ゲノムハザード ある天才科学者の5日間 : インタビュー
西島秀俊、“魅せる”アクションから“芝居”をのせたアクションへ
昨年は「メモリーズ・コーナー」「ストロベリーナイト」「風立ちぬ」「ハーメルン」と、ジャンルや製作規模にとらわれることなく、精力的に映画の現場に立ち続けた西島秀俊。今年幕開けとなる待望の新作「ゲノムハザード ある天才科学者の5日間」は、作家・司城志朗氏のベストセラー小説「ゲノムハザード」(小学館文庫刊)を原作とした、日韓合作のアクション・サスペンス大作。記憶を失った天才科学者の文字通りの“奔走”をノンストップで描いた、スリル満点のエンタテイメントが完成した。(取材・文/山崎佐保子、写真/江藤海彦)
平凡な会社員・石神武人はある日、自宅で妻が殺されているのを発見する。その信じられない衝撃の最中、死んだはずの妻からの電話。そこに現れた警察を名乗る怪しい男たちによる執ような追跡。石神は事態を全く把握できないまま逃げ続け、やがて正体不明の韓国人女性記者(キム・ヒョジン)に出会う。石神は妻の死の真相を解明すべく、記者の協力をあおぎながら、命をかけた逃亡劇に身を投じていく。
“記憶”をめぐり、いくつもの層が複雑に絡み合う。主人公・石神を演じるに際し、入り組んだ設定はさぞ混乱を極めるのではと想像するが、意外にも西島はシンプルに挑んだ。「確かに複雑な構造の物語です。僕も、まずはサスペンスとしての面白さに興味を引かれました。初めてキム・ソンス監督にお会いした時、とても家族に対する思いが強い人で、『石神は自分の奥さんは生きていると信じて探し続ける。それが一番の力となって、奇跡的に真実を見つけ出す男の物語』というようなお話を聞きました。僕も全体の物語のテーマというよりは、石神という1人の男が、妻が生きていることを信じて走り続ける物語だと思って演じたんです」
本編を見ると、いかに人類が脳に蓄積された情報=記憶を頼りに生きているかをまざまざと見せつけられる。西島も、「記憶ってよくわからないもの。『記憶が人を構成するそのものだ』というセリフもあるけれど、だからといって体がただの記憶の入れ物であるというわけでもない。『記憶だけじゃなく思い出として残るものもある』という真逆のメッセージも込められているんです。体が覚えていることを繰り返すことで、記憶が戻ってきたりもする。みんな、よくわからないものには興味があるんだと思います」と実体の見えないものと向き合った。
石神は記憶を“上書き”されている状態。西島がそんな状況でも混乱を来さなかったのは、本人のたゆまぬ努力はもちろん、パク・チャヌクらのもとで下積みを重ねてきた新鋭キム・ソンス監督の手腕と情熱にある。「監督が原作にほれ込み、何年も練ってきた脚本です。監督の中では完璧に構築された物語になっていて、彼の撮りたいものにたまたま2つの国のスタッフ・キャストが集まったという感じ。キム・ソンス監督はたくさんテイクを重ねるけれど、『あれ? なんでもう1回なの? これでいいの?』といったような混乱は生じなかった」という。しかしながら、「混合している状態を芝居で表現するのはとても難しい。監督からは『納得がいくまで全部検証しよう』と、撮影の前に全シーン、ひとつひとつ丁寧に説明してもらいました。それは到底1日では終わらない作業。石神は、この時はこういう気持ちでこう動いている、こういう理由で右手を使っている。そうやって、ひとつひとつ丁寧に積み上げる作業を一緒にしたんです」と明かす。
そういった細やかな積み重ねによって、石神の“記憶の欠片”が全編にわたり絶妙なバランスでちりばめられている。サスペンスとして謎が解けていく感覚と、主人公のDNAに組み込まれた記憶の断片の数々がつながっていく感覚が、まるで相乗し合い加速するよう練られた脚本だという。西島も、「1度見ただけで、果たして全ての小道具のヒントを読み切れるのか。謎解きが好きな人にはぜひ何度も劇場に足を運んでもらい、すべての辻つま、パスルのピースを合わせてもらえたらとても面白いんじゃないかと思います」と醍醐味を語った。
イランの鬼才アミール・ナデリ監督作「CUT」でも、ボコボコに殴られ肉体を限界まで追いつめた西島だったが、本作ではとにかく走りまくる。「普通に考えてみると、記憶も曖昧で状況もわかっていない男が、暴力のプロに追いかけられて逃げられるワケがない。それを何度もかいくぐって逃げ続け、真実を見つけ出す。それは男の妻に対する強い気持ちが起こす奇跡ですよね。本当に妻を愛していて、彼女に会いたいという強い思い。だから、本当に普通の人間がギリギリの意思の強さで乗り越えていく、それをアクションで表現したいと監督から言われていました。強そうじゃなくて、アクションにしても格好いいものではない。スポーティに走ったらNG。不格好でギリギリ逃げられている感じを意識しました」と、改めて“アクション”は“芝居”だということを感じさせる。
撮影には、日韓混合のハイブリットチームが編成された。メリットもあれば、もちろんそれに伴うデメリットもある。これまでにも海外の監督や役者と組んできた西島だが、「ものすごく大変です。僕は俳優部なのでまだ何とかなる部分もあるけれど、技術部や製作部はかなり大変な思いをしたと思う。それはフランスでもイランでも、やっぱり2つの国が一緒に作業をすることはとてつもなく大変なことで、何度もぶつかり合う。だけどぶつかった後に、何度も話し合って、理解し合って、尊敬し合って、認め合った。そうやって一緒に完成させたことが、何より素晴らしいことだったと思います」。言語や風習の違いという大きなハードルを前に、「果たして自分の演技がどう受け止められるか想像がつかない。言葉も分からないし、微妙なニュアンスもきちんと伝わるのか。だけど、現場での“気合”だけは必ず伝わると思うんです」と気持ちで乗り切った。
そんな日本のみならず世界の映画界から引っ張りだこの西島にも、常にそれぞれの現場で新しい発見がある。「アクションは気持ちを大事にしたものでなければならない。改めてそれを今回の現場で痛感しました。石神という男が、気持ちで乗り越えていくためのアクション。だから演技の延長上にアクションがある。今後もアクションをやっていく上で、役の気持ちでアクションをすることの大切さを学んだし、大きなヒントになりました」。次回作で西島がどんな“アクション”を見せてくれるのか、待ち遠しい。