美しき棘のレビュー・感想・評価
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もしもし、お母さん・・
「独りぼっちの少女」をレア・セドゥが魅せている。
父親はいない、とうの昔からどっかの海外にいるのだ。
頼りたかった姉もいない、家出している。
たった一人の女友だちは彼氏を盗ってしまったし、
バイクの彼もあっけなく事故死だ。
濡れねずみの彼女を誰も愛してはくれなかった。
嗚呼、どうしてフランス映画はここまで人間を孤独に追いやるのだろうね。
王室をギロチンに葬ってしまったがために、彼らはついに帰るべき家を失い、そうやって永遠に一家離散の呪いをその身に負うてしまったのだろうか。漂泊の国民になってしまったのだろうか。
まだ甘えたり反抗もしたかった頃なのに、母親を亡くしてからの、17歳。レア・セドゥの孤独ぶりが、どこまでも痛々しい映画なのだ。あの顔!
死んだひとのよすがを求めて.がらんどうのアパートで母親の引き出しを開けて母親を探す。
そして母親の声が聴きたくて補聴器を自分の耳に当てる。
でも幽霊でさえ、少女の願望に反してこんなにも素っ気なくてなぁ、
抱っこしてやれよ!母ちゃん!もう悲しすぎるだろって!
・・
《家族は、いてもいなくても、人は永遠に孤児だって》映画なのだ。
本作のあとレア・セドゥは「たかが世界の終わり」に出演する。
ウエットで面倒くさい日本だけれど、引き出しの中の「へその緒」を見せてやるよ、だからこっちへおいでよ。大阪のおばちゃんを見せてやるからよ、と
叫びたい気がした。
美しき棘──喪失と再生の17歳
2010年のフランス作品で、時代背景も2010年のようだ。この作品は、フランスの純文学と呼ぶにふさわしい。物語は「筋」にあるのではなく、主人公プリュダンスの心の揺らぎを描いている。
冒頭の場面は警察。おそらくプリュダンスは万引きの容疑をかけられている。後に「母の死」がきっかけだったとわかるが、下着の中に盗んだものを隠すという行為は常習性を示している。つまり、彼女の素行は母の死以前から始まっていた。それが示されるのが叔母宅の長男と父の様子だ。
当時のフランス社会──今もそうかもしれないが──キリスト教的な厳格な躾が根強く、反抗する長男の姿が象徴的に描かれている。プリュダンスも父を毛嫌いしており、それが憂さ晴らしの万引きという、フランス人特有の逃避行動に繋がっているように見える。
プリュダンスにはフレデリックという姉がいる。姉は母の死後、自宅に戻りたくないという理由で叔母の家に滞在している。一人残されたプリュダンスは、自分の心の居場所を見失ってしまったのかもしれない。
彼女は同じように警察に補導されてきたマリリンと知り合い、夜遊びを始める。バイクでの暴走行為は、日本の若者文化とも通じるものがある。スリルや冒険は、いつの時代でも若者を惹きつける。
17歳になったプリュダンスは、思春期と母の死という喪失感に苦しみながら、同年代の不良たちの「自由」な行動に憧れ、それこそが大人への登竜門だと信じたのかもしれない。誰も帰ってこない自宅をたまり場にして、彼女は意識的に見ようとしない「喪失感」を埋めるように夜遊びを続ける。
しかし、いくら遊んでも、初めてSexをしても、心の空洞は埋まらなかった。フレデリックは彼氏と共に叔母宅に寝泊まりしながらも、プリュダンスを心配しているが、彼女の心のやり場はどこにもない。
フランクとSexしても満たされることはなかったが、彼の母親の優しさに触れたことで、プリュダンスは自分が何を求めていたのかを感じ取ったのだろう。フランクたちバイク仲間と観る映画も、まったく頭に入らず、トイレに行くと言って外に出ようとする。
フランクの怒りと侮蔑の言葉は、おそらく父の言葉と重なったのだろう。所詮、男というのは自分のことしか考えない生き物だ。雨の中に放り出されたプリュダンスは、仲直りできるはずだと信じて待っていたが、フランクは彼女を一瞥し、他の女をバイクに乗せて走り去ってしまう。
一人歩き始めた彼女は、もしかしたら遠くにサイレンの音を聞いたのかもしれない。用水路を早足で抜けてバイクのたまり場に向かった先で、フランクと同乗女性の死を目にする。若気の至りというべきか、危険な行為とフランクの気分が事故を引き起こした。
この事実は、プリュダンスに「逃げ場はない」ことを突きつけたのだろう。自宅に戻った彼女は、母の幻覚を見る。「死んでほしくなかった」──この本心が幻覚となって現れたと同時に、彼女はそれが幻覚だと認識していたのかもしれない。
「メガネを取ってきて」と言った母の言葉に、泣きながら「補聴器」を取り出し、ベランダに出て耳にはめる。補聴器を通して大きなサイレンの音が聞こえる。それは、フランクを乗せた救急車の音でもあり、母が乗せられた救急車の音でもあったのかもしれない。
その「現実の音」に初めて触れたことで、彼女はやっと泣くことができた。17歳になった瞬間に起きた様々な出来事は、まだ17歳の彼女には処理しきれない心の揺らぎの大きな渦だった。
その渦が何なのかもわからないまま、彼女は思春期の経験を通して「喪失感」に向き合うことになる。人前で泣くことさえできない感覚、何をしても処理できない心の澱──その正体は、自分自身で見つけ出し、本心の感情を吐露することでしか拭えないのだろう。
少女から大人への階段は、体裁を繕うような見せかけの表現ではなく、本当の感情をありのまま表現することなのかもしれない。その時経験したその丸ごとの体験こそ、いつか誰かの心の傷を癒すことになるのだろう。
タイトルの意味は、想い出という美しいものの「生と死」の二面性であり、「棘」という今現在の悲しみは、やがて経験上の成長と誰かのためになっていく「美しさ」に変わるのだと解釈した。
それにしても、プリュダンスの心の喪失感を感じ取ると、涙が溢れ出してしまう。
アンニュイな雰囲気がフランス映画らしい
どこまでも暗い画面に気が沈む
この雰囲気すごく好き
日本の少女マンガの映画化?
突然母親を亡くした16歳のプリュデンス。父親は相続問題でカナダ滞在中、母親のいない家に耐えられないと姉は家に寄り付かず、ひとり残されたプリュデンスは万引きをしてみたり、バイクの暴走グループを追いかけてみたり、あてもなく彷徨う。そんな彼女をいとこのソニアは自分のことしか考えていないと非難するが、もちろん彼女も母親の死を悲しんでいない訳じゃない。
突然過ぎた母の死をどう受けとめ、どう悲しんでいいのか分からないのだ。
ほとんど表情を崩さないプリュデンス(レア・セドゥ)が最後に見せる表情はいい。
しかし、ストーリは日本の少女マンガを思わせるありきたりなものだし、これはいい意味でも悪い意味でも、レア・セドゥありき、彼女なしでは成立しない作品だなあと思う。
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