「張り子のトラ」ブルージャスミン 小二郎さんの映画レビュー(感想・評価)
張り子のトラ
ジャスミンは「オサレで充実したワタシ像」を激しく愛している。
それが例え「張り子のトラ」だったとしても。
彼女の上昇志向・虚栄心・自己愛。
私は、セレブっぽい上昇志向とは縁遠いものの、別ベクトルの虚栄心はあるなあと自覚している。なので、この映画を観て「身につまされる」部分もあった。
(「身につまされる」というよりも、「ここまでヒドくない」という安心感か…。他人と比べ安心するというのは虚栄心の最たるものだなあ…。)
本作に、「張り子のトラ」の行き着く先を見せてもらった気がする。
あんな終点は辛い。
彼女の行く末を観るのは、どこかに自分の片鱗があり、痛く怖くもあるのだけれど、自分自身を嗤う快感も同時に湧いてくる。
私の「張り子のトラ」捨てなきゃなあ。本作観た後、見栄張って肩肘張ってた部分がほんの少し軽くなったような気がした。
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本作は、ウッディ・アレン版『欲望という名の電車』だという人がいて、なるほどなあと思った。(確かに設定等かなり重なっている。)
ただし、
『欲望〜』の方は、壊れかけた女をとことん追いつめる男が居て、それによって女は更に壊れていく。
本作には、そこまで追いつめる男は出てこない。ただひたすら本人の自爆で壊れていくばかりである。「誰のせいでもない」という突き放した感じが、現代風でありアレン風なのかなとも思う。
『欲望〜』のエリア・カザンは、女の愚かさを「悲劇」として描いたが、本作のアレンは「悲劇」にすらしない手厳しさがあるなあと思った。(悲劇だと同情できるけど、本作は同情とかそういうのを突き放している。)
愚者を、手厳しく突き放し、笑い皮肉りつつ、その一方で彼らの五分の魂を描いてみせる。
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『欲望〜』のビビアン・リーは、悲劇ドップリに主人公を演じた。
本作の主役ケイト・ブランシェットは悲劇を避けて演じてみせた。
私は、『何がジェーンに起ったか?』(姉妹のうち片方が壊れてしまう物語)のベティ・デイビスを、連想してしまった。
ベティ・デイビスは狂気を、ホントに怖く演じた訳だが、そのやり切った様から「達成感」のような清々しさも感じてしまう。そしてまた本作のブランシェットも、やり切っていてどこか清々しい。
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追記:個人的にだが、アレック・ボールドウィンも良かった。虚栄の恋物語を無駄にカッコ良く演じている。