「フォレストガンプの対にはなっているが対抗は出来ていない作品」大統領の執事の涙 ヒロさんの映画レビュー(感想・評価)
フォレストガンプの対にはなっているが対抗は出来ていない作品
気にはなっていたが視聴しそびれていた一作。町山智浩さんの評にてフォレストガンプへのアンチテーゼとして作られたと聞き、興味が湧いて鑑賞。
なるほどフォレストガンプが“見なかったこと”にしていた負の歴史を描いており、対になる一作だった。
しかし、人間性はよろしく無いが才能だけは抜群のロバートゼメキスのフォレストガンプと比べると描いている時間も舞台も似通っているのに何か物足りない。それは画の力だと思う。
この作品は基本的に主人公の家、ホワイトハウス、長男の目線という3つから構成されているのだが、あともう一つ必要なものがある。それは一般人の目線である。
ゼメキスはスタジアムの観客、抗議デモの観衆といった具合にその時代に生きていた当事者以外の人々を挟んでいるが、本作はそれが無い。そのためアメリカの負の歴史を描いているのに、とても規模が小さいように感じるのだ。戦争映画で司令室とその側近の家庭ばかりで肝心の戦闘シーンが無いというか。
例えば長男がセルマの行進に参加したり、ブラックパワー最中のナイトクラブといった、その歴史の中で流された群衆を入れていれば世界感を広げて描けたと思う。
また本作は50〜80年代のアメリカを生きたある黒人一家を通じて描かれるが、この一家にいる三人の黒人男性は、
・体制に従属した黒人=父
・体制に挑んだ黒人=長男
・体制に使い潰された黒人=次男
の3つの状態を表している。
ラスト体制に従属した者も挑んだ者も融和しオバマが生まれる、という流れだ。
しかし、この映画の肝というべき家族の誕生が描かれない。
1シーンづつでいい、嫁との出会い、長男の誕生を3〜5分でいいから入れるだけでこの物語の出発点を示すことが出来る。
が、それをしないが為に主人公にとっての嫁、子供といった家族の慈しみに乗れないのだ。家族を失った主人公が自分の家族を得る為に生きた軌跡を描くべきだった。
また次男の死が無駄になってしまっているとも感じた。父と長男が対の存在であるのならば、その融和は次男の死がキッカケになるべきではないかと思う。
次男が死んだ時点で父がホワイトハウスを、辞め息子と寄り添うという感じに。
フォレストガンプの対にはなっているが対抗は出来ていない作品だと感じた。