミングの演技が素晴らしかった
・マルコを一晩家に置いて、ポールに電話をした直後に手を繋ぐ
・嬉し泣きをしたマルコを抱き締める
・歌の発表でわたしたちの自慢の子、というようにポールと目を合わせる
どこをとっても慈愛に満ちていて、母親にしか見えなかった
ルディの歌にのせたホームビデオが幸せに溢れているのもとっても良かった
だからこそのラストはズドンと落ちたし悲しくてたまらなかった
ルディとポールの悲しむ様子(涙の描写)が無いのがより苦しい
マルコの切ない背中
最期まで二人がいる世界、ハッピーエンドを目指して歩いたのだろう
裁判のシーンでのポールの台詞、涙ながらに訴える表情
、そして復讐にもみえる手紙も、ルディのように激情型ではないからこそできる行動
マルコへの愛情はルディ程ではないのかなと思いきや熱いじゃないか!とまた泣いた
収入の安定していないルディがマルコの世話をしようとすることや、あまりにも早い同棲、ダウン症児との生活がファンタジーすぎるなど現実的ではない部分もあるがそこは映画ということで
ゲイカップルという描写、
全く気にならず誰よりも子供を愛す両親にしか見えなかったが、レビューをみる限り嫌悪感を抱く人はいるわけで、、難しいんだろうなー
自分が親の立場になったらまた見たい
血のつながりなんて関係ない。
たまたま隣同士に住んでいた、ゲイのルディとダウン症の少年マルコ。
ある日、マルコの母親が薬物所持の罪で連行されてしまいます。
ルディはそんな彼に愛情を持って、家族として一緒に生活をする決断をしますが、
世の中は法律も含め、彼への偏見で二人の関係が悪影響だと保護施設行きが妥当だとします。
この不利な状況で戦うゲイカップルの愛情溢れるお話です。
今でもLGBTQの差別偏見を無くそう。
現在、世間がその垣根が低く感じていて色々な生き方を受け入れようとしているが、
本作品は、1970年代のお話で実話がベースになっています。
この話は色々なメッセージがあると思う。
まず、差別という問題も大きなテーマであると思う。
そして、子供は親を選べないという事。
世の中で苦しんでいる子供が沢山いるんだと思うと辛い。
毎日の様に流れる虐待のニュース、何も罪がない子供が亡くなる現実。
色々と考えさせられる映画だった。
ゲイの映画だとか先入観と偏見を持たずに是非とも見て頂きたい。
『幸せを大切にし、それを守ろうとしたのに守れなかった』大人たちの物語
『幸せは自分で守るべき』という映画ではない。なぜならこれは『幸せを大切にし、それを守ろうとしたのに守れなかった』大人たちの物語だからだ。しかも誰かが悪いわけでもない。幸せを壊した方の大人たちも、70年代という時代の中、社会的な分業の中で自分の職責を果たそうとしただけだった。
両方の正義が衝突している間にマルコはボロボロになり、最後の決着では生きるのにあまりに過酷な環境へ追いやられてしまった。主人公たちが「あっちはマルコの実母。こっちは赤の他人」という事実によって、深い愛情とは対照的にアッサリと裁判に負けてしまう。『どうしようもない失意のどん底』の感情を実にうまく描いていると思う。
主人公の歌声があまりに美しいため、ラストシーンはどん底による暗澹たる気持ちだけではなく、マルコと過ごした幸せだった時間も蘇らせている。
あらすじ
二人のゲイ(「ゲイバーのパフォーマー」と「地方検事」)が一人のダウン症の少年(マルコ)を引き取って育てる。そこには真実の愛情が生まれるが、70年代の空気(同性愛者への偏見)の中で裁判により引き離されてしまう。
マルコは実母の元で地獄のような生活に戻される。母親は薬物中毒で、マルコをボロアパートの廊下に出して知らない男と行為に及んでしまう。耐えられないマルコは一人で家を出てしまうが、死体で見つかるという話。
ゲイの二人が出会ってマルコを引き取るまでは実にとんとん拍子で話が進む。この映画は97分しかないし、描きたいのは幸せを守れないプロセスだろうから序盤はあっさり。地方検事が家にマルコを受け入れるところなんて「お前はまだマルコにそんなに愛着ないだろ!w」と思ってしまった。でもテンポ大事だもんね。
社会制度に幸せが引き裂かれるプロセスが描かれる
実母が薬物で捕まってしまったのでマルコを引き受ける(一時監護権)ための法的な審理を受ける主人公二人。主人公二人は「我々はいとこ」だとウソをつく。このウソを礎にして監護権が認められ、3人での幸せな生活が営まれる。だが礎がウソなので、これがバレてしまうとさあ大変。マルコは施設に取り上げられる。彼を取り戻すために二人は永久監護権に変えて再度審理へ臨む。
