チョコレートドーナツのレビュー・感想・評価
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ルディの前向きな性格に勇気をもらえる
色んなところでおすすめされて気になってた作品。障害者とLGBTの話とかどうせお涙頂戴でしょ?と期待してなかったけど、今作は最初からグイグイ引き込まれた。
ルディの前向きな性格に勇気をもらえた。ただでさえ自分がゲイで生きづらいのに、他人の子でしかも自閉症の子を育てようとする覚悟がすごい。
アラン・カミングの演技力も抜群で、見た目はおっさんなのに立ち振る舞いとか仕草で女性にしか見えなくなってくる。
ハッピーエンドじゃないのに驚いた。マルコの「ハッピーエンドが好き」発言は死亡フラグだったのか...。
ただ個人的にハッピーエンドは好きじゃないので、バッドな終わり方で好きだな。こっちの方が現実は上手くいかない感が出ててリアルに感じたし、難しく重いテーマの雰囲気と合ってたと思う。
素晴らしい
素晴らしい。これは多くの人に見てほしい。こんな悲しい話がまさかの実話だったなんて衝撃的すぎるしやるせない。1970年代の話だけど、アメリカはともかく日本では未だに偏見が強いから、現代でも起こりうる話だと思う。
差別や偏見を無くすことは本当に難しい。完全に無くすことはできないかもしれないけど、みんなが少しずつ優しい気持ちで物事を見るようになったらいいなと思わされた。
マルコかわいい。
ラストが読めてしまったのが残念。
事実はどうなのか知らないけど、
でもそれが一番ましな終わり方なのかもしれないと思った。
あのまま二人を待ち続けて生きながらえると思ったらやり切れない。
途中あれやこれやと考えてしまって消化不良。
でも何度観てもそうなのかもしれない。
アラン・カミングが好きで観たけどやっぱり大好きなアラン・カミングだった。
とりあえずマルコが素晴らしくかわいかった。マルコかわいい。
人々が寛容でない時代の歪み
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主人公のオカマの隣人がドラッグで逮捕、子供が施設に預かられる。
この子供はダウン症で、施設がイヤで自宅に戻って来た。
オカマは哀れに思い、自分が親代わりになろうとする。
オカマの恋人は弁護士で、手続きを踏んで里親になる。
ところが当時はまだオカマが受け入れられない時代だった。
オカマの恋人の上司が2人の関係に気付き、恋人はクビ。
さらに裁判所に裏から手を回され、この子供も2人から取り上げられた。
そして本当の母親が子供を引き取る約束のもと出所を許された。
その母親は、この子供を毛嫌いするろくでもない男と交際した。
愛情に飢えた子供は冬空のもと、昔の家に戻ろうとして凍死。
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実話をもとにつくられた作品らしい。
性に寛容なアメリカでも、少し前までオカマに厳しかったのな。
オカマにせよダウン症にせよ、理解され出したのはほんの最近なんやなあ。
もう少し実話に寄せても良かったのでは
ラストが残酷すぎる。。現実のルディさんは美容師だったようだし、マルコの母親がジャンキーなのと、近所に住んでたルディさんがマルコを育てたのは事実らしいけど。その他は全くの創作だから、現実はあんな悲しい最期ではないと知ってホッとはしたけど。実際はどうだったのだろう?他人の子どもを、ましてや障がいのある子を育てるなんて、なかなか出来ることではないし、苦労もしただろうし、ルディさんは本当にすごい人だったんだなぁと尊敬する。
そしてこの映画は配役が良い。アランカミングさんは表情も演技も、本当に魅力的な人だなぁ、とファンになった。マルコ役の子もすごく可愛かったし。ヒガシの舞台も良かった。
差別・偏見と闘う、真実の家族愛!
初めて鑑賞し観終わった時は、しばらく動けずに感傷に浸るしかなかったことを覚えています。本当の家族とは本当の愛とは何なんだろう。ラストの結末には、胸が締め付けられる思い出いっぱいになりました。なぜ、こんなにも優しいく温かい人たちが幸せになれないのだろう…、なぜ幸せな家族になれないのだろう…。悔しさすら覚えてしまいます。
マルコの事なんかどうでもいい大人たちの、偏見と差別はいったい何なのだろうか。本当の親でない同性愛者ということだけで、なぜ裁判でそこまでする必要があるのだろうか。特にポールの上司の行動の意味が分からなかったです。
ルディが言いました。
「一人の人生の話だぞ、あんたらが気にも留めない人生だ!」
ポールも言いました。
「この世界中で誰も彼を求めていない、私たち以外は。私たちは彼が欲しいんです。彼を愛しているんです。」
言葉が深く響きます。ほんとです、なんでマルコの幸せを第一に考えてあげ無いのだろうか…。本当の母親の元に戻されるマルコは何度も言うんですよ!
