劇場公開日 2014年1月18日

「ほとりに立って、何かを思う。」ほとりの朔子 ロロ・トマシさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0ほとりに立って、何かを思う。

2014年4月14日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

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本来の二階堂ふみはこういう演技を一番得意としているんじゃないかな、と思います。園子温監督とタッグを組んだ時のアバンギャルドな彼女も面白いけれど。
でも、このほんわかした彼女も良いですよ。とても良い。好みの演技で言うなら自分は断然、朔子を推します。
で、この朔子の飄々とした佇まい、誰でもない、からっぽ、主体性のないスルスルとした性格と気まぐれな行動が、この映画の方向性を決定づけてるように思います。
あの、何て言うんでしょうかね。彼女は主人公ではあるんだけども、能動的じゃないんですよね。彼女が物語の起点にはならない。彼女は基本、傍観者。エピソードの当事者にならないんですよ。周囲が周囲の事情で動いて、それに彼女が乗っかるみたいな。
人と人の間をたゆたって、自分を主張せずに、すーっと流れに身を任せるというか。
勿論、彼女の育った環境というか、バックグラウンドやルーツは明かされますよ。でも、そこと彼女の性格は直結しないというか。あくまでプロフィールというか。
まあ、「朔子は自分がない」「朔子は自分を持ってない」みたいな言い方にしてしまうと語弊になってしまうし、何もしてない、何も考えてない、てことはないです。ちゃんと自分の考えで動いて、自分の言葉で喋ってる。ただ、自我をそこまで突き通して強く何かを主張する!みたいなものは持ってないんですよ。最後まで持たない。バカではないし、色々思うところはあるんだろうけど。
それが彼女の本質というか。その時その時のタイミングであったり空間だったり出逢った人だったりの、それらに同調していくというか。
委ねるというか。
そして。そんな朔子ではあるんだけども、最後の最後に、彼女がちょこっとだけ何かに気付き、ちょこっとだけ何かを掴みかけるんです。その手触りはハッキリとはせず、不明瞭なものではあるんだけれど。
そうやって、自分からほとりを去って行く。
こういうぼんやりとした終わり方、自分は嫌いじゃないです。でも気になるのは、朔子はあのほとりから、これから何処へ向かうんでしょうかね。
その後があるなら、ちょっと覗いてみたいです。

ロロ・トマシ