70年代の空気の中、主人公たちは「同性愛者の男二人がダウン症の子どもを養育なんてできるのか」という社会の疑念にどうにか勝たなければならない。今度は証人として養護学校の教員、ゲイバーの同僚、児童福祉の担当者が呼ばれて次々と証言する。彼・彼女らは同性愛者に懐疑的な社会の風潮などどこ吹く風で、主人公二人が養育者としていかにふさわしいかを証言する。彼らが育んでいた愛情がまぎれもないために、証人たちがややもすると困難かもしれない証言であっても堂々と言ってくれる胸のすくシーンである。
しかし審理では永久監護権が却下される。
ついに裁判へ持ち込む二人。これまでのマルコへの愛情を再確認し強い決意で裁判に挑む。だが実母が早期釈放されてしまうと為す術もなくあっさり負け。マルコは施設から実母の家へ送還されることに。さっさと書いてしまったが、この過程で主人公二人はマルコへの愛を再確認し、どうしても彼を育てたいという気持ちを確かめていた。しかしどれだけ真摯な愛情があっても、実母の存在の前では(それがどれだけダメな母親であっても)裁判上まったく敵わないのである。このむなしさ、どうしようもなさ、失意のどん底が実によく描かれている。
言葉にならない感情を表現する
判決に従ってマルコは実母のもとへ帰される。マルコは家に帰れると聞いて喜ぶが、実母の家の方だと気付くと「ここは家じゃない」と言って聞かなくなる。だが押し込められてしまう。
家では前と同じように腐った母親が大音量でロックをかけ、知らない男とクスリをやっている。マルコは前と同じように少女の人形を抱きしめる。三人で幸せな生活をしているときには見かけることがなかったあの人形である。元に戻ってしまったのだ。廊下に出されたマルコはそのまま一人で外に出て行ってしまう。このシーンはラストにつながるところだが、これまでもマルコが一人で出かけてしまうことが描かれていたから、観ている方は「そりゃ出ちまうよな」と納得して自然に観ることができる。
ここまでひどくはないが、不安でいっぱいの家庭を味わったことがある者ならマルコの境遇には同情せずにおれないだろう。しかも貧しくて逃げ場の無いような狭い家ならどうしようもない。外に逃げ出すしかない。マルコの表情は安心と愛情を奪われ、不安と恐怖におびえる子どもの心を実によく現わしていた。
あるプロの批評コメントでこんな趣旨の指摘があった。主人公の一人(パフォーマーの方)がマルコを愛する理由は描かれないがそれでも納得感があるのは、彼の演技からこれまでの人生でどれほどの偏見や無理解に苦しめられてきたかがわかるからだろう。一人でいるときに震えるまつげ、顔をくしゃくしゃにしてマルコに微笑む姿、といったどれも印象深い表情である。この指摘は確かにその通りで、こんな繊細な彼だからこそ失意のどん底に落ちてしまっては敵わないのである。
このゲイパフォーマーの主人公は実力が評価され自分の歌声を披露する機会を得るのだが、これがめちゃくちゃうまい。この歌の歌詞がひとり彷徨うマルコとオーバーラップし、彼こそがマルコと一緒にいるべきであったことが強調される。
悲しすぎる
すごく感動するんだけど、あまりに悲しすぎる。
この作品を見る前と見た後、ものの見方が変わりそうな衝撃を受けた。
テーマとして似ているのは「万引き家族」と「わたしは、はダニエル・ブレイク」だろうか。
法の隙間みたいなとこにいて、いわゆる常識じゃ守れない人たちを描いた作品。
幸せって人それぞれのものだから、
誰かが決めた”普通”じゃ叶えられない人が出てきちゃうわけで。
それって、たとえば法律とか常識とか
そういう巨大な力に踏みつぶされそうになったとき、どうするかっていう。
マルコの“ It's not my home."が、もう涙なしじゃ見てられない。
社会がどうのとか言うつもりは無いけど
家族の幸せ、子供の幸せと、自分の幸せを同じ線上に据えていきたいと強く思った。
最後にもう一度。
作品として素晴らしいのはもう脱帽するしかないくらいなんだけど
もうちょい救いを残してくれても良かったんじゃないの、とは思う。
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