「ここは、おうちでない。」
と。。。なのに、なぜ…。
本作は、このように胸に刺さる名言が本当に多かったと思います。1つ1つの言葉が深く全てに意味があります。ルディが歌う歌詞ですらも。
本当に心に残る映画でした。何度みても涙がこぼれます。ただ、本作を観て思ったのは、現代社会でも問題となっている子供への虐待から守ってあげれないのと一緒ですよね。結局、昔も今も変わっていないのかもしれないと、思わせてくれる映画でもありました。
泣きそう
同性愛系はお断りでしたが、これは掛け値なしに良いです。
監督の憤りと優しさが画面に充満しています。
ラストが切ない、という見方も正しいですが、むしろ、大好きだった二人を永遠に追い求め続ける幕切れ、と考えればとても幸せなヤツとも言えますね。というか、そうでも考えなければやってらんないでしょう。
邦題も原題とはまるで違いますが、すごくいいです。
人に優しくなれる作品
テーマが重そうで敬遠していたが…評判通りこれは間違いなく名作だ。
やはり重いテーマだったが、できるだけポップに描かれているので救われる。
そして主演2人の表情がとて印象的で、目が離せない。思い出の8ミリビデオシーンはよくある系だが、本作では特に効果的でグッとくる。
「過ぎた望みですか?」「子供のためを考えてください」「一人の人生の話だぞ」このシンプルな想いが、なぜ届かない?
「小さく埋もれた記事」「あんたらが気にも留めない人生だ」本当に残念で怒りも湧かないほどに落胆してしまった。
なかなか差別が無くならない人間社会、本作品の時代設定から40年ほど経った現在において、果たして同じ過ちを繰り返してはいないと本当に言えるだろうか。
血はつながらなくとも
切ない物語なのは、観る前から分かっていました。
基本、ハッピーエンドじゃないと映画見た後、へこむので
見るのを躊躇してましたが、★4超えてくる作品はなかなかないからどーしよーかと思って意を決して観ましたが
まず、マルコを二人が引き取ってから1年間のしあわせな日々の映像が流れた時点で号泣
あの、しあわせそうな笑顔が余計切なくさせます。
マルコは自分を蔑ろにしていた血のつながった母ではなく
血のつながりはないけれど、自分を本当に大切にしてくれたルディとポールのもとに帰りたかったんですね
周りが必死になってあの二人からマルコを引き裂こうとしてたのは、どんなに隠しても人間に備わってる恐れや不安からくる、異物を排除しようとする本能がそうさせてるのだと思いました。
自分達とは違うから、変なもので受け入れ難いものであるから、苦しんでもいいと思う。自分とは関係ないからと。
そんな残酷な考えは本当に嫌ではあるが、人間誰しも持ち合わせている本能だと思う。
だからこそ、人生を通して自分が弱い立場に立った時や、誰かに意地悪された時、また、自分が意地悪を誰かにしてしまった時、などいろんな経験を通して相手の気持ちになれるように、自分と違う人も受け入れられるように、学んでいくんだと思う。
法律事務所のボスや判事や弁護人たち、マルコを二人から引き裂いた人たちが、マルコやあの二人の境遇を少しでも 想像できていたら、もっと違った結果になったのかなとも思う。
あと、今の自分の生活がとてつもなく幸せに感じた。
心の底から幸せだと感じた。
それほど、この作品にはパワーがあった。
本当にいろんなことを考えることができた、素晴らしい作品だった。
生みの親より育ての親
imdb7.4。
Rotten Tomatoes79%と76%。
日本の主要映画レビューサイト(Yahoo映画、映画com、Filmarks)はすべて4超えだった。
海外の評価もいいが、評点からみても日本ですごく受けたし、いかにも日本人受けそうな映画だった。
(大受けの結果、2020年日本にて、世界ではじめて舞台化された。──とのこと。)
じぶんは皮肉っぽいが逆ばりやあまのじゃくは言わない。
したがってチョコレートドーナツは悪くない映画だった──という前提で言うのだが、この映画の日本での勝因は①社会的弱者orマイノリティ②虐げられた無辜(むこ)の者③フランダースの犬最終回──のセット導入だった。
このセットは日本映画「湯を沸かすほどの熱い愛」でも使われ大受けした。
端的に言うと①弱者②正直者③露命の三点セット。
