ローン・サバイバーのレビュー・感想・評価
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「立ち上がる」ことにすべてをかけるフロッグマンの姿。
〇作品全体
冒頭の実際の映像で印象付けられる不屈のフロッグマン。生き残り続ける精神を身に着けた彼らの生きざまを描くことに、121分を費やし続ける。そういう作品だった。
生き残るために立ち上がり続ける。この「立ち上がる」という描写が、物語が進むにつれて変化していくのが印象的だった。
冒頭の映像の後、最初に映る偵察チームの彼らの姿は、まず立ち上がる芝居からだ。これから始まる一日と戦い始めるための「立ち上がる」がある。
物語が転じる契機も、仮眠をとっていた彼らが地元住民を拘束するために立ち上がる芝居。実際に火ぶたを切って落とすのはこの後だが、彼らからしてみれば状況が開始されたのはここからだ。
劣勢のなか戦闘が繰り広げられるが、その絶望的な状況は画面を見れば明らかだ。ただただ熾烈で苦しく、息を呑むシチュエーションが続く。そのなかで彼らは銃撃を受けながら生き残るために何度も移動し、落下し、身を伏せる。
ここでの「立ち上がる」演出がとても印象的だった。何発も銃弾を受けた足は二本だけでは足りず、彼らは銃口をもう一つの足に変えて立ち上がるのだ。生き残るために、移動するために必要なのは、この状況では足だけではどうにもならない。岩の上に突いた銃口の金属音の力強い響きが、生き続ける強い意志のようにも感じた。
マーフィが本部と連絡をするために高台へ進むときの銃口を突く芝居が特に良かった。ボロボロの姿にある勇気が、銃口の金属音に込められている気がした。
追っ手から逃れ、出会うのは現地の親米派住民・グーラーブ。衰弱した状態にあるマーカスはグーラーブの手を取り「立ち上がる」。銃口が必要な状況から、誰かの助けを受ける状況へ変わったことをダイレクトに伝える「立ち上がる」だ。
孤独を印象付ける『ローン・サバイバー』というタイトルだが、生き残るための最後の鍵が人であるというのがグッときた。立ち上り続けるには誰かとの信頼関係がなければならない。これも冒頭の訓練映像や基地でのシーンが、エクスキューズとして効果を発揮するストーリーラインだった。
作品内で経過する時間は数日間だけだが、伝えたいものがキチンと軸にあり、その軸を肉付けしていく映像演出があれば十分骨太な時間を作ることができる。そう感じさせてくれる作品だった。
〇カメラワークとか
・日の光やサンセットは戦争映画と親和性高いな、と思った。本作でも作品の最初や最後、マーフィ・ダニー・アクスが死ぬときにもカメラは日の光やサンセットを映す。仰向けで横たわると最後に見える景色だから、というのもあるけど、沈むもの・明けるもののモチーフとしてシンプルで饒舌に伝わるからだろうか。
マーフィとダニーが死ぬシーンはクロスカットで映していたけど、マーフィの目線の先は見せず表情だけ映してカット割って、ダニーが見ている日の光に繋ぐのがかっこよかった。別の場所にいるけれど、同じものを見ている。明日への渇望を見ている。
〇その他
・アクス役・ベンフォスターの芝居が良かった。右目がつぶれてからの、まさしく血眼な左目の眼差しが胸に響いた。
We Can Be Heroes Just For One Day
本作、観る前は、オスカーノミニーだとか、どうとかは聞いてはいたんだけど、一番の関心はピーター・ゲイブリエルの、ボウイの名曲(超名曲!)の「HEROES」が聞きたい、というだけだった。
ゲイブリエル、といえば、正直今何をしているのか、まったく興味はないのだが、オスカーノミニーの可能性だとか、戦争映画とゲイブリエル、そしてボウイの「HEROES」。
「HEROES」の歌詞そのものに若干、使い方でえらい内容になる可能性はあるが、まあ、これはおそらく「反戦映画」ではあるだろう、と想像した。
俺が甘かったね。いや逆にむしろ、予感的中か。
本作は
