「ヨロコビだけでは、生きていけない。」インサイド・ヘッド ロロ・トマシさんの映画レビュー(感想・評価)
ヨロコビだけでは、生きていけない。
あの、一時期のピクサーって凄くなかったですか?なんていうか「絶対安心!品質保証!ピクサー観とけば間違いなし!」みたいな雰囲気、あったでしょ?あったんですよ。でもう毎回ね、新作は内容関係なく観に行っちゃう!みたいな指名買い状態というか。映画好きの人間は本当そういう感じだったと思います。映画そこまで好きじゃないけどピクサーなら観ちゃう!て人も居たんじゃないでしょうか。
それがここ数年はね、なんというか、不調というか。本当になんでしょう。少々マンネリ気味というか。少しワンパターンというか。ワクワクしなくなったよね。楽しみじゃなくなってきたよね。的な。
続編ばっかじゃん、と。おいおいどうした?もうアイデア枯渇したのか?と。ピクサー神話の崩壊か?と、気分が冷めてきてまして。業界自体もそんな風潮ちょっと醸してて。
やあ、あの、唐突にこんな切り口から始めちゃって申し訳ないです。ただ、この感覚、自分だけじゃなくて、そんな風に感じてる人って少なくないんじゃないかなぁ、と思ってまして。
で、今回の『インサイド・ヘッド』。
なんだか久しぶりの完全新作ですね。前作が『モンスターズ・ユニバーシティ』でしょ。そのまた前の『メリダとおそろしの森』はオリジナルだけど、かなーり本家のプリンセスモノに寄せてた感じで、真新しさゼロで。何をディズニーみたいなことしてるの?と。頼むから今回はキメてくれよ!と。
はい。
はいはいはいはい!そうそうそうそう!これが観たかった!こういうのが観たかった!
ピクサーはこうでなくちゃあいけませんね。いけませんよ。ピクサーの面目躍如。ピクサーの帰還。凱旋。遂に、やっと、ピクサーが戻ってきてくれた!という気持ちで一杯です。オリジナリティの総合商社、ピクサーの本気の一本を観ました。嬉しくない筈がない。本当、最高です!
まず「人間の5つの感情を擬人化し、それらが絶えず脳内会議を繰り広げ、宿主の態度、行動に影響を及ぼす」てアイデアが根幹のストーリーでして、主人公はライリーという名の少女。感情はヨロコビ、カナシミ、イカリ、ムカムカ、ビビリの5人衆。
で。で、これ話としては何の変哲もない少女の成長物語なんですよ、本来はね。ここだけ切り取ったらすんごいつまんないお話で。ただ、そこに、その感情達が見事にリンクするんです。
ライリーの心象世界が感情達にとってのリアルワールド。5人の各自の行動によって、少女の変哲ない成長譚が途端に躍動感を魅せる。一大スペクタクルに生まれ変わっちゃうという(まあライリーよりも感情世界の方が主たる舞台なんですが)。
このリンクのさせ方が絶妙過ぎましてね。ライリーは話が進むごとにどんどん不機嫌になっていきます。そして、それは一見、無軌道で無意味なネガティブを迸らせているように、こちらには映るんです。そして、その彼女を支える感情達も傍から見たら手前勝手なドタバタを繰り広げていて。
けどね、終盤になってくると、それらには全部意味があったことが分かるんです。無意味と思えたライリーの行動にはちゃんと理由があったんだよと。本当に感心しましたよ。こういう繋がりを見せてくるのか!と。
それと、映画に込められたとびきりのメッセージ。
「毎日が笑顔で過ごせたらどんなに楽しいだろう。いつでもポジティブにいられたらどんなに素敵だろう。でも、そんなにいつも笑ってなんかいられない。嬉しくないのに笑顔なんて作れない。だから、無理なんてしなくていい。泣いたっていい。怒ったっていい。色んな感情が湧き上がってきて当然。あらゆる感情が混ざり合うからこそ、人間なんだよ」という、メッセージ。まあ自分なりにした解釈なんですが。そう受け取りました。
ピクサー、ありがとう。やっぱり、いつまでも付いて行きます。