祖谷物語 おくのひとのレビュー・感想・評価
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昨年は徳島県鳴門市の大塚国際美術館に行った。
昨年は徳島県鳴門市の大塚国際美術館に行った。だから、目と鼻の先なのだが、なぜか行かなかった。四国へは高校の修学旅行と石鎚山(標高と同じ1982年に)へ登りに行っているが、剣山のある祖谷谷へは一度も行っていない。剣山が四国の第二峰である事と、山頂近くまで車道が出来ていて、秘境と言われる様な所では無いと思っていたからである。また、『かずら橋』の事故等もあって、意識的にこの地を避けていた。老人になった今、余り歩かずに登れるなら、一度は行って見たいと思って、この映画を見る事にする。
上演時間見たが、この映画長いね。
なんか祖谷な予感♥
あと二時間、その全貌がみえはじめた。キャストが出鱈目。
武田さんの美少女は良いが、先入観があって、武田さんは、下北沢辺りの飛び込みの店のカウンター席で『ホッケ』を摘んで、生ビールをグイッと飲んで『プシュー』って言っていた方が似合う。演出家の好みでキャストを選ぶべきではない。
日本の原風景とか行っているが『割り箸』の材料に使う『杉』は植林によるもので、過疎地である事は認めるが、トンネルを掘っただけで『景観が壊れる』と言う訴えには無理がある。秋の紅葉の季節の祖谷谷が登場するが、緑の部分は全て植林で人の手が入っている。
やっとこさ半分見たが、この少女にとって、このジジィと生活を続ける事は即刻止めるべきである。
武田さんは兎も角、じいさんには台詞がないのだから、地産地消で地元のリアルなマタギさんにやっていただいた方が良かったと思うが、だって、この映画は地元を思う気持ちと現実を対比している訳でしょ。それだけ地元を思う気持ちも分からなくないが、この映画では、祖谷谷の過疎化は救えない。いやいや、大和民族の最初に絶滅する場所なのかもしれない。
『サンカ』の存在を知って秘境には興味が無いわけではないが、石鎚山周辺の面河渓谷の方が、今となっては秘境だと思う。
狭い日本なのだから、人間の生活の為に自然が犠牲になる事は仕方ないと思う。だから、トンネルも畑も野生動物の駆除も仕方ないと思う。だが、その狭い土地に永遠に住み続けるシステムを考え、改善せねばならない時が来ていると思う。勿論、建築物の様な『箱物』を期待しているわけではない。自然をできるだけ保って、自給自足出来るシステムを作る事である。この映画が上演されて、丁度、10年経つが祖谷はどうなっているのだろうか?
『子供が楽しそうに遊ぶ姿は、この地でも見られないのだろうな』
追記 水を野菜に与える場面で終わるが、この演出家のミスだ。
『肥』じゃないかなぁ。普通。
長い、と感じてしまう。
都会と田舎、文明と自然、もろもろの対比を、祖谷を舞台に描く。そのメッセージのスタンスは、どこにでもあるごく普通のもの。じつは、僕はそういう映画が最近どうも苦手になってきている。どこか説教じみていて。
この映画は、ドキュメンタリーだったわけじゃないよな?って錯覚を誘うくらいに、お爺のセリフがない。そのくせ、終盤ファンタジーチックになっていく。たぶん、お爺との祖谷での生活に限りがあることを感じ始めた春菜の妄想なのだ。
お爺を探して行き着いた河原で、遠くに見える山に向かい「お爺!」と叫ぶ。そのシーンと、東京で案山子を見つけてコンクリ壁の川床に降りたシーンのアングルがそっくりで、あ、案山子は探し当てたお爺なのだなと感じた。
結局、寄生虫のようなフリーターが「ああ、田舎でのんびり暮らしてえ」って暢気に言うセリフ(都会人の持つ田舎への偏見)に対するアンチテーゼなのかな。
言いたいことはわかるし、わからないところもわからないなりに、何につながるのかくらいはうすうすわかるが、どうもしっくりしない。真摯につくっているのにこう言うのは悪いが、気持ち悪い。おまけに、長い。長いのは(尺が長いのが悪いのではなく、言い直せば長く感じてしまうのは)、丁寧だということではなく、伝えることが下手ということだ。
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