劇場公開日 2013年11月1日

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恋するリベラーチェ : 映画評論・批評

2013年10月22日更新

2013年11月1日より新宿ピカデリーほかにてロードショー

ソダーバーグの虚飾の時代への憧れと邪悪な探求心が、画面の隅々に息づいている

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炎のランナー」(1981)が作品賞を獲った第54回アカデミー賞授賞式は日本でも放送されたから、ゲストパフォーマーとして招かれたリベラーチェがキンキラの衣装を着てピアノをかき鳴らす場面は見ているはずなのに、なぜか記憶がない。だから「恋するリベラーチェ」はまさに目から鱗。ロック・ハドソンがゲイをカミングアウトした直後、HIVで他界した同じ時代に、ゲイは勿論、HIVに感染したことも頑なに隠し続けて生涯を閉じた希代のエンターテイナーがいたなんて。

かつて、そして、今も、アメリカのショービズ界がゲイ(特に男性同性愛者)にとって窮屈なコミュニティであることに変わりはない。でも、スティーブン・ソダーバーグの視点は社会的偏見とその犠牲者という対比には重きを置いてないように思う。むしろ、豪邸に恋人のスコット・ソーソンを住まわせ、自分と同じ顔に作り直させた挙げ句、ポイ捨てする天才ピアニストの懲りない性癖と、囲われ生活に染まっていく青年の無垢とが混ざり合い、やがて予想通り破綻していく世界は、外側だけが激甘にコーティングされた砂糖菓子のよう。虚飾がギリギリで罷(まか)り通った、または、閉ざされた時代に対する監督の憧れとちょっぴり邪悪な探求心が、画面の隅々に息づいているのだ。

マイケル・ダグラスがリベラーチェに似せるために本来豊かな頭髪を禿げカツラで覆い、マット・デイモンが顔にドーランを重ね塗りして10代のソーソンに化け、整形外科医役のロブ・ロウに至っては顔の贅肉を頭の後ろまで強引に引っ張って粘着テープで留めるというジョーン・クロフォード張りの苦行に挑戦。俳優たちにとって、虚飾の時代の復元はけっこうキツかったに違いない。

清藤秀人

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