「まだまだ君が必要なんだよ、ドラえもん」STAND BY ME ドラえもん ユキト@アマミヤさんの映画レビュー(感想・評価)
まだまだ君が必要なんだよ、ドラえもん
子供の頃、僕は逆上がりができなかった。
子供の頃、僕は自転車に乗れなかった。
子供の頃、僕の家のトイレは水洗じゃなかった。
子供の頃、僕はいくじなしで、泣いてばかりいた。
ジャイアンのような「いじめっ子」にはいじめられなかったけど、のび太君の気持ちはよく分かった。
出来損ないの僕を助けてくれる、理想の相棒。
もし、そんな夢が叶えられるとしたら、きっとそれは
お腹の四次元ポケットから、何でも出してくれる、
未来から来たねこ型ロボット。
「ドラえもん」にちがいない。本作は十分大人の鑑賞に堪えうる。
のみならず、子供だった頃の自分に、ドラえもんが「タイムマシン」をつかって時空を飛び越えてくれるみたいだ。
誰もが一度はあこがれた「タケコプター」
あれをつけて空を飛べたら、どんなに気持ちいいだろう!
その夢は2014年の夏、映画館で実現する。
本作は余分にお金を払ってでも3Dで鑑賞した方がいい。タケコプターで空を飛ぶスイスイ感は、実に気持ちいいものである。
他にも、おなじみの「どこでもドア」や「タイムマシン」「暗記パン」などが次々登場する。鑑賞した劇場の観客は大半が子供たち。みんな「ドラえもん」の時空間に引込まれてゆく様子が伝わってきた。
日本の「マンガ」キャラクターたちは、手塚治虫の「鉄腕アトム」を筆頭に、赤塚不二夫、藤子不二雄など半世紀ちかく経っても、まだ生命力を失っていない。特に子供たちだけでなく、大人にまで絶大な人気を誇るのが「ドラえもん」なのだ。藤子不二雄氏の造形は「オバケのQ太郎」をはじめとして実にシンプルである。これ以上削ぎ落とせない、ギリギリの単純な線描でキャラクターが成り立っている。
それが今回、3Dアニメーションという「飛び出す絵本」的な道具で映画化された。映画界にとっては3Dこそ、喉から手が出るほどほしかった「四次元ポケット」そのものなのだろう。21世紀の日本の子供たちは、この夏、劇場で三次元空間を自由に飛びまわる「ドラえもん」に出会えるのだ。
本作を作ったのは八木竜一、山崎貴という二人の監督である。
山崎貴監督は「永遠の0」を監督した。なぜこの人が、この内容の映画作品を、この時期に作らねばならなかったのか?
僕は首を傾げるばかりであった。山崎貴監督にしても「永遠の0」は自分の手がけた作品の中で、どのような位置づけになるのか? 迷いがあったのかもしれない。
「一歩間違えば、国策映画、プロパガンダ映画と誤解されるのではないか?」
それこそ、ヒトラーとナチのプロパガンダ映画を作った、女流監督レニ・リーフェンシュタールのような立場になりはしないか?
その山崎監督が、本作「ドラえもん」では、その鬱屈したドロドロ感を吹き飛ばすかのように、心地よい映画を作ってくれた。
短い上映時間の中で、ドラえもんとのび太君との出会い、別れ、そしてのび太少年の心の内面、葛藤、成長まで描いている。作品を観て、それをどのように感じるのかは、その人の人生経験によって大きく異なる。子供たちは、子供たちなりに、大人になった僕たちは、僕たちなりの「ドラえもん」の「イメージ」がある。
逆上がりが出来なかった、自転車が乗れなかった、少年だった頃の僕に、ドラえもんは「四次元ポケット」から何を出して、助けてくれるのだろう?
「ぼくがいなくなってもやっていける?」
それはのび太君への問いかけでもあり、迷走する僕たち大人への問いかけでもある。
でも、ドラえもん。
僕たちや、子供たちには、まだまだ君が必要なんだよ。だって、この世界には、幸せではない子供たちの方が、ずっと、ずぅ~っと、多いのだから。