「家族という役を演じるロールプレイング・ゲーム」家族ゲーム あき240さんの映画レビュー(感想・評価)
家族という役を演じるロールプレイング・ゲーム
みんな人として向かい合わない家族の姿
もちろんそれをあのテーブルが映像で表現している
半熟の目玉焼きを吸う父親、それは未だに母乳を吸う代償行為をする幼児性の表現だ
これも冒頭で見せる
しかも吸えなければそれを妻に非難するのだ
バット殺人事件を恐れ息子の反抗という通過儀礼から逃げ、それを正面から受け止める父親の役割を家庭教師を雇い金で解決を得ようとする
その家庭教師を自分の代わりに学校に行かせる母親
彼女は子供にも近隣の主婦にも優しいようで実は自分のことだけが大事なのだ
車の中でもっと遅く産めば良かったと、二人だけの新婚生活を楽しみかったといい子供のことは実は邪魔だと思っているのだ
この母親は戸川純が演じる同じ団地の精神不安定な主婦から、もっと人に共感できる心を持つべきだとなじられる
そして椅子を動かして向かい合わせで座りこの家のテーブルの異常さを暴露する
この夫婦は、夫婦の会話を家庭ではしない
外の車の中で済まそうとするのだ
団地の家が狭いからだけではない
ラストシーンに映る二人の寝室を持つにもかかわらずそうする
家庭を拒否しているのだ
父親と母親では有るが、まだその自覚がないのだ
子供が実は邪魔なのだ
それでも仕方なく家族を演じるロールプレイング・ゲームをしているのだ
それがタイトルの意味だ
それでも母親の愛情を取り合う子供達
兄はレコードのやり取りで愛情を確かめようとするが弟が帰宅するとそれを共有しようとせずに席を立つ
弟は成績が良くなると気分を悪くするやつがいるというが、それは実はクラスメートではなく兄のことだ
兄は弟が両親の関心を集めればやる気を失う
親を心配させて関心を集めたいのだ
冒頭で弟がやる気を出せないのは同じ理由だ
兄弟で助け合うとか励ますとかの発想がそもそも欠落している
兄弟もまた両親と同じく兄弟というロールプレイング・ゲームを演じているのだ
弟は母が来客中であっても、そこに急に電話が鳴り出しても、自分の話を聞いてくれと駄々をこねる
その上、来客の前で着替えて裸になって追い返そうとする幼児性をみせる
鉄球のジェットコースターのおもちゃもその幼児性を表現している
これで中学三年なのだ
舞台はまだ工場や倉庫あとは空き地だらけの頃の晴海の埋め立て地
この土地は生活実態を感じさせない
そこに家庭教師は水上バスで竹芝桟橋から通う
つまり普通の家庭が住むところとは別世界だという映像表現だ
家庭教師の住む部屋には花もあり、恋人がいて彼とイチャつく安らぎがある
背景には水槽の泡の水音がしており無言であっても潤いのある生活があることを示す
これも沼田家との対比をなすものなのだ
松田優作が演じる家庭教師
彼は結局父親と母親の両方の役割を果たす
弟は成長し成績は上がり、クラスメートから告白され、土屋にはケンカで勝ち、ついには志望校合格という奇跡を起こす
彼はこのゲームを演じている家族を救いに降臨したキリストということなのだ
だから頬を打たれるシーンが有るわけだ
そうして合格祝勝会は最後の晩餐を模すわけだ
最後の晩餐の席でキリストはこの場に裏切り者がいると言う
それは誰か?
本作では家族全員なのだ
それで神である彼は家族を罰し、その象徴であるテーブルをひっくり返すのだ
彼が去ったあとに残された偽りの家族は初めてバケツを中心に片付けを協同して行うのだ
ではラストシーンのヘリコプターは何か
救世主は去り戻らない
天空に舞うのは雷鳴でも神の子の降臨を伝える天使でもない
救世主に去られたこの家族は結局家族の意味がないことを知ってしまったのだ
眠っているのも死んでいるのも変わりはしないのだ
父の姿はない
はじめからいないのと同じなのだ
この家族は私達の写し鏡だ
戦後の核家族は大なり小なり似たようなものだ
本当に家族一人一人に向き合っているのだろうか
それを問うているのだ
自分は本当に親であったのだろうか?
汗がでる思いだ
この兄弟は団塊ジュニアの走りになる
21世紀の今日、この兄弟は本作の両親の年代よりも年配になっている
今では単身赴任も当たり前の世の中になっている
彼らは、私達は、あなたは、本作のような家族ゲームをまた再演してはいないだろうか?
というよりこの家族の異常性すら、どこが異常なのか感じとれもしなくなってはいないだろうか
遂にはさらにバラバラになって個となり、結婚すらせずに家族をもたないものも、この世代になると多いのだ
いやひょっとすると、いまだにあの子供部屋にいるのかも知れない
エンドレスで家族ゲームを演じ続けている人すらいるかもしれないのだ
本作は戦後の核家族の実相を描いただけでなく、予言にまでなっているのかも知れない
この森田芳光監督の見事な演出
松田優作の怪演
数々の映画賞を総なめにするはずだ
奇しくも同じ1983年初夏に公開された映画に、市川崑監督の細雪がある
その作品は反発しあいながらも互いに気遣う本当の家族の物語だ
戦前と戦後の二つの家族の姿
偶然にしても見事な対称をなしている
映画の神の見えざる手による必然なのだろうか