「グロテスクだった」STAND BY ME ドラえもん コージィ日本犬さんの映画レビュー(感想・評価)
グロテスクだった
続編が公開されたので、シリーズ最初の作品を思い出してレビュー。
原作漫画にある感動系のお涙エピソードを繋いだ内容。
感情をオーバーアクションとセリフで説明する作り方は、子供むけに海外配給を狙うか、または中国など元々ドラえもんのアニメが浸透した国々に売るならば、そこそこ正解の作り方なのであろう。
でもフラットにドラえもんを知らない子供が観たらどうなのかに、クエスチョンマークが浮かぶ。
断片的なショートストーリーをつないだだけだから、ドラえもんとのび太の友情が培われ、心が繋がる描写がないのですよ。
作り手が『自分は知っているから』、もしくは日本公開だけで考えると「皆さん知ってますよね」と下駄を預け、その作中で基本描写を忘れちゃう(もしくは放棄しちゃう)のはいかがなものか?
ましてや原作やテレビアニメと違い、「セワシによって、嫌々ながらのび太を幸せにするように歴史改ざんを強制されるドラえもん」ってオリジナル設定で、本作はスタートするんですよ。
なのに、そのプログラムを超えた「友情の芽生え」の表現が一切ないのに突然、漫画単行本6巻(のび太がジャイアンと喧嘩して勝ったり、のび太が涙ながらに未来に帰るドラえもんを引き留める)のシーンをやられても……
なにより、ピクサーなどでなじみのあるぬるっとした3D表現だと、(背景や動きには驚きや面白さ・新鮮さはあったけれども)キャラが二次元の「特徴をデフォルメした記号」から、「生き物」的な印象が強化され、作品がもともと抱えている昔だから許された(そもそもデフォルメされた)暴力表現などが、リアルさを伴っていろいろグロテスクな部分が強調されてしまう。
特にのび太を幸せにしないかぎり未来に戻れない“成し遂げプログラム”=「電気による拷問」はドラえもんがかわいそうで、その残虐さでセワシがあまりにも嫌な奴になってしまった。
ジャイアンがのび太を殴るのも、喧嘩もそうだ。
セワシやジャイアンだけでなく、他のすべてのキャラにバックボーン・感情的絡み・深みがなく、のび太との関係性が希薄に思えてしまう。
借りてきたコマを動かしてるだけという印象がぬぐえない。
それらを総合的に見て、この作品は極めて気持ちが悪く、観ているうちに原作を冒涜している気がして、怒りで眩暈を覚えたレベルでありました。
あくまでも作品とマスコミのインタビューからの印象でしかないのですが、山崎氏はよくも悪くもプロフェッショナルで、周りからの意見に耳を傾け、プロデューサーの意見は最大限に取り入れて、納期とコストに合わせることにとても上手い監督さんだと思えます。
「物語を構成する重要な見せ場」すら、オーダーがあったり、コストに見合わないと切り捨てることに躊躇がない、とも言えたり。
「やりたいこと」や「やらなきゃいけないこと」が、明確に最後まで残っていればよい作品になると思うし、残ってないとダメになる。
裏を返すと、「現場プロデューサーの判断、実力がそのままフィルムに出る」方なのかと思います。
そんな視点で見ると、あくまでも個人的にはこんな評価かな(各人で異論はあると思う)。
・良い山崎貴
『ジュブナイル』『リターナー』
『friend もののけ島のナキ』
『アルキメデスの大戦』
・普通の(毒にも薬にもならぬ)山崎貴
『BALLAD 名もなき恋のうた』
『永遠の0』
『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』
『ルパン三世 THE FIRST』
・悪い山崎貴
『ALWAYS』シリーズ
『Destiny 鎌倉ものがたり』
『Space Battleship ヤマト』
『STAND BY ME ドラえもん』
『海賊と呼ばれた男』