異常なまでに仲間意識を協調したオープニングから、失敗してしかるべき作戦ミス(もちろん映画の描き方)から脳みそ筋肉の割に顔パンパンの主人公たち4人の判断ミスで逆襲に合い、司令官、総司令官そろってボンクラで、4人は4人で「ランボー怒りの脱出」よろしく弾は当たるが、なかなか死なず、途中、邦画の伝統芸である、「敵が待ってくれる」シーンをふんだんに盛り込み、一人また一人倒れるシーンを感傷的に描き、残った一人は、ちゃんと子供と現地人が助けに回る「ランボー怒りのアフガン」に突入。ここまでファ〇ク50回(推定)。どこが尊厳ある勇気ある軍人として描いているのかさっぱりわからないまま、
「We Can Be Heroes Just For One Day」
・・・・・おいおい。
ゲイブリエルが、ボウイが、この歌詞が、こんな使われ方をしちゃったよ。
実話をもとに、とは申し訳ないが、映画は「ランボー2、3」と「アルマゲドン」と何も変わらない。
むしろ実話をもとに、でこの作り方はちょっと許されないのではないだろうか?
この悲劇を「80年代風アクション」に作っておいて、「捧げる」とはどのツラさげて言いやがるってなもんで。
むしろ「ランボー2」にささげるってなら、全然OKだが。
追記
現地のいい人とタリバンの会話に字幕が付いて、何をしゃべっているのか分かるようになっているよね?本作、唯一彼らのセリフに字幕がつく場面である。
もうね、その時点でこの映画のスタンスが実話を言い訳にした、お涙ちょうだいの好戦映画としか思えないのよ?
他の多くのレビュアー様には、まったくもって申し訳ないが、俺はこの映画のすべての表現が、好戦映画としか見えない。
凄絶な戦い
2005年6月27日、米海軍特殊部隊( ネイビー・シールズ )の4名の兵士が、タリバン幹部の捕獲作戦( レッド・ウイング作戦 )決行の為、アフガニスタンの山岳地帯へと派兵される。
唯一生き残った兵士マーカス・ラトレル1等兵曹をマーク・ウェルバーグが熱演。
身体中に酷い傷を負う兵士達の姿に、今現在も行われている戦争の激しさ恐ろしさを実感させられる。
ー パシュトゥーンの掟:敵から追われている者をいかなる代償が伴おうとも守り抜け
テレ東を録画にて鑑賞 (吹替版)
休む暇もなく常に絶望な状況で主人公が可哀想
最初から最後までずっとピンチでハラハラした。休む暇もなく常に絶望な状況なので、主人公が可哀想になってくる。
戦闘シーンはBGMが無く、銃撃の音が強調され臨場感あり。俳優の痛々しい傷のアップも多く悲惨さが伝わってくる。
終盤マーカスが1人になった時、どう乗り切るのか予想つかず。村人が助けてくれる展開は意外。偏見だがタリバンみたいな見た目の人はみんな悪い奴だと思ってたからね。
ハラハラ感は序盤の山での戦闘の方が面白かった。四方八方から敵が押し寄せてくるのはサバイバル感があって良い。ピンチの展開が続いたので、後半村人に助けられてからは勢いが失速した印象。
気になった点は、カメラワークが酔うこと。銃撃戦では揺れる画面が多いので途中酔ってしまった。
アメリカがアフガニスタンから負けて逃げたのが分かった
戦争の保安管理は分からないが、こう言った諜報活動の様な戦いではあり得ない活動に見えるが。
・衛星電話が繋がらない。
・戦闘用ヘリコプターが無い。
・簡単に民間人に見つかる。
・山岳戦闘ゆえ下半身の防御が甘い
・大事な作戦時に少佐が寝ている
・最初に電話が通じた時に標的確認だけ話すだけで活動は成功したと思うが
・民間人に出会ってしまった時のマニュアルはあるはずだ
・電話が通じる兵站は確保しなけりゃ
・自分達が助かる為に戦闘ヘリを要請した訳でないはずだ。暗殺ゆえ、先ずは目標物の座標を報告すべし。
戦争ごっこを見ているようだ。どこがリアルなのだろうか?そもそも、死んじまっているのに、それまでの苦労話は誰による伝承なのだろうか?つまり、事実に基づく、フィクションなんでしょ。
この作戦はプライベート・ライアンやランボーの様に救出するのが目的の作戦ではない。命をかけている努力は買うが、タリバンの重要な人物の暗殺で合ったはずだ。
現在のアフガニスタンの内政は知らないが、こんな事やってるから、内戦に拡大する。つまり、アメリカの無駄な内政干渉。ソンミ村の教訓が全く生かされていない。
戦争ごっこ映画で『アメリカはこの地でも、負けたんだ』と理解できたので良かった。
カッコ悪いし髭くらいそれって言いたいものだ。
それで、この暗殺計画は成功したの?
