「自分の醜いところが見えてくる」FORMA ウッドバインさんの映画レビュー(感想・評価)
自分の醜いところが見えてくる
坂本あゆみ監督の初の長編映画「FORMA]
第64回ベルリン国際映画祭フォーラム部門で国際批評家連盟賞を受賞するなど、高い評価を獲得した作品。
「145分のアンチテーゼ」
今年52本目。今年観た中で10馬身差以上つけて1位。
<ストーリー>
学生時代同じ部活だった女2人が、社会人になり偶然再会する。
部長と一部員、学生時代とは社会的立場が逆転した二人、当時は立場が下だった過去を引きずる綾子は今や警備員のバイトをしている由佳里を自分の職場に誘う。一見親切の見えるがー。二人の心のズレから徐々に関係が悪化していく…………
序盤は、綾子が主役の様に話が進んでいき、「学生ヒエラルキーから社会人になったことにより地位が逆転したことで、復讐をする」話、に見える。台詞が多くないので、妬み、僻みが言葉というよりは態度で伝わってくる。今や、綾子の方が充実しているように見えるが、実は由佳里には婚約相手がいることが分かる。仕事では綾子が上司だが、家庭は家事も会話もしない父と二人暮らし。学生時代の立場がやはり変わっていなかったようだー。
過去に加え、婚約者がいることで綾子が相当嫉妬している。
苛めの様な描写が続くため、ここで観ている自分の感情も、”由佳里に同情”。
職場でもコピーが少し斜めっているなど、由佳里をいびる綾子。
極めつけは、綾子は由佳里の婚約者に半ば強引に合い、後日二人っきりで合う約束をし、由佳里が男性関係で緩いことを暴露する。
やはり、綾子が悪者だー。
しかし、綾子が”婚約相手との約束を遮る為に無理矢理仕込んだ”鍋パーティーのシーンから”ハテナ”は始まる。
綾子が一人で公園で遊んでる長回しのシーン。時間が経つにつれ、実はブランコに由佳里がいることがわかる。
今までは、上司・部下の関係だったので、綾子>由佳里、だったのに、由佳里が綾子へ「ブランコの漕いでいる姿がダサい、ブランコが似合う」などと罵っている(会話ははっきりとは聞こえないが)。
職場では由佳里が綾子に敬語を使っているのに、職場の外では昔と同じように”由佳里>綾子”なのだろうか。
そして、それを決定付けたのが、鍋パーティーで、実は綾子が他の友人を誘うと言っていたのに誘っていなかった時、由佳里が婚約者から急用の連絡が来たと言い勝手に帰ってしまうところで、二人の力関係がよく分からなくなる。
その後の展開は省略するが、前半は完全に綾子が悪者に見え、由佳里の肩を持つ。外見も由佳里は誰が見ても美人、一方綾子は大久保佳代子の様な見た目。話の作りだけでなく、”特に”男性を由佳里側に付ける要素が今となっては目立っている。そして実際に話の終盤には綾子の、由佳里にめちゃくちゃにされた過去が明らかになると同時に、前半を見ていた人達と同じ様に、完全に由佳里側に立っている人間も出てくる。
綾子が由佳里を感情的に虐めている様に思っていたが実はー。
自分の持っていたはずの中立性・客観性、が崩れる。
世の中には色んな側面があり、決して一つの角度からは何も語れない、そんなこと理屈では誰だって分かっている。
しかし、観ている自分はそうではなかった。それが完全に崩された。
人の、自分の醜さがどっと現れる。人は悲しいかな醜い部分を持っている。それが突き付けられた。
それがこの作品の一つのメッセージ。そう感じた。
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それ以外の部分では、長回しが特に多い。会話も騒音でよくわからないが、話の時間軸がパズルの様にずれている為、想像力を掻き立てられる。この人誰?この会話は多分こんなことを言っているのかな?
そう思いながらあっという間の145分。終盤の24分の1カットも圧巻。5分程度に感じてしまった。
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醜さ、すれ違い、観る角度。どんなことでも一つの角度では決して語れない。
じゃあどうすればいいの?それはこの映画が”言葉”ではなく空気で表現していた様に、”これ”という回答はない。
考える。そして生きる。それが答えだろうか。