劇場公開日 2013年11月29日

「殺すと言わんのやで。貴重な命をいただくんやで。」ある精肉店のはなし 栗太郎さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0殺すと言わんのやで。貴重な命をいただくんやで。

2024年12月4日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

たいていの人は肉を食う。江戸時代の日本人はそうでもなかった(鳥や猪は食った)が、今では牛も豚も馬も食う。だけど、その牛や豚をどのように捌いて、店先に並ぶ肉となっていくのか、ほとんどの人は知らない。教えてくれようとしても、たぶん知りたくないし見たくもないだろう。それは、残酷だということを知ってるから。残酷だとわかっていても、肉はうまい。このジレンマを消化するには、動物の命をいただいているのだという感謝の気持ちで報いるしない。食用にする肉だけでなく、皮から何から無駄にしないのは、せめてもの罪滅ぼしのような気もする。この映画にでてくる、とある地方の小さな屠場には獣魂碑があり、その前で獣魂祭が定期的に行われてきたのもその表れで、牛に感謝し供養してきた。例えば日本人は鯨を例にあげても、髭からなにから、全部食うか、細工物にしたり、何かの道具にしたし、港の高台に鯨塚を作って供養もしてきた。その「いただく」という感謝の念があったのは、屠殺の作業が身近だったからだろう。
先日上映していた『うんこと死体の復権』もそうだが、なにやら現代社会は、屠畜、排泄物、死などなど、本来生活のすぐそばにあった穢れに属する物や作業から遠ざかったせいで、必要以上に忌み嫌うようになった気がする。屠殺は郊外の大型工場で機械化され、葬式は家ではなく斎場で済まし、排泄物は回収に車でもなく下水に流す。
この映画にでてくる家族は、代々この精肉業の仕事に携わってきた。正面から「被差別部落」のことも語っている通り、偏見やタブーの中で暮らしてきたことと思う。だけど、家族みな、誇らしげな顔をしている。羨ましいくらいに職人の顔をしている。それはこの家族が誠実な商売をしてきたからだろうし、客の満足を肌で感じてきたからだろうし、恥じることはないという矜持があるからだろう。

栗太郎