自由と民主主義の国アメリカはなんの為に何をやってるの?
えっ!まだ、タリバンと戦っているの?
やっぱり戦争は悲惨
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アフガンでタリバンの人間を暗殺するために米兵が上陸。
しかし反撃にあい、結局主人公以外は全員死亡。
救出のヘリも撃墜され絶体絶命となった時、タリバンを憎む村の人達に救われる。
彼らは追って来たタリバンと戦ってくれ、米軍に主人公の居場所を伝えてくれた。
やがて救助が来て主人公は生還出来る。
助けてくれた人達も救いたかったが、それはならなかった。
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久々に戦争映画を見たが、やっぱり戦争は悲惨やなと思った。
主人公を助けてくれた人達は、その後タリバンに殺されたんじゃないかな?
史実がもとになってて、絶体絶命の主人公を現地の人が救ってくれるという、
アメリカが戦争を美化するためには最高の題材なんじゃないかとも思った。
最近はまたタリバンの問題が・・・気になります。
途中、羊飼いの男たちと遭遇して、その者たちを拘束するが、その処遇をめぐって意見が分かれる。彼らを解放すればタリバンに通報されるだろうが、明らかに非戦闘員である者たちを殺害することが赦されるのか。無線は通じない。衛星電話を使うも指揮官と連絡が取れない。といった状況下で彼らを解放するが、やがて高地の方からタリバンの攻撃が開始される。
多勢に無勢。そんな危機的状況の中、救難連絡が届くものの、戦闘ヘリアパッチが空軍基地にいない。救助ヘリが2基やってくるが、1基が撃墜される。そして、一人生き残ったマーカス(ウォールバーグ)。アフガンの村人たちに救助されるのだった。
村人たちも銃を持ち、タリバンと戦っていた。もう瀕死状態のマーカスであったが、ようやく救援隊がかけつける。
一人の兵士の救出劇、帰還劇。エンディングに流れる実際の戦死した兵士たちを讃える映画としか思えない。かなりの死者が出たことでアメリカ万歳とまではいかないが、やはりアメリカ映画だな~って感じ。
実戦てこうなの?
映画作る上である程度正義を示す必要はあると思うけど、実際こんな甘かったら作戦失敗しまくりだろなぁ。
事実はもっと非情と思うけど、どーなんだろ?
非情な選択と最善の行動を取ったはずなのに作戦失敗の方がよりリアルになったんじゃないかな。
ヤギ飼いの三人は明らかにタリバン。殺すのがだめなら、三人とも自分ら...
