胸騒ぎの恋人のレビュー・感想・評価
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恋する2人
同じ男性を好きになった男女のはなし。
ニコラがマリーにもフランシスにも恋愛という意味では興味がないのは見ていて伝わってくる。
それでもお互い牽制したりしながらニコラと仲を深めようとしていく2人。オードリー・ヘップバーンが理想の女性だと聞けばフランシスはポスターをプレゼントし、マリーは姿から真似していく。
このニコラという人物が不思議。
パリには文学を学ぶため大学入学を目指して来たといいながら大学に通う様子はない。ダンサーだったという母のお小遣いで楽しく暮らしているのか。
会話から知的な感じも受けるけれど、パーティーばかりで今を楽しんでいるだけにもみえる。
マリーやフランシスとは住む世界が違い、それが故に2人は彼に惹かれたのではないだろうか。
フランスの田舎の景色が美しくて、絵画のようだった。
よくある恋愛
この監督の作品を観るのは初めてだった。
鑑賞前は、いかにも、サブカルジョシがお洒落目的で鑑賞するも、イマイチしっくりこなくて、あれれーってなっちゃうパターンのやつかな、という感じがした。
見始めると、まさにその通り。
でもやっぱりこの映画の凄いところは、それをつまらないと思わせないところかも。
印象的な音楽や、色鮮やかなドレス、男女が寝るシーンの色使いにも、底知れぬセンスのよさを感じた。
ラストの、“自分を振った相手を敵視する”シーンには、全力で共感した。
設定はただの三角関係ではなくて、ちょっと変わってる。全体的に女々しい、もちろん良い意味で。きっと沢山の女子が共感するんだろうな。
男と女。分かり合えない。難しい!
新しくてクラシカル
グザヴィエ・ドランの監督・脚本・主演作。
自分の事を延々と映し続けて、どんだけナルシストなの?と思うけれど、その「延々」がそこはかとなく滑稽で、可笑しい。自分を滑稽に撮れるということは、ナルシストの一方で、ものすごく客観的に冷静に撮っているということでもある。(「マイ・マザー」の時もそう思った。)
そしてこの滑稽さは、彼自身のものだけではなく、恋する人皆に共通するような、滑稽さでもある。(「オレは、こんなかっこ悪い恋はしない」という人は、どちらかというと恋を客観視できない人と思う。)
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色使いや構図などフレッシュで若々しい。新しいなあと思わせる一方で、どこかクラシカル。手紙・電話などの小道具も、流れている曲も、ちょっと昔っぽい。
間違いなく現代の若い人が撮った映画なんだけど、三十年前に撮られた映画ですって言われたら、「そーかもねー」と思わず納得してしまいそうな、時代不明な映画でもある。
オム・ファタルの撮り方(コクトーと重ねる所がカッコ良過ぎて笑う)もクラシカル。グザヴィエ・ドランなら、オム・ファタルの古典コレットの「シェリ」も上手く撮れるんじゃないか、とすら思う。
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ナルシストでありつつ客観的な、アバンギャルドでありつつクラシカルな、相反する魅力が詰まった映画と思う。
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追記:「Bang Bang」という歌が非常に印象的に使われている。
タランティーノやオゾンの映画でも使われており、手垢のついた曲にもかかわらず、この映画のための歌と感じさせてしまうあたりも、ドラン憎いねえと思う。
センスの塊
親友同士のマリーとフランシスはパーティーで会った無邪気で悪魔的な美青年ニコラに
一目で魅了されるが、お互いニコラに興味のない振りで相手を牽制。
三人が友人として親しくなるにつれ、マリーもフランシスも自分がニコラにとって友人の一人である現実に耐えられなくなるが…。
友人同士で同じ人を好きになってしまうというシチュエーションは現実にもよくあることで(少女マンガやドラマでもありがちなネタ)珍しくはないのだが、マリーはストレート、フランシスはゲイという設定がちょっと新鮮味を与えている。
それならば、
ニコラはストレートなのか?
それともゲイなのか?
これさえハッキリすればこの三角関係には簡単に片がつきそうなものだが、人の恋愛関係はそんなに簡単なものじゃない。
ニコラはバイセクシュアルかもしれないし、自認せずとも受け容れられるタイプかもしれないし、ニコラがどう反応するかによって三人の関係はどう転ぶかわからない。
マリーとフランシスの普段は仲の良い二人が、恋愛が絡むと途端に牽制し合う様子はまるで女友達のソレだし、二人共に振られた後はすっかりニコラに対して共闘するなど、これも女友達の間でありがちなことだ。
フランシスを演じる監督のグザヴィエ・ドランは弱冠25歳。この作品を撮った時には二十歳そこそこという早熟の天才肌。
彼の作品はこれが初見だが、自分で何をどう撮りたいのか、よく分かっている人だなという印象を受けた。
特に色遣いのセンスは、アルモドバルを思わせ、ハリウッドに毒されずこのまま順調にキャリアを積み重ねて行って欲しいと思う。
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