「境界のゆらぎ」思い出のマーニー Gonzoさんの映画レビュー(感想・評価)
境界のゆらぎ
自分の10代を思い返せばだれにでも心当たりがあるであろう、夢想の世界。子供というには少し成長しているが、まだまだ世界と自我との境界がどこか未分化な時代。そんな頃の自分を見せつけられるような映画だった。
冒頭で主人公の言う輪の外と中、それは当然存在する自己と他己の境界に過ぎないわけだが、その処理を巡っておのれに絶望し尽きない悩みを抱えるのである。そんな主人公に訪れる転機が根釧地方への療養であるが、そこでも主人公は他人との距離の取り方で苦悩することとなる。話はそれるが、ジブリにありがちな、村人をおおらかで自然に生きる人と安易に美化せず、無神経である意味愚鈍な人たちとして描いているのは幻想に傾きがちな本作においてはバランスがとれていると思う。
さて、その果てに出現するマーニーはイマジナリーフレンドというほかにない存在で、その交流・友情は観ている者にとって不安を覚える程の美しさを感じる。なぜなら、それは主人公にとって幻想の中でのみ実現される理想の関係なのだから。
もちろんここで終わってしまえば単に「厨二病乙」なのだが、そこで済まさないのがこの映画の醍醐味である。徐々に浸食する現実と幻想との齟齬が主人公を好転させるに至る。嵐のサイロのシーンで
マーニーがかずひこの名を繰り返すあたりで感じる違和感がそこをよく表わしている。
そして、全ての種明かしがなされる直前の、マーニーとの別離のシーン。自分の幻想の中とはいえ、主人公は他者を赦すことを覚えるのである。それは人が大人になる過程で獲得する優しさとも言えるし、妥協ともいえる。前後は失念したが、その辺りで出てくる、半熟目玉焼きを箸で裂いて主人公が元気よく食べるシーンが、主人公の成長を表わしているようでとても好きだ。