三つとも臭気材料なので演出ポイントは臭み取りになる。
が、湯を沸かすほどの熱い愛では臭み取りがされていなかった。
なぜなら日本人にはお涙演出に対する耐性があるから。
チョコレートドーナツが日本人にウケたのはとうぜんだった。
(個人的に、この映画は「湯を沸かすほどの熱い愛」や「彼らが本気で編むときは、」に、直截的な影響を与えている──と思っている。)
──
えてして肉親が親として最良なわけではない。
親としてふさわしい他人はいるし、まともな人間に育てられる以上に健全な未成年期はないだろう。
そんな“ふさわしい親”からマルコ少年を引き離したのが時代性や司法だった。
1979年当時カリフォルニアでは同性愛嫌悪が蔓延していた。
法律上ゲイカップルに親権が認められてもいなかった。
逆に言えば、映画の構造的な緊張はただそれのみだった。
マルコ少年がルディとポールのもとで暮らせることになれば、マルコ少年からチョコレートドーナツを取り上げることさえできたに違いない。
境遇が不憫だから、誰も止めはしなかったが、彼は太り気味なうえ虫歯だらけだった。まちがってもチョコレートドーナツなんか食べさせてはいけない子だった。ほんとうにマルコ少年を思いやるのであれば、泣きわめかれてもチョコレートドーナツの一日の個制限を教え聞かせるべきだった。
そもそもマルコ少年の健康状態を慮る(おもんぱかる)なら彼を蝕むチョコレートドーナツをタイトルとすることなどあり得なかっただろう。
つまり邦題は完全に叙情に振っていた。泣かす気まんまんだった。
ただ時代とともにLGBTの権利は進化している。
本作が一昔前に設定されているのは、狭量な世界を体現し、登場人物たちを憂き目に遭わせるためだ。
すなわち映画は強引に三点へ落とし込んで悲哀な状況をつくっていた。
だいたいマルコ少年が母をたずねて三千里の主人公名と同じなのはさいしょから日本市場を狙ってのことかもしれない。──とさえ思った。かなり精密・意図的に日本人の琴線を撃ってきた映画だった、と思う。
しかし日本人であろうとも、お涙臭気=“泣かそうとする気配値”に敏感に反応する人はいる。じぶんはそうだ。だからすきじゃない。
忘れてはいけない
ハッピーエンドが大好きな魔法少年 マルコは、ハッピーエンドにはならなかった。
時代のせいにしてはならない。
我々の心の中に幾分ばかりかある偏見が、こういう悲劇を起こしてしまうことを、忘れてはいけない。
とてもラストが切ない。 実話が基になっているとのことだが、世間の差...
とてもラストが切ない。
実話が基になっているとのことだが、世間の差別で純粋な愛情を守れない現実があった。
本人たちにとってはとても幸せなのに、周りにとっては異常なものは否定されてしまう。そしてその周囲の差別が、あるはずだった幸せを不幸に変えてしまう。そういう現実があることこそがおかしいのだけど。
ストーリーが切なすぎる分、隔てを超えた愛情がマルコへ注がれて描かれていているシーンは本当に心が温かくなった。
いろいろ人間にとって大切な気持ちを考えさせる映画だと思う。
とても大切な作品
LGBTにネグレクトにダウン症、そこに立ちはだかる大きな偏見の壁。その壁を必死に乗り越えようとした「家族」の物語。
主演の二人が無理なく恋人を演じており、これが思いの外心地良い距離感なんです。
「この人自覚ないけど私にぞっこんなの」この確信犯な笑顔は実にキュート。
シリアスな子供の行方の中、ちゃんと二人のラブストーリーがあのも良い。
だが想う気持ちだけでは幸せには届かず、それを阻むシステムや人々には観ていて深い憤りを感じます。
こんなに愛に溢れているのに、こんなにも苦しい。
最後は声が出るほど涙しました。
それと歌がまた狂おしいんですよ、切なすぎます。
正しさとは何か?が自分の中でずっと反芻してしまう、とても大切な作品です。
幸せって簡単に手に入らないのか
人が人を想う気持ちに違いってあるのでしょうか。
マルコのハッピーエンドは叶えてあげなければ得ることができなかったということに胸を締め付けられます。
自然体では得られなかったのかと。
せめて最後はドーナツの夢をみて眠れたかな、そうであって欲しいと。
なぜ裁判所はマルコの気持ちを最優先に考えなかったのだろうか?