ヤギ飼いの三人は明らかにタリバン。殺すのがだめなら、三人とも自分らが安全なところまで連れて行く。
もしくは老人と小さい子供は縛り付けて置いていき、大きい方の子供を連れて山頂まで行く。無線連絡が取れるまでは解放しない。これが正解。指揮官がバカだからこうなる。
あそこで解放はないだろ普通に。。。
たった1人の生還者・・
生還できてよかった、現地の人達がみな悪人というわけではなくてよかった、仲間はみな死んでしまい「俺の一部はあの山で死んだ」というセリフが印象的でした。 助けてくれたあの親子をマーカスは連れて帰りたかったですよねやっぱり(涙) 現地の人達の言語の字幕が出ないのが、悪人はさらに不気味に感じ、手を差しのべてくれた人は信用できるのかわからない感じを助長してましたね。
期待以上!
見る予定は無かったが、ある人にすすめられ鑑賞。期待以上でした。
戦争の緊張感を味わえたし、銃撃戦もなかなか楽しめた。
4人で戦いはじめ1人また1人と仲間が犠牲になり、とうとう1人になってしまったマーカス。そして絶対絶命のピンチ…しかし彼は独りではなかったのだ。
もうダメだと思った時も、助けてくれる誰かが必ずいるのだと思う
フィクションみたい
本物のNAVY SEALsの訓練映像から始まる。あの過酷な訓練を耐え抜いた者だけが海軍の精鋭部隊であるSEALsに入ることができる。
「レッドウィング作戦」はNAVY SEALs創設以来最も死者を出した作戦だったらしい。しかも最近の話。
終始半端ない臨場感と迫力感でリアルだった。
プライベート・ライアンとはまた別のリアルさ。
崖から落ちるシーンと傷口からRPGか何かのでっかい破片をナイフで取るシーンがきつすぎる。
撃たれても落ちても辛うじて動いていられたのは、アドレナリンのおかげとしか思えない。
アフガン人全員がタリバンというわけではなく、中にはタリバンは敵だと思っている人も大勢いる。敵から逃げている者を守れという「パシュトゥーンの掟」により、地元民が見知らぬアメリカ兵士を匿ってくれたのは感動。
アメリカ映画を見るとつくづく愛国心が強いなぁと感じる。
泣けはしなかったけどつまらないシーンもなく、ずっと気を張りながら見ていた。また見たい。
マーク・ウォールバーグかっこ良い!
この映画の関連コンテンツにある、高橋さんの映画論評がとても良い文章である。あんな文章書けるようになりたい。
痛い痛い痛い。けどあっという間に感じる
まあ、タイトルからも読み取れるんだけども
ラストにこんな展開!
って思わせる、とても悲しいけども
こんな人たちもいるんだって思わせてくれる映画。
こんなんが実話ベースだとは…。
最初の訓練シーンでシールズの絆を伝えて
そこを芯に構成されて、すごく見やすかった。
全編に渡って繰り広げられる痛々しいシーンの
オンパレードも、ある意味軍人さんの凄さを伝えてくれたし、
エンドロール前のメッセージ?も泣かせてくれたわ。
アフガンの村人の掟
多数の犠牲を出した最悪の作戦だから失敗すると分かって観る戦争映画は辛い、何故マーカス兵曹は生き延びたのかは、映画の冒頭で延々見せられる過酷な訓練、精神力は肉体を凌駕すると鍛え抜かれたシールズだからと思いきや、村人の掟「パシュトゥーンワーリー」でしたという話。
任務の最中でも無駄話ばかり、髭を生やしていて老け顔だが全員20代の若者たち、実戦経験も少ないのだろう。タリバンの首謀を狙える状況で本部の上官に狙撃許可を求めるも無線は使えずもたもたしている間に潜伏失敗で敵の衛星電話を使うも指揮官は仮眠中というお粗末、実戦は訓練やマニュアル通りでは立ちいかないと言いたいのだろう。潜伏がばれるのもたまたま山に来た村の山羊飼いだしマーカスを助けるのもたまたま水辺に来ていた村人という皮肉、馬鹿な軍隊よりタリバンと戦うアフガンの村人の方が立派に思える映画でした。もっとも最後の救出での戦闘は実際には行われず脚色らしい・・。
壮絶
圧倒的な絶望感と、想像を越えた展開で目が離せなかった。
現地の人達こそ、一番の被害者だと痛感。その中でも、死をも恐れぬ選択をできる勇敢さに感動した。
また新しい、戦争の側面を知れた。
因果応報とは言うけど、マーカス、マーフィ達の選択に正解なんて無かっただろう。
まさに衝撃の実話。
パシュトゥーンの掟!!
