「猫とダメ人間は相性が良い。」インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌 lylycoさんの映画レビュー(感想・評価)
猫とダメ人間は相性が良い。
猫の使い方がとにかくうまい。全篇を彩る歌がいい。オスカー・アイザックが歌うシーンは、ちゃんと本人のパフォーマンスだというから畏れ入る。猫を抱えて右往左往する姿も愛おしい。ぼうっと眺めているだけで大人な佳品といった趣がある。それだけでも十分に楽しめる。こういう映画にあたると嬉しくなる。
さて、これがネタバレにあたるのかどうかよく判らないのだけれど、最後に明かされる猫の名前はユリシーズという。つまり、ギリシャ神話『オデュッセイア』との関連を示唆しているんだろう。いわずと知れた20世紀文学の金字塔、ジェイムス・ジョイスの『ユリシーズ』と同じ趣向というわけである。
学生時代、手に取りながらちゃんと読み通せなかったぼくに、この絵解きは荷が重い。というわけで、以下はざっくりとしたイメージだけ書き留めておく。ベースとしては、『オデュッセイア』をたった1日の出来事に圧縮したジョイスに対して、コーエン兄弟は売れないフォークシンガーと猫の1週間ほどの漂流に置き換えている。
まず、主人公ルーウィン・デイヴィスとはぐれながら、ラストではいつの間にか我が家に帰り着いている猫をその名の通りオデュッセウスとするなら、ルーウィンはテレマコスということになるだろうか。ジョイスが作家志望として描いたスティーブンとも印象は重なる。とはいえ、猫の漂流そのものは描かれないから、オデュッセウスの苦難の旅に対応するのは、やはりルーウィンが大物音楽プロデューサーに会いに行くあの奇妙な道行きだろう。同道するジョン・グッドマンの怪演もまた見ものである。
ルーウィンがオデュッセウスであるなら、ペネロペはルーウィンの子を身ごもる歌手仲間のジーンということになる。もう散々いわれていることだろうけど、ジーンがルーウィンに対して繰り出す口汚い罵倒の連続は、この映画のもっとも魅力的なシーンのひとつだ。これでジーンを演じた女優の虜になったという人も少なくないはずだ。そして再びジョイスを引き合いに出すなら、この役を演じたのがキャリー・“マリガン”なのは、はたして偶然だろうか。
才能を認められながら、売れるために信念を曲げることを拒否して旅から帰ってきたルーウィンは認知症の老父を見舞う。このあたりもイタケーで再会するテレマコスとオデュッセイアに置き換えられるのかもしれない。父が元々海の男だったという設定にも何か含意があるのだろうか。そして、歌を捨てて父と同じ漁師になることにも失敗したルーウィンを、再びステージに立たせてくれるのはジーンである。
ラストで物語は冒頭とつながって奇妙な円環を結ぶ。けれども、まったく同じシーンというわけではない。ルーウィンが降りたステージに立っていたのは…。とまあ、色々な遊びや含意が仕込まれているようで、観ていてまったく飽きない。文学や音楽の素養があれば、もっと楽しめるに違いないんだけど、こればっかりは勉強してこなかった自分を恨むしかない。またいつか観直そう。