以前から観たかった映画だが、ようやく観ることができた。悲痛な話だった。何でも、育児放棄された知的障碍の子どもをゲイの男性が育てたという実の話を元に監督が脚本を書き上げたのだそうだ。現代なら、当時とは違う判決が出るだろうが、1970年代はまだまだ偏見が根強く残っていたのだろう。裁判所は、マルコが二人と暮らしたがっていることや、マルコが愛情深く育てられていることを認めながら、それでもなおゲイであることを理由に二人が養育者になることを認めなかった。その後のマルコを思うと、悲しくてならない。三人にはマイノリティであるがゆえの連帯感があったのかもしれない。弱者の権利を強者の論理で踏み躙ったとしかいえない。悔しいし、残念だ。
何が「正しい」事なのか……
いまでこそ日本でも同性婚がポツポツと自治体で認められるようになってきたものの、まだまだ社会的な偏見や差別、理不尽な扱いが多いと感じている。「普通」とは何か、「正しい」とは何なのかを考えさせられる作品。ルディ・ドナテロを演じているアラン・カミングが、本当にチャーミング。劇中で流れる曲がこれまた絶妙。なかなかに切ないエンディングではあるが、自分の中では名作の一つに挙げられる作品。ぜひとも鑑賞していただきたい。
アラン・カミングは歌がうまい。
アラン・カミングは歌がうまい。口パクの所を演じていたが、歌を歌う時は口パクではないと思う。
アメリカの正義を描きたいのでしょうね。大変に見応えのある良い映画だと思う。
『any day any day I shall be released』なんだ!もう一度見たいな
奇跡を偏見で裁くんじゃない(怒)!
ダウン症の14歳の少年。
シングルマザーと暮らしているけれど
その母親も自分が生きるのが精一杯、
薬と男に溺れて、子供は完全にネグレクト状態。
その様子を目の当たりにした、
自身もそれほど恵まれてないゲイの青年が見るに見兼ねて
手を差し伸べたところから始まる物語。
前半はゲイカップルが惹かれ合う過程がサクッと描かれて
そのカップルとダウン症の少年とのふれあいの様子が
丁寧に描写されているので、観ていてホッとするのだけど
中盤から後半にかけては、1970年代の話なので
まだまだLGBTQへの偏見が強くて
このカップルは子供にとって有害であるという決めつけのもと
当の子供の気持ちなどお構いなく、
ゲイカップルの粗を探して、何としても引き離そうとする
当時「常識人」とされていた裁判所の判事や弁護士達によって
幸せに暮らしていたささやかな家族が引き離されてしまう過程は
観ていて「怒り」しか湧かない!!
映画を観ながら私は思わず、ツイッターで呟いてしまった!
「独り者の私には、裁判をしてまで
一緒に暮らそうとしてくれる人がいることが、もう奇跡!
奇跡を偏見で裁くんじゃない!!」
月に8回程、映画館で映画を観る中途半端な映画好きとしては
映画館公開当時に観よう観ようと思いながら
どうも気楽な作品に逃げてしまって大反省の作品。
その後、日本でも東山紀之主演、宮本亜門演出で舞台化されて
注目度が上がりましたね。
出だしは主演のアラン・カミン演じるドラッグクイーンのルディが
あんまり美しくなくって、髭面で引いちゃったんですが
段々と子供への愛に目醒めてゆく過程は変に
女女(おんなおんな)していなくてナチュラルで好感が持てました。
そう、ルディは恋愛対象は男性だけど、普段は男性の姿で暮らしているので
いわゆる女性に生まれたかった人ではないのだろうな?と感じました。
こういうところ LGBTQの心の在り方の多様性も難しいですね。
はるな愛さんによると、自分でもはっきり決められないマインドの方も
いらっしゃるとか・・・。
そういうことを知る意味でも奥の深い映画でした。
ぜひ、観てほしいです!!
同性愛に関する意識は変わりつつあっても、日本の法律は・・・
実の親でも子供の前で教育上よろしくない言動は日常的にあるのに、
愛情持って環境整えて、愛情持って接して、ちゃんと栄養考えてご飯食べさせて、教育支援もして、すごくよくがんばっても、同性愛は親として相応しくないという理屈がよく分からない。
今も子供の前で女装や同性愛カップルがキスをするのは教育上よろしくないとされているのかな。
この映画では、彼らが同性愛カップルだから、という偏見のせいで、
実の母親を無理矢理釈放してまで、引き取らせて悲しい結末になった。
昔の映画らしい、悲しさを強調する為の嫌味な終わり方だな、と思ったけど、
昔じゃなくて今でも日本では、実の親という理由で、とんでもない親に戻して子供が命を落とすニュースがある。
親としての素質を見ず、実の親の元に返すのが一番、という日本人の頑な偏見で、日本の法律や法に関わる人達の判断はこの映画の1970年代から進歩していない事実に恐ろしさを感じる。
というわけで、多様性よりそちらの方に意識がもっていかれてしまいました。
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