4年前に映画館で観た時は崖をゴロゴロ転がり続けるシーンが印象的でしたが、やはり捕らえた民間人をどうするかを話し合うシーンが映画のピークだと思います。やはり殺害するか、脱出が確定してから解放すればプロらしかったと思います。通信状況が極めて悪く、現地語を話せる者が一人もいないのも準備段階から甘かったと思います。相手部隊の規模が分からないのに、やり過ごさず先に仕掛けてしまったのも冷静ではなかったと思います。ヘリの人たちはみんな死んでしまったのでしょうか。「ブラックホーク・ダウン」と同じく、ちょっかいを出してやろうとして失敗し、泥沼にはまっていくさまを上手く映画にしています。民間人を殺すなと主張した者が後に別の民間人に救われるという展開が、自分の信仰に適ったりしたのが原作がヒットした理由の一つでしょうが、現実でも自分の仕事ぶりを見ていてくれる人ですらなかなかいないので、そのような機会に恵まれる事は難しいですよね。南スーダンに金融資本家の油田を守りに行って戦死した、自衛隊員たちの戦いも知りたいです。
Be never out of the fight
4人のSEALs 対 200人余りのタリバン勢
あれだけ鍛え上げ、選ばれしSEALsだからこそ、あそこまでの体力と精神力ですが、それをもってしても、地元民の慣れた足取りには及ばないのですね。
若い命と美しく恵まれた肉体が、数日の戦闘で呆気なく散ってしまい、その痛々しさに涙が出ました。
米軍からすれば、志願者を減らしたくはないので、撮影に協力するとなると、どんな失敗でも英雄視せざるを得ないのでしょう。特に自らを危険に晒してでも「明らかに敵視する民間人」すら無傷で見逃したんだという「正しい決断」は、唯一の生存者Luttrellにとっても強調したい点だと思います。
Luttrellを命懸けで救うGulab。
その動機を、Pashtunwaliだから、という簡単な説明ですが、敵から他人を守ることだけが掟ではないです。たとえ敵であっても自分の屋根の下にいる限り弱者・敗者を許し情けをかけるというのは、掟の1つNanawatai (providing asylum) に過ぎないのです。それも本来なら助けを求められた時のみのようなので、その点Gulabは大変勇敢です。
しかし最初の3人の村人は、もしかしたらGulabの親戚や友人やご近所さんって可能性もありますよね??もしこの3人の民間人を傷付けたり、殺したりしていたら、米兵を「敵から逃げる弱い立場の者」とは見なさず、敵討ちとして殺していたかも知れません。だってBadal (revenge) (目には目を)も掟で認められているのですから。NanawataiとBadalなら、前者が勝るみたいですが、とにかく(男とその一家の)名誉を重んじるための掟なので、どれだけ名誉毀損と捉えるかなのでしょう。山間部の厳しい環境で生きており、自立した誇り高き民族だから、自衛力もあるのです。よそ者のタリバン兵にも出て行って貰いたかったのではないかしら。
だから、もし民間人を人質にしていたら、4人がこんな目に遭うこともなかっただろうけど、民間人に助けても貰えなかったかも。全て結果論ですが。
Frankieって呼ばれて、新米Pattonに最初の任務(テーブルの後片付け)を与える人がLuttrellご本人だそうです。
劇中の描写では、射撃術は圧倒的にSEALsが格上で、タリバンが殺した米兵の数より、彼ら4人が殺したタリバン兵の方が多いです。戦場となった地質同様に、戦争は不毛だと改めて感じました。
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