劇場公開日 2014年6月6日

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「雪が覆う凍える墓地で読む西欧文化のレクイエム」グランド・ブダペスト・ホテル あき240さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0雪が覆う凍える墓地で読む西欧文化のレクイエム

2019年6月12日
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鑑賞方法:DVD/BD

あなたは建て替え前のホテルオークラ東京本館のメインロビーを知っていますか?
あの独特の空間の空気を思い出す映画だ

本作は四つの時代で構成されている
1932年、1968年、1985年、そして現代だ
メインは1932年の物語で本作の大半を占める

1932年が西欧文化の絶頂期であり、そして戦争を経て劣化する一方であることを、その暗喩としてグランドブダペストホテルという記号が使われる

半世紀後の1985年は功なり名を遂げた作家が代表作をどのように書いたのかを語る
その物語を1968年に当時の当事者から聞いた経緯を説明するのだ

そして、そこから約30年後の現代にその作家の墓を、彼の書いたその物語の読者の少女が訪れるという構造

その少女は作家の墓に鍵をぶら下げる
その墓には柱のような墓石の上部に胸像があり、
墓石には作家、人間国宝と記されてある
墓石にはまるでホテルのフロントの壁のようにフックが無数にあり、そこにいろいろなホテルの鍵が掛られている
良く見るとホテルルッツの黄色いキーホルダも見える
彼女が掛けたものだろうか?

彼女の手にその作家の書いたグランドブダペストホテルの物語があり、墓の横のベンチで読み始めるという構造になっている

つまり全ては現代で、少女の登場するプロローグとエピローグ以外は全て彼女が読み進めている本の内容だ

西欧文化の精華を体現した最後の男グスタフ
それを受け継ぎ維持しようとするのは、西欧人ではない中東移民のゼロだ

それを第三者として本にまとめた西欧人と、その本の内容に感動して作家の墓に詣で、昨夜泊まったホテルの鍵を花の代わりに墓石に備える現代の西欧人の少女

1932年のまばゆいばかりに輝くホテルの偉容と1968年のホテルの有り様
単に古びたということでも近代的では無いということではない
文化的な劣化だ
グスタフやゼロのようなコンセルジュは最早いない
西欧文化の精華の頂点にいるのだというプライドは影も形もない貧乏臭い男が同じ地位にいる

そして壁にも柱にもエレベーターにも無数の表示板がついてしまっていることで、文化的な劣化を映像で描写している

火災時にはエレベーターは使用できません

その表示は1932年でも、1968年でも、21世紀の現代であっても必要性は変わらない
しかし1932年には無かったか、ごく小さくさりげなく表示されていて映像には見当たらない
1932年はそんなものは不要なのだ
常識をわきまえた紳士淑女達だけがホテルの客であり、プロフェッショナルかつプライドを持ったホテルマン達の働きがそんな無粋なことわり書きなど無用にしていたのだ

それが表示物だらけのまるでビジネスホテルに化してしまう
落ちぶれ果て劣化していく一方の西欧文化の有り様の象徴として表示物が扱われているのだ

そして西欧文化の残り滓であってもなんとか維持しようとして、商売抜きでホテルを経営しているのは移民のゼロなのだ
もちろん自身のノスタルジーでもある
しかしそれは西欧文化の精華へのノスタルジーと分かちがたく結びついているのだ
そのゼロも恐らくは1985年には亡くなっていたかも知れない
あのビデオを撮ったのはその知らせを受けたからかも知れない

ゼロのその後の西欧への移民達はもはや西欧文化を受け継ぐどころか、溶け込もうともしなくなった
それが21世紀の現代の西欧の現実だ

西欧人の作家はいい話だと圧倒され感心して話を聞くだけだ
少女はその本を読んで感動して墓を訪れただけだ

冒頭とラストシーンは21世紀の少女の時代だ
墓地の煉瓦の外壁は白いペンキでデカデカと墓地名を記している
それはグスタフが収監された刑務所の壁の刑務所名の大書きと同じセンスだ
つまり監督は現代は刑務所並みの文化レベルに落ちてしまったと述べている

世界は低きに合わせて平準化しようとしているのだ

もちろん雪が覆う凍える墓地は現代の西欧の暗喩だ
そこのベンチで少女はグスタフとゼロの物語を読む
それは喪われた西欧文化へのレクイエムとして読んでいるのかも知れない
エンドロールの最後の方
画面の右下にコサックダンスを踊るかわいいアニメが登場する

本編と同じく、本当のテーマに気づいた観客が重苦しい気持ちで劇場を後にしないようにおちゃらけてみせているのだ
考えすぎです、単なるコメディですよ、皆さん
そのようにグスタフがベルボーイに持たせた伝言のように監督が私達に伝えようとしているのた

あき240