自由と壁とヒップホップのレビュー・感想・評価
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サラマレコーン DAM(ダム)は自分たちの音楽は政治メッセージとい...
サラマレコーン DAM(ダム)は自分たちの音楽は政治メッセージというより、自分たちの生活の姿だというが全くその通りだと思う。ある映画監督も同じことを言っていた。特にメディアがユダヤ人のイスラエルよりの情報をつたえて、パレスチナ側が疎かになっている。その理由は書くまでもない。 米国でも政治と音楽や映画やテレビ番組は政治とのつながりが多い。だからこういうヒップホップは面白いんだけど! Palestinian Hip Hopの先駆者ダムを初めて知ったのは映画俳優で、Palestinian Hip Hopヒップホップアーチストのシャラビー(Mahmood Shalabi )からだ。シャラビーの出る映画を何作か観ていたので、彼を検索してみたら、Palestinian Hip Hop、MWR のリーダーであることがわかった。その後、ダムは自ずとyoutubeの画面に現れてきた。 English Translation of I Am Not a Traitor by DAM (をコピペするとダムのこのヒット曲が聴ける。) 心に響く。曲は、特に10代で活躍していた頃はパレスチナのなかだけでのヒップホップだったが、有名になると海外公演にも出て称賛されている。DAM - Mama, I Fell in Love with a Jew この曲もそうだがダムはどうすれば幅広い人々にアピールするか知っていて、自分たちのメッセージ、現状を届けている。 ダムが初めてヒップホップをスタートしたイスラエルのテレアビブの近くのパレスチナ人が住むリッド(LYD)。タマールが米国のヒップホップのスターをCDを見せながら紹介するが最初ツゥ〜パックに影響されたようだ。ダムの音楽は30%がヒップホップで30%が文学で残りの40%はパレスチナの現状だと言ってタマール(当時19歳)は外を指差す ダムとは対照に私がファンであるシャラビー(MWR)はこの葛藤が自分のなかの葛藤であって、その葛藤を直接音楽にして共有している(この映画ではなしている)より、自分の心のなかの問題が消化できていないという感じがする。うまく説明できない。パレスチナ人としての誇りもかなり強力で民族主義者で、攻撃的な言動が現れているので、イスラエル兵士につかまって攻撃されやすいタイプの人だ。シャラビーのヒップホップは英語で訳されているのは見つからないが、このドキュメンタリーで彼の思想がわかるし、それにヒップホップを少し英語を入れて歌っているので、彼の言いたいことが少し理解できるが。 米国のある黒人男性が言ったが、色が黒いと言うだけで警察から狙われる。まず、外見で判断されて、攻撃的な性格だったら、明らかに標的になると言うパターンが出来上がっていて、人権が尊重されない今の世の中の餌食になる。パレスチナの土地(アメリカインディアン)を占領したユダヤ人(白人)がそのルールをパレスチナ人(黒人たち少数派)に押し付け、2級市民として扱っているだけでなく自分たちの作ったシステムに入れこもうと考えている差別。 MWR のジャラビーはAKKA出身で、その街の様子を話しながら歩いてくれる。彼は自分がパレスチナ人としての誇りもっているが、そこに住んでいる若者には行き場がなく、最終的には麻薬の世界に入ると。 その後、ダムとシャラビーはパレスチナの難民キャンプである、Camp Returnといって体裁の良い、いつか故郷に戻れると言う難民収容所に行く。子供達のこころのよりどころを助けるのが目的らしい。子供たちに人権意識を教えている。自分たちがかわいそうな立場にあるという考えを自分の頭の中から取り除けと。子供たちはTuPacもしっている。自分の文化をルーザーだと思うな。占領されていて、そこで生きていても同じ人間としての権利があると訴えている。麻薬取引などに入る道を音楽に方向転換させてメッセージで自分を成長させる。自分の曲を作らせ、自己主張させ楽しませる。 MWR のジャラビーに戻ろう。この映画でシャラビーがテレアビブ行きバスにカメラマンと乗り込んだ時言っている。『普段はバスに乗らないんだ。アラブ人だとわかると自爆でもされるのではないかと警戒されるからね。特にバックでも持っていてごらん』と。それにまた『アラブ語を話し始めたらもう一巻のおわり。だからヘブライ語をお互いに話しているんだよ。その人たちはアラブであることがはずかしかったりして自信がないんだよ。自分は自分のままでいることが好き。ユダヤ兵士が自分のところに来て、尋問しても自分は時間があるから平気さ。彼らが自分のことが好きでも嫌いでもどうでもいいんさ。』と続ける。 Mahmood Shalabi Of MWR - Blinded Freedom [حـريـة مـعـمـيـة] 私はこういう偏見なシーンを他のドラマ映画でもよく観ている。そして、テレアビブに到着して街を歩きながら、 案の定、テレアビブで彼は警察に止められる。そして、自分はMahmood Shalabi Of MWR - I am Arabic [افـهـم أنـا عـربـي] だという。 ダムとシャラビーはIBDAA Cultural Center Deheishe Camp West Bank,(ここはパレスチナ自治区) で難民キャンプ子供たちの音楽の指導をして子供たちのコンサートを開催する。ダムとシャラビーは見解の違いがる。ダムの三人の方が社会を広く観られる。 シャラビーはこの社会貢献の姿に 心地よいと。みんなが(パレスチナ人)自分の家族という感じだといっている。自分がイスラエル(ユダヤ人の間)に住んでいるとコネクトしていない感じがすると。自分のアイデンティティーを感じるという。シャラビーは自分をパレスチナの世界に入れとく方が心地よいんである。(ここ4年ぐらいシャラビーの活躍に音沙汰がないが、かれの考え方がどうなってきているのか興味がある。シャラビーは努力家でアラブの縦笛も吹けるようになった。自分ではFBで毎日努力をしていると書いていたが。もうひとりの息子(2012年製作の映画)で実際に演奏している。フランス語も海に浮かぶ小瓶(2010年製作の映画)では話さずダブだったが、6年後のテルアビブの女たち(2016年製作の映画)では実際話している。SLINGSHOT HIP HOPの映画の発言から彼の底力を感じる。自分を信じてなんでもやリ通すような人。 ガザストリップ(パレスチナ自治区)のなかでもラップが誕生している。その青年、モハメットはガザの外でも彼らのボイスを聞いてほしいと。ガザのKHAN Yunisというスエズ運河よりの出身であるため検問所がかれの行手を阻む。 SLINGSHOT HIP HOPの映画を観て新しい言葉を学んだ。『’48パレスチナ人』という言い方を初めてならった。この人たちはイスラエルに住んでいるパレスチナ人のこと。『’67パレスチナ人』ガザ自治区、ウェストバンク自治区という壁の中にに住むパレスチナ人はイスラエル占領下にあるから、だから許可書がなければ出られないしガザ自治区からはほとんど許可が下りない。ダムもシャラビーも’48年のパレスチナ人子孫のだからイスラエルのテレアビブでコンサートは許可なしに可能。
DAM
パレスチナヒップホップ。アラビアンヒップホップといったらペルシャ猫を誰も知らないのテヘランヒップホップしか知らなかったのだけれど、1999年からパレスチナにもしっかりあるという話。公民館のような場所でおじさんおばさんの前でかますガザのグループPRが素晴らしい。イスラエル内部で暮らすDAMよりもずっと過酷。DAMが影響を受けたのは2PAC、ウータン他、PRが最初に聴いたのはエミネムのテープだという。つまりは流通量の差で2PACはガザの手前までは届いたけど、エミネムはガザの中まで届いたということ。やはりエミネムは偉大だ。アラビアン女性ラッパー達もちゃんと出てくる。何より素晴らしいのはビートがちゃんとしてること。ラッパーは扇動家なのでどういう土地でも生まれると思うけれど、ビートを生み出すのは音楽を知ってないと出来ない。ガザにもちゃんとディガーがいるということだ。まぁビートはネット上で外から貰うのかもしれないけれど。
命の叫び、魂の叫び、人間の尊厳がここには溢れている!
こんなにも厳しく、過酷で悲惨な現実社会でありながら、そこに生きる人々の苦しみをこれ程までに、共感を持てるように、明るく、力強く描き出した作品を私は嘗て観た事が無い。 この私達が暮している日本から、他の国々の現状へと一度目を向けると、この地球の中では実に様々な相入れない現実の壁があり、それが越えられない問題として大きく横たわり、分裂を引き起こしている事が、この小さな惑星地球を埋め尽くしている事が見えてくる。 宗教、人種、民族、習慣、それぞれの国々の文化や歴史的背景の相違に因る様々な矛盾と対立する価値観の相違から起こる争いの現実があるのだ。 それこそが良く言えば多様性の別の姿と言う事も出来る。しかしその多様性の有る現在の地球の社会では、父系文化がその中心的な価値基準であり、母系社会ではない為に、父系社会の中に於いては常に、自己の属する集団とそれ以外の他者の属する集団との中間では衝突が有り、互いに相容れられない現実の壁が大きく立ちはだかる。 特にイスラエルのパレスチナ地区の問題は深刻で常に、武力に因る闘いが日々繰り返されている。これらのニュースを見聞きすると彼らは特別に暴力的な人種と勘違いする。 だがこの国のこの地域に住む人々こそ、本当の事言えば、誰よりも平和を望み、暴力を肯定している人間などいない筈だ。 だが、現実的には暴力から始まった憎しみは、新たな争いの火種となり暴力の連鎖の鎖は断ち切られる事なく、エンドレスに続いているのが現在の実情なのだ。 しかし、そんな空爆や、銃撃戦や、闘争がエンドレスで繰り返され、何時亡くなるとも分からない明日を信じる事が出来ないこのパレスチナの若者の中から、暴力で訴え、武力で戦うのではなく、音楽に因って互いを理解して行こうと試みる、ヒップホップのリズムに乗せて、自分達の現状を歌に託し、伝えていく音楽に因る平和ムーブメントをしている多くのヒップホップアーティストが多数デビューした。そしてその熱は大きく飛び火し、パレスチナ地区から西の地区へ移動したりしてパレスチナ地区の様々な不便な、検問と言う難関を潜り抜けて繋がって行こうと立ち上がる彼らの姿を観ていると、自然と涙が溢れ出した。 人間とは、どんなに過酷で劣悪な環境に暮していたとしても、必ず自己の世界の平安なる未来を信じて、その平和を実現する方法を自ら模索して希望に生きようとする。 そんな彼らの姿を観るのは本当に美しいし、愛おしくも有り、感動的だった。 かつては東西を分断していたベルリンの壁が崩壊する事など有り得ないと誰もが思っていたが、現実は或る日、突然変化した。 暴力に因らず、音楽に因って世界に平和が訪れる事を夢に観て、日々活動を続けるDAMを始めとするパレスチナやイスラエルのヒップホップ音楽を愛する彼らの長い大きな願いが天に届き世界に平和が訪れる日を願わずにはいられない! どんなに辛く哀しく、厳しい現実の前でも、非暴力の世界を築く為に、音楽で立派に生きる若い彼らの願いが一日でも早く実現し平和になる事を本当祈らずにはいられない心境にこの作品を観ているとなる。 こんなに厳しい現実の中で生きる人々の生活の中に希望が溢れる、生活が有る事を描いた映画が他に有るだろうか? 否、明日をも生き延びる保証さえない現実の生活を送っているからこそ、高い理想に生きる事が出来るのかもしれない。 これ程までに、若者の崇高さ、人間の尊厳を気高く描いている作品は他には無いだろう!是非観て欲しい